昨日は、世田谷美術館に
『松本俊介展』をみにいきました。
このひと、36歳で亡くなったんです。
中学生のときに病気になって、なおったときに耳がきこえなくなり、
その後、
お兄さんにもらった油絵の具で絵画にめざめたのでした。
オトナになって、
兵役も逃れたけれど、
まわりの友人がみんな戦地にいって、
それゆえか
家族は疎開させたんだけれど、自分はひとり東京にのこって、絵をかきつづけたの。
東京大空襲のなかで松本さんの家の地域は奇跡的に戦火をまぬがれた。
のに、
戦後1年たったころ、まぁ、そのまえから持病の喘息にくわえ、結核にもなっていたのだけれど、
展覧会の絵をかいて、展覧会をひらいた会期中に突然亡くなったのです。
それは、私は、展覧会にいってから知ったのだけれど、
戦争中の絵は、赤かった。
そして暗かった。
書簡も展示されていて、内容もおもしろいというか、エッセイの才能もあるというか。
疎開した家族にむけての手紙は、
『戦後の東京を歩いているアメリカ兵は、
勝ち誇っている風でもなく、ただ、もう、すでにそこにいた人のように街を歩いている。
亀のようにじっとかたまっている日本人が哀れである。』
と、書かれていた。
そのころの日本人の姿が、眼にうかび、悲しくなった。
『国防国家のなんたら』とかいうタイトルで
戦争中の軍人さんが、芸術家との対談で
もっと戦争を鼓舞するような絵を描けという話しが書かれている記事もあった。
それに対して、後日、松本が「絵は自分のなかにあるものしか、描けない。」という反論を
記事を書いたそうで。
国防軍を作るなんていう話がでる昨今の日本に危機感をおぼえ、
っつうか、戦争なんてしたくない!!!と
平和ボケしてて、すぐに上陸してきた敵国のひとに撃たれちゃうだろうな、わたし。
でも、死にたくないけれど、撃ち殺したくはない。
撃たれていいとも!
ごめんね、家族をまもれなくて。
なんて、思いました。
絵はね。
きれいだよ。
暗い色のなかに使われた青色がなんてきれいにみえるんだろう。
画家になりたてのころに書かれた青色が多用されている風景がすきです。
色の面と
繊細な線。
あのまっすぐな線は、ものさしを使っているべな。
だんだん抽象画になってきて、
そのあと、先にかいたような赤の風景になって、
最後は、
また青い色の面に
繊細は線の絵にもどってきて、
これ、きれいだな~すきだな~もっと見たいなとおもわせる。
亡くなってしまって、残念です。
ま、だから、生誕100年記念で展覧会をもよおすんだろうけどね。
その話しを娘にしたら、
娘曰く「リリーフランキーは、誰かのことを
『山田かまちのように夭折していたら伝説の人になれたのに
生きているのが惜しい男である。』って、書いてたよ。」
・・・・・・
生きているのが惜しいといわれないように、がんばろ(汗