野口英世は、黄熱病の研究をすべく、ガーナに赴き、ガーナでその黄熱病にかかり、客死した。
野口の時代には「ウィルス」自体は発見されていなかった。顕微鏡の精度が低く、人類がいくら頑張っても、細菌を発見できるにとどまり、ウィルスを捕捉することはできなかった。
だから、野口の業績は、現在には、ほとんど残っていない。ノーベル賞候補に3度もなったが、結果論で言えば、戦略が間違っていた。ドン・キホーテだった。
いくら努力しても、徹夜しても、「顕微鏡でウィルスを発見する」ことは、物理的・科学的に、不可能だった。戦略不足は戦術で補えない好例。
しかし。
それでも野口英世はお札になった。
では、野口英世は、何を遺したのか?
端的には、「チャレンジングスピリット」ではないか。
野口の「ヒューマンダイナモ(人間発電機)」と呼ばれた常軌を逸する勤勉さも、要するに彼のチャレンジングスピリットがなせる技。
我々が、野口英世から受け取るのは、ダイナモと呼ばれるほどの行動力と忍耐力を発揮し、人類救済のために、死の危険を犯してガーナまで飛び、実際にガーナで客死した、そのチャレンジングスピリット。
ガーナの首都アクラで、ノグチの名前を冠する施設を訪問し、あらためて野口英世のチャレンジングスピリットを感じてきました。