【あなたの知らない犬鳴谷…】
昨日は天気予報通り、朝のうちは雨☔
雨が上がるのを待って、午前10時過ぎに家を出た。
「お」の付く「直方(のおがた)」駅から博多行のJRバスに乗って…
ん、運転席の後ろに🤩
バスは直方市内から犬鳴峠に向かって…
途中、脇田温泉からは旧道を行く…
旧道から現在の国道に出て左に折れて少し行くと、目的地の「司書橋」バス停だ。
バス停から国道を反対側に渡って犬鳴大橋を渡る…
下は、かなりの谷だ😮
相当深い谷…
緑も深い中に道が見える。
アレが旧道だろうか?
恐らく犬鳴谷村(現在はダムの底に水没)を通って、あの映画「犬鳴村」でお馴染みの犬鳴隧道…旧犬鳴トンネルに続く道…
深い谷を見ていると、高所恐怖症ではないが、思わずクラクラしてくる…
その昔…
ココとは違うが、ほど近い場所で…
元職場の後輩男子が借金相手の同僚を突き落とした。
こんな谷へ突き落とされたらひとたまりもない…
突き落とした後輩男子は、無口で誰とも喋らず、後ろに居ても気配を感じさせない、そのくせ、カラダのデカイ奴だった…
この日は、犬鳴ダムの周りを周回するコトに…
なぜ、ココを選んだか?
というと…
人が来ない、と思ったから😜
なのに、入口の駐車場にはクルマが何台か停まっていて…
家族連れが居て、子供がキャッキャッとはしゃいでいた🙄
そして、入口の犬のモニュメントに…
思わず拍子抜けした😅
とりあえず、ダムの周りを反時計回りに回る。
時計回りだと、クルマは一方通行の時計回りしか出来ないから、常に後ろから来るクルマを気にしないとイケナイ…
実際、何台かのクルマとすれ違った。
犬鳴谷村の橋…だろうか?
村は水の底…
というより、泥にまみれて埋まっているのかもしれない🙄
犬鳴谷村では、椎茸の栽培や炭焼きが主な産業で、犬鳴焼という窯もあった。
線香の原料となる粉も作られていた。
【犬鳴御別館とは?】
ダム湖を過ぎると、公園があった。
更に右手に延びる道を行く…
この先にあるのが、犬鳴御別館…
犬鳴御別館とは…
幕末の時代、いよいよ外国が日本に攻めてくるかもしれない?
そう危機感を抱いた福岡藩は、海沿いにある福岡城をいざという時は、藩主を山間に逃すため、もう一つの城を必要としていた。
そこで選ばれたのが…
この、犬鳴の地である👍
確かに、こんな山深い所に城があるとは、誰も思うまい。
【鎮魂の地】
この御別館の建設に携わったのが…
加藤司書という人物👍
司書とは…
加藤さんという図書館司書ではなくて😅
司書という名前である😅
だが、この加藤司書…
当時の藩の派閥争いで切腹させられ、自身が計画した御別館の完成を目の当たりにするコトなく、この世を去っている…
さぞかし、無念だったであろう…
加藤司書鎮魂の碑の前で思わず黙祷した。
再び、もとの道に戻り、ダムの反対側の道を行く…
炭焼小屋は、看板だけは現役?
ちゃんと連絡先が付されている😅
だけど、建物は朽ち果てていた…
近くには製鉄所もあり…
福岡藩が第二の城をこの地に選んだのも…
外国の侵攻に備えて武器を製造するためで、御別館には火薬庫も用意されていた。
焼き物や製鉄…といった労役にも…
やはり、朝鮮半島から連れて来られた人たちが関わっており、この地で亡くなった半島出身者の墓もある。
犬鳴川の源流だろうか?
水が豊富に流れていた。
人知れず、小さなお地蔵さんが…
誰がいつ、なんの目的で建てたのだろうか?
この地には…
いろんな人々の思いが、今なお、眠っている…
そんな気がした。
こんな所からも登れるの?
かつてはレストラン兼資料館だった建物は閉鎖されていた。
入口に、付近の登山道の地図が貼られていた。
バス停のそばに公衆電話が…
まさか、あの世からの呼び出し電話が鳴らないよね?😅
バスの時間まで約一時間あった。
ココでじっと一時間待つのはイヤなので😅
再び犬鳴大橋を渡って先へ行く…
バスのルートに沿って、旧道を脇田温泉へ降りてみる。
思わず、街道という文字に引き寄せられた😜
ナント、玄海100キロウルトラマラソンのコース出来ないお馴染みの、俳句の道に出た🤩
すぐ近くに、楠水園のバス停があったので、バスを待つ間にこの日の記録をYAMAPにアップしていると、程なくしてバスが来た。
遠く博多から来るバスは定刻通りにキタ🤩
天気予報通りに、午後からは素晴らしく晴れて暑くなった🤩
皮肉なコトに…
ゴールデンウィーク終了と同時に…
天気は素晴らしく良くなり、気温も上昇する模様…
今度は犬鳴山に登ってみよう👍
図書館にあった地元の山の会、六四会の冊子がかなり参考になると思う👍