定期観光バスの奈良巡りの後、奈良へ再び。行き先は伝香寺さん。
実は先日の奈良行きの時にこちらにも寄る予定でしたが、定期観光バスの方が予定より長くなってしまったので行けなかったのです。
現在のお寺は筒井順慶の母が順慶の菩提を弔うために建てたものですが、前身は鑑真和上の弟子の思託律師によって開かれた実円寺と言われています。
境内には花びらが一枚づつ散ることから散り椿(武士椿)と呼ばれる椿があり、大和の三名椿に数えられます。
椿の季節には中門が開かれ椿の鑑賞はできますが、本堂の拝観には予約が必要です。
しかし現在、遷都1300年の記念行事の一つとして、年2回だけ開帳される地蔵菩薩様とともに予約なしで拝観ができるのです。
やはり、こういう機会は利用しなきゃという事で、あまり、間隔を空けずに奈良に行きました。 こんなの初めてです。
さて、こちらのご本尊はお釈迦様。
この坐像の光背のホゾに「なら下御門大佛師宗貞」の墨書があり、作者がはっきりしています。この宗貞は京都の方向寺の大仏の造立に携わっており、この釈迦如来坐像は方向寺の試みの大仏ではないかと言われています。
そして、今回の拝観のメインとなる地蔵菩薩立像。
こちらの像は客仏で、もとは興福寺の子院・延寿院(尼寺)にあったんだそうです。
尼寺にあった仏様とは全く知らなかったのですが、何故か会いたいと思ってしまったのは、最近の尼寺巡りとの縁を感じてちょっと不思議でした。
このお地蔵様は通常は3月と7月のみの開帳となる裸形像で毎年7月の地蔵会の時に着衣が新調されます。
近年像内から、長谷寺式十一面観音像、舎利壷、薬師如来像などの納入品が発見され、その中の願文から春日四所明神の本地仏として造られた事がわかったとの事。
お顔は女性の寺にあった事を思わせる優しい表情で、どこか美しささえも感じるお地蔵様で、すごく心引かれてしまいました。又、会いたいです。
それから、こちらにも聖徳太子像がいらっしゃいました。
遷都1300年の行事だからなのかはわかりませんが、椿や仏像についての説明をしてくださる方々がいらっしゃり、こちらからの質問にも気軽に答えて下さって嬉しかったです。ありがとうございました。
実は先日の奈良行きの時にこちらにも寄る予定でしたが、定期観光バスの方が予定より長くなってしまったので行けなかったのです。
現在のお寺は筒井順慶の母が順慶の菩提を弔うために建てたものですが、前身は鑑真和上の弟子の思託律師によって開かれた実円寺と言われています。
境内には花びらが一枚づつ散ることから散り椿(武士椿)と呼ばれる椿があり、大和の三名椿に数えられます。
椿の季節には中門が開かれ椿の鑑賞はできますが、本堂の拝観には予約が必要です。
しかし現在、遷都1300年の記念行事の一つとして、年2回だけ開帳される地蔵菩薩様とともに予約なしで拝観ができるのです。
やはり、こういう機会は利用しなきゃという事で、あまり、間隔を空けずに奈良に行きました。 こんなの初めてです。
さて、こちらのご本尊はお釈迦様。
この坐像の光背のホゾに「なら下御門大佛師宗貞」の墨書があり、作者がはっきりしています。この宗貞は京都の方向寺の大仏の造立に携わっており、この釈迦如来坐像は方向寺の試みの大仏ではないかと言われています。
そして、今回の拝観のメインとなる地蔵菩薩立像。
こちらの像は客仏で、もとは興福寺の子院・延寿院(尼寺)にあったんだそうです。
尼寺にあった仏様とは全く知らなかったのですが、何故か会いたいと思ってしまったのは、最近の尼寺巡りとの縁を感じてちょっと不思議でした。
このお地蔵様は通常は3月と7月のみの開帳となる裸形像で毎年7月の地蔵会の時に着衣が新調されます。
近年像内から、長谷寺式十一面観音像、舎利壷、薬師如来像などの納入品が発見され、その中の願文から春日四所明神の本地仏として造られた事がわかったとの事。
お顔は女性の寺にあった事を思わせる優しい表情で、どこか美しささえも感じるお地蔵様で、すごく心引かれてしまいました。又、会いたいです。
それから、こちらにも聖徳太子像がいらっしゃいました。
遷都1300年の行事だからなのかはわかりませんが、椿や仏像についての説明をしてくださる方々がいらっしゃり、こちらからの質問にも気軽に答えて下さって嬉しかったです。ありがとうございました。
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