川塵録

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論語は「当たり前のこと」しか書いてない

2025年01月13日 | 古典・漢籍
年末に、執行草舟さんのオフィスで、ちょっと論語の話に。

執行草舟さんは、論語を「当たり前のことしか書いていない」っておっしゃっていた。

そのとおり。

でもそこから私は以下2点を導きたい。

1 当たり前のことすら、できていない?

最近わかってきたことですが、知的階層の方でも、ほとんど論語を読まれていない。

学生時代から『致知』を定期購読して、大学時代に安岡正篤記念館 埼玉のここ に1人で行った私からすると、人さまの論語知らずっぷりにはちょっとビックリしている。

例えば、論語の 自責七訓 こちら 。みなさん、ここで説かれているとおり、しっかり自責されているんだろうか。そうは思えない、、、

執行草舟さんが「当たり前のこと」って表現すら、日本人は到達し得てない?

2 当たり前だから、キリスト教ほど広まらなかった?

キリスト教と比較すると、論語はmoderate。普通。平凡。当たり前。

エキセントリックなことを言わない。人をビビらせることを言わない。

己の欲せざる所を人に施すなかれ、って消極的な感じ。
聖書は隣人を自分のごとくに愛せ、って積極的な感じ。

親もなにもかも全てを捨てて私に付いてきなさいってのが聖書・イエス。。。

ルカ14:26
「もしだれでもわたしのもとに来て、父母、妻、子供、兄弟、姉妹、さらには自分の命さえも憎まないならば、わたしの弟子にはなれません。」

“If anyone comes to me and does not hate father and mother, wife and children, brothers and sisters—yes, even their own life—such a person cannot be my disciple.

これっすごいエキセントリックですね。今風に言うとカルト、、、

こういう、カルト的なことを何も言わないのが聖書。孔子は何一つ奇跡を起こさない。

このように、「孔子に超人的なところがなかった」から、訴求力を持ち得ず、宗教的熱狂を生むことができなかった。だからキリスト教ほど広まっていない。

そういえるのかもしれない。

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