昨日の続きで額田女王の事から。
万葉の女流歌人として著名な彼女。小説なども数多くてある程度イメージを抱く事ができるのですが、実は書記にはたった1つ
「天皇(天武)、はじめ鏡王の女、額田姫王をめとり十市皇女を生む」の記述しか残されていません。
万葉集での彼女の歌を見ると、歴史上のかなり重要な場面で歌われた歌が多くて、たとえば、斉明天皇が新羅征伐のために九州へ向かう途中の熟田津で歌われた歌(斉明天皇の御歌と万葉集には注意書がありますが、額田が歌ったもの)や、近江への遷都の時の三輪山の歌など、歌をもって朝廷に仕えた人のように感じられるのに、公式な記録にはほとんどその名前が残されておらず、万葉集にだけ登場する女性と言ってもよい存在。
基本的に凛として、自分の足で立つ女性というのが私は好きで、額田女王の歌を読むとこの時代に生きた女性の中では自分の意思にかなり忠実に生きた人だった気がして、イメージを膨らませてしまいます。
実像は全く違うのかもしれないのだけれど、たとえ想像の中の虚像であっても、彼女の歌には魅力を感じます。
以下はそんな私の勝手な解釈です。
紫の唱和歌といわれる2つの歌が歌われたのは天智7年5月5日。
この時大海人皇子は四十近く、額田も三十代。年齢からみても、秘められた恋の歌と取るのはどうか。しかも宴の席で歌われているのだからというのが一般的な見方だという事は昨日も書きました。
私の中でも、いわゆる相聞の歌という感じは持っていません。
でも、2人の間に全く、恋愛感情がなかったとも思えないのです。少なくとも大海人には額田への思いがあったように感じる。
額田は最初、大海人の妃になり十市皇女を生み、後に大海人の兄である中大兄に仕えている(否定説もあるが、万葉には額田が中大兄を待つ歌があるので私は事実だと思う)。
でも、額田と大海人の結びつきは大海人と他の妃達との結びつきと比べると政治色は薄いと考えられます。
大海人にとって額田は特別な女性だったと私は思いたい。だから、長い年月を経ても心のどこかでいつも彼女の面影が生きていたのではないか・・・。男性心理はわかりませんが何となくそんな気がしてしまう。男性の方が女々しいってよく聞きますし(笑)。
ただ、額田の方はそうでもなかったのかもしれない。女性ってこの辺り割り切って考えられる気がするんですよね。現実主義というか・・・。“あなたが嫌いになったのではないけれど、あなたより好きな人ができただけ”的なのってありませんか?
それに個人的には額田は中大兄に惹かれる部分があったのではないかとも思うのです(私の中では中大兄は許容できない人物、どこか頼朝に似ている気がして)。
蒲生野の宴の席。額田自身はその日の出来事を歌に詠んだだけだったのに、それに答えた形の大海人の歌を聞いて一番驚いたは実は額田だったのかもしれない。
宴での座興の歌のように歌われながらも、そこには大海人の本心が隠されていたから・・・。
これくらいのロマンスを感じても許されるんじゃないと思っていて、出会ったのが井上靖さんの小説「額田女王」。
なんとこの小説の蒲生野のくだりが私のイメージにぴったりで、以来、私の愛読書の一つです。
小説の中で額田は神の声を聴ける存在として描かれていますが、もしかしたら、実際の彼女も似たような力があったのかもしれない・・・。そんな風に思えるほどに彼女の歌には力があり、魅力的。
万葉の女流歌人として著名な彼女。小説なども数多くてある程度イメージを抱く事ができるのですが、実は書記にはたった1つ
「天皇(天武)、はじめ鏡王の女、額田姫王をめとり十市皇女を生む」の記述しか残されていません。
万葉集での彼女の歌を見ると、歴史上のかなり重要な場面で歌われた歌が多くて、たとえば、斉明天皇が新羅征伐のために九州へ向かう途中の熟田津で歌われた歌(斉明天皇の御歌と万葉集には注意書がありますが、額田が歌ったもの)や、近江への遷都の時の三輪山の歌など、歌をもって朝廷に仕えた人のように感じられるのに、公式な記録にはほとんどその名前が残されておらず、万葉集にだけ登場する女性と言ってもよい存在。
基本的に凛として、自分の足で立つ女性というのが私は好きで、額田女王の歌を読むとこの時代に生きた女性の中では自分の意思にかなり忠実に生きた人だった気がして、イメージを膨らませてしまいます。
実像は全く違うのかもしれないのだけれど、たとえ想像の中の虚像であっても、彼女の歌には魅力を感じます。
以下はそんな私の勝手な解釈です。
紫の唱和歌といわれる2つの歌が歌われたのは天智7年5月5日。
この時大海人皇子は四十近く、額田も三十代。年齢からみても、秘められた恋の歌と取るのはどうか。しかも宴の席で歌われているのだからというのが一般的な見方だという事は昨日も書きました。
私の中でも、いわゆる相聞の歌という感じは持っていません。
でも、2人の間に全く、恋愛感情がなかったとも思えないのです。少なくとも大海人には額田への思いがあったように感じる。
額田は最初、大海人の妃になり十市皇女を生み、後に大海人の兄である中大兄に仕えている(否定説もあるが、万葉には額田が中大兄を待つ歌があるので私は事実だと思う)。
でも、額田と大海人の結びつきは大海人と他の妃達との結びつきと比べると政治色は薄いと考えられます。
大海人にとって額田は特別な女性だったと私は思いたい。だから、長い年月を経ても心のどこかでいつも彼女の面影が生きていたのではないか・・・。男性心理はわかりませんが何となくそんな気がしてしまう。男性の方が女々しいってよく聞きますし(笑)。
ただ、額田の方はそうでもなかったのかもしれない。女性ってこの辺り割り切って考えられる気がするんですよね。現実主義というか・・・。“あなたが嫌いになったのではないけれど、あなたより好きな人ができただけ”的なのってありませんか?
それに個人的には額田は中大兄に惹かれる部分があったのではないかとも思うのです(私の中では中大兄は許容できない人物、どこか頼朝に似ている気がして)。
蒲生野の宴の席。額田自身はその日の出来事を歌に詠んだだけだったのに、それに答えた形の大海人の歌を聞いて一番驚いたは実は額田だったのかもしれない。
宴での座興の歌のように歌われながらも、そこには大海人の本心が隠されていたから・・・。
これくらいのロマンスを感じても許されるんじゃないと思っていて、出会ったのが井上靖さんの小説「額田女王」。
なんとこの小説の蒲生野のくだりが私のイメージにぴったりで、以来、私の愛読書の一つです。
小説の中で額田は神の声を聴ける存在として描かれていますが、もしかしたら、実際の彼女も似たような力があったのかもしれない・・・。そんな風に思えるほどに彼女の歌には力があり、魅力的。
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