「天翔る白日」の時にも少し書いたのですが、天智、天武時代の歴史と万葉集の歌が結構好きで学生の頃には色々調べたりしていました。
私が物事に興味を持つきっかけは観劇や舞台作品の紹介文を読んだりしてという事が多いんですが、万葉集ものその一つ。
でも、「万葉集に興味あります。」とか「万葉集が好きです。」と声高に言えるレベルでは全くなくて、歌、そのものよりもその時代を生きた人々の人間模様を想像してゆくのが楽しいといった感じで、それもごく一部分の時代のものしか親しんでいません。
又、古典の授業のように歌の表現方法や文法といった知識はないままに勝手に解釈して楽しんでいるのですが、これまでに書いてきたものなどを少し纏めてみようかなと思います。
私と万葉集というか飛鳥時代との出会いは宝塚が上演した「あかねさす紫の花」というミュージカル作品だったと思います。
でも、直接舞台を観たわけではなくて演劇雑誌でこのタイトルを読んだ時に耳に残るものだったというのがきっかけ。古典文学は読んでいて解釈ははっきりわからなくても妙に心に残る一節があったりするのだけどこの作品のタイトルも正にそれと同じで、あかねさすが紫の枕詞とかは後から知ったという無知状態でした。
タイトルに使われているのは万葉の女流歌人の中でも超がつくほど有名な額田女王の、これまた有名な
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
から取られている。
物語は額田女王をめぐる中大兄と大海人。それに彼女に思いを寄せる天比古という仏師の叶わぬ思いも描かれている。劇中には何首かの万葉集の歌がミュージカルナンバーとして取り入れられており、作品としてかなり完成度の高いものなので、何度か再演されています。そのおかげで私も直接観る機会を持つ事ができた。
さて、「あかねさす~」の歌は近江の蒲生野で行われた遊猟の後の宴の席で歌われたもので、大海人皇子の返歌がある。
紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
この2つの歌を並べると相聞歌のようですが、実は相聞の部には入っていないため万葉集の研究者の見方としては恋の歌という見解は少ないようです。
でも、私としては入り口になった舞台の印象も捨てがたいので、全く恋愛感情のない歌として捉えるという事もできません。
個人的には二人のロマンを感じたいというのが正直な気持ちなので、その辺りを少し書いてみようと思います。明日にでも。
私が物事に興味を持つきっかけは観劇や舞台作品の紹介文を読んだりしてという事が多いんですが、万葉集ものその一つ。
でも、「万葉集に興味あります。」とか「万葉集が好きです。」と声高に言えるレベルでは全くなくて、歌、そのものよりもその時代を生きた人々の人間模様を想像してゆくのが楽しいといった感じで、それもごく一部分の時代のものしか親しんでいません。
又、古典の授業のように歌の表現方法や文法といった知識はないままに勝手に解釈して楽しんでいるのですが、これまでに書いてきたものなどを少し纏めてみようかなと思います。
私と万葉集というか飛鳥時代との出会いは宝塚が上演した「あかねさす紫の花」というミュージカル作品だったと思います。
でも、直接舞台を観たわけではなくて演劇雑誌でこのタイトルを読んだ時に耳に残るものだったというのがきっかけ。古典文学は読んでいて解釈ははっきりわからなくても妙に心に残る一節があったりするのだけどこの作品のタイトルも正にそれと同じで、あかねさすが紫の枕詞とかは後から知ったという無知状態でした。
タイトルに使われているのは万葉の女流歌人の中でも超がつくほど有名な額田女王の、これまた有名な
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
から取られている。
物語は額田女王をめぐる中大兄と大海人。それに彼女に思いを寄せる天比古という仏師の叶わぬ思いも描かれている。劇中には何首かの万葉集の歌がミュージカルナンバーとして取り入れられており、作品としてかなり完成度の高いものなので、何度か再演されています。そのおかげで私も直接観る機会を持つ事ができた。
さて、「あかねさす~」の歌は近江の蒲生野で行われた遊猟の後の宴の席で歌われたもので、大海人皇子の返歌がある。
紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
この2つの歌を並べると相聞歌のようですが、実は相聞の部には入っていないため万葉集の研究者の見方としては恋の歌という見解は少ないようです。
でも、私としては入り口になった舞台の印象も捨てがたいので、全く恋愛感情のない歌として捉えるという事もできません。
個人的には二人のロマンを感じたいというのが正直な気持ちなので、その辺りを少し書いてみようと思います。明日にでも。
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