(道徳教育にテコ入れしようとしている文科省)
学校教育に関して、いろいろと方向が定まっていない現代においては、学校で宗教をそのままのものとして使えないため、道徳あたりが中心になるのでしょう。
ところが、その道徳もまた、「どういう道徳なら、新しい時代に向けて必要なものなのか」ということが分かりにくくなっているのではないかと思います。
また、道徳については、現在、文科省等もテコ入れするつもりのようであり、今後、さまざまな案が提示されるだろうとは思いますが、宗教としても、ひとつ考えてみる必要があるのではないでしょうか。
道徳とは、「道」の「徳」と書きますが、「人間として生きる道」を説いているものであろうし、「その道に則(のっと)って生きていけば、人間としての徳が生じる」というような考えでもあるでしょう。
ただ、「今、どのような道徳があればよいか」ということを、一言で言おうとしても、それは難しいことかもしれません。
例えば、昔の宗教においても、「モーゼの十戒(じっかい)」など、「戒律」風(ふう)に出ているものについては、道徳との区別がほとんどつかないところはあります。しかし、現代では、法律がかなり整備されている面があり、専門的な各種の法律がいろいろとあるので、そうした専門的なものについては、法律に任されている面もあるわけです。
むしろ、そうした法律と宗教の間に、「基本的な人間の生き方の指針」になるようなものとしての道徳が、必要とされているのではないでしょうか。
世の中には、法律で仕切られているものもあれば、学校のように、校則で仕切られているものもあるわけです。宗教と道徳の関係にも、ややそのようなところがあるのかなという気はします。
つまり、道徳そのものは、必ずしも罰則を伴っているものではないし、「できれば、そのようにありたいものだ」という思いが入っているものだとは思うので、必ずしも強制力を伴うものではありません。あくまでも、「人をよい方向に感化していこうとしているものではないか」と思っています。
それでは、さまざまなことについて、「今後はどのように考えていけばよいのか」ということについて、考えていきたいと思います。
---owari---
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