2023年12月4日
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昨日(12/3・日曜日)和水町にシンポジウムを聞きに行った。
江田船山古墳~国宝が語るムリテとヤマト王権~
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1873年(大正6年)1月4日に地元(江田村)の池田佐十(サジュウ)が夢のお告げにより丘を掘ったところ石棺を発掘し古墳であることがわかった。
佐十は数多くの貴重な副葬品も発見し、国が一括して90円で買い上げた。
出土品92点は昭和39年に重要文化財となり、翌昭和40年に国宝に指定され、現在は東京国立博物館に展示保管されている。
これだけの副葬品が揃って把握できる稀有な事例であり、日本の古墳出土品を代表する存在として古墳時代研究に大きく寄与してきた。
出土当時から国宝級であると認められていたが、指定が遅くなった理由は出土品の一部を研究者が保管していたためである。
それが博物館に返納されるとすぐに重要文化財になり、翌年には国宝の指定を受けた。
遺物のなかには75文字の銘をもつ銀象嵌銘太刀などの刀剣類、銅鏡6面、冠帽類、耳飾類、玉類、武具類、馬具類、土器類など92件に及ぶ豪華なものが出土している。
地元に伝わる話では、太刀が出土された当時は全ての文字が判明出来たともいわれているが、現在は三文字が不明である。
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また、江田船山古墳は昭和25年(1950年)の文化財保護法の施行後、すぐに国指定となる。
昭和50年(1975年)の範囲確認調査の成果を受けて、翌年には隣接する虚空蔵塚古墳と塚坊主古墳も史跡に指定された。
1968年に埼玉古墳群稲荷山古墳群から鉄刀が出土された。
出土時の太刀はさびで盛り上がっておりこれを研磨しなければならなかったが、担当者がとても慎重に作業を行っており、キラリと光るものに気づいた。
レントゲンにかけてみると文字らしきものがみられ、現在では、すべての文字が判明出来ている。
これ以降、まず、レントゲンで調査することが原則となった。
江田船山の太刀も稲荷山古墳の太刀も、地方の強力な豪族が作ったものではないかと佐藤先生。
豪族とヤマト王権との関係性を太刀に記銘し、これを人々の前で誇示することにより、
豪族の支配力を強めたとも推測される。
(5世紀後期) 大規模な前方後円墳を営む有力な地方豪族と大王との関係が銘文刀剣によって象徴された。
↓ ↓ ↓
(7世紀初め) 熊本肥後の横穴墓や兵庫県丹波の小円墳といった地方の中小豪族の墓主が、ヤマト王権の大王から銘文刀剣を与えられたと考えらている。
つまり地方の中小豪族まで配下に取込んでいた。
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↑ 小学6年生の自由学習から
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昨日(12/3・日曜日)和水町にシンポジウムを聞きに行った。
江田船山古墳~国宝が語るムリテとヤマト王権~
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1873年(大正6年)1月4日に地元(江田村)の池田佐十(サジュウ)が夢のお告げにより丘を掘ったところ石棺を発掘し古墳であることがわかった。
佐十は数多くの貴重な副葬品も発見し、国が一括して90円で買い上げた。
出土品92点は昭和39年に重要文化財となり、翌昭和40年に国宝に指定され、現在は東京国立博物館に展示保管されている。
これだけの副葬品が揃って把握できる稀有な事例であり、日本の古墳出土品を代表する存在として古墳時代研究に大きく寄与してきた。
出土当時から国宝級であると認められていたが、指定が遅くなった理由は出土品の一部を研究者が保管していたためである。
それが博物館に返納されるとすぐに重要文化財になり、翌年には国宝の指定を受けた。
遺物のなかには75文字の銘をもつ銀象嵌銘太刀などの刀剣類、銅鏡6面、冠帽類、耳飾類、玉類、武具類、馬具類、土器類など92件に及ぶ豪華なものが出土している。
地元に伝わる話では、太刀が出土された当時は全ての文字が判明出来たともいわれているが、現在は三文字が不明である。
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また、江田船山古墳は昭和25年(1950年)の文化財保護法の施行後、すぐに国指定となる。
昭和50年(1975年)の範囲確認調査の成果を受けて、翌年には隣接する虚空蔵塚古墳と塚坊主古墳も史跡に指定された。
1968年に埼玉古墳群稲荷山古墳群から鉄刀が出土された。
出土時の太刀はさびで盛り上がっておりこれを研磨しなければならなかったが、担当者がとても慎重に作業を行っており、キラリと光るものに気づいた。
レントゲンにかけてみると文字らしきものがみられ、現在では、すべての文字が判明出来ている。
これ以降、まず、レントゲンで調査することが原則となった。
江田船山の太刀も稲荷山古墳の太刀も、地方の強力な豪族が作ったものではないかと佐藤先生。
豪族とヤマト王権との関係性を太刀に記銘し、これを人々の前で誇示することにより、
豪族の支配力を強めたとも推測される。
(5世紀後期) 大規模な前方後円墳を営む有力な地方豪族と大王との関係が銘文刀剣によって象徴された。
↓ ↓ ↓
(7世紀初め) 熊本肥後の横穴墓や兵庫県丹波の小円墳といった地方の中小豪族の墓主が、ヤマト王権の大王から銘文刀剣を与えられたと考えらている。
つまり地方の中小豪族まで配下に取込んでいた。
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↑ 小学6年生の自由学習から