観音の里めぐり、午後の拝観は冷水寺さんから。
冷水寺は行基が観音像を刻み宇根に開いた宇根野寺が前進と伝えられ、賤ヶ岳の合戦の際に柴田勝家によって焼き討ちにあい、本堂は焼失、本尊は焼損した。
この焼損したご本尊を村人たちが、小堂を経てて安置し、冷水寺と号した。

その後、元禄年間に傷んだ観音像を胎内仏として収める鞘仏を村人たちが作り、現在に至っているとの事。
焼損した観音様のお話は昨年も高月の歴史民俗資料館にお邪魔した際に聞いたのですが、冷水寺さんの本堂の屋根をするために観音様を資料館に預ける際に発見されたとの事でした。
観音様を大切に思う村の皆さんの心は現在にも受け継がれて、心が癒される感じでした。
境内には地元の皆さんが作られた、世界一小さい資料館の胎内仏資料館もありました。


続いて西野薬師堂へ。
こちらは天台宗の泉明寺が前身。
伝教大師が薬師如来、十一面観音、十二神将を刻み安置したと伝えられる。
その後の戦火で堂宇は焼失。
村人たちによって救い出された仏様が充満寺の所属として薬師堂にお祀りされています。

薬師如来像は薬壺を持たず、来迎印を結んでいる珍しいお姿ですが、手の部分は後補との事。
十一面観音様はふっくらとしたお身体で、頭上の化仏は後補。
オリジナルの化仏は木箱に収められて展示されていました。

このあと徒歩で正妙寺へと向かいました。
続きは後日。

冷水寺は行基が観音像を刻み宇根に開いた宇根野寺が前進と伝えられ、賤ヶ岳の合戦の際に柴田勝家によって焼き討ちにあい、本堂は焼失、本尊は焼損した。
この焼損したご本尊を村人たちが、小堂を経てて安置し、冷水寺と号した。


その後、元禄年間に傷んだ観音像を胎内仏として収める鞘仏を村人たちが作り、現在に至っているとの事。
焼損した観音様のお話は昨年も高月の歴史民俗資料館にお邪魔した際に聞いたのですが、冷水寺さんの本堂の屋根をするために観音様を資料館に預ける際に発見されたとの事でした。
観音様を大切に思う村の皆さんの心は現在にも受け継がれて、心が癒される感じでした。

境内には地元の皆さんが作られた、世界一小さい資料館の胎内仏資料館もありました。



続いて西野薬師堂へ。
こちらは天台宗の泉明寺が前身。
伝教大師が薬師如来、十一面観音、十二神将を刻み安置したと伝えられる。
その後の戦火で堂宇は焼失。
村人たちによって救い出された仏様が充満寺の所属として薬師堂にお祀りされています。




薬師如来像は薬壺を持たず、来迎印を結んでいる珍しいお姿ですが、手の部分は後補との事。
十一面観音様はふっくらとしたお身体で、頭上の化仏は後補。
オリジナルの化仏は木箱に収められて展示されていました。


このあと徒歩で正妙寺へと向かいました。

続きは後日。