conscience

my diary

蔓延しているブランド文化の弊害

2024年05月16日 | 日記
 今朝のニュースで流れているが、早稲田であったか、受験生がウエブカメラのついたメガネを装着して、入学試験の問題を外部に送信し、Xで回答を募集していたという。「そこまでして入るべき価値が、その大学にあるのだろうか」と疑問に思ったし、彼が、単に、有名大学卒業というブランドがあれば就職に有利で一生安泰に過ごせると思っているとすれば、何とも浅はかというか、哀れではないか。昭和の終わり頃、若い女性が結婚相手に求めるものとして三高(高学歴、高収入、高身長)というものであったが、それは、今でも大して変わっていないのかもしれない。三高のうち、高収入、高身長は分かるとしても、高学歴にそれほどの価値があるのだろうか。例えば、採用試験などでも高学歴が採用の条件となっている会社もあるし、資格試験でも、大卒が必須の要件となっている資格もある。しかし、高学歴の人間が必ずしも優秀であるとは限らないし、頭の良い人間でも、とんでもない間違いをする者も大勢いる。学歴は、その人の人間性を表すものではない。単に、入学試験にパスする為のスキルを持っていたというだけではなかろうか。
 最近、流行っている詐欺で、AIなどを使って有名人に成りすました動画広告を作成して投資などに勧誘するという手口があるが、それなども、有名人というブランドを利用した詐欺と言えるかもしれない。同じようなことが、他にも多数あるかもしれない。選挙などで候補者を選択する際に、有名大学を出ているとか、父親が代議士であったとかということなどを売り文句にすることもそうだと思う。例えば、東京都知事がカイロ大学を卒業していようが、いなかったとしても、それがどうだというのだろうか。それよりも、彼女の人間性であるとか、公約がどれだけ実現されただろうかとかの方が遥かに重要だと思う。

 ところで、このところの株価は乱高下しているが、私は、株式投資は、単なる金儲けの手段と考えるのではなく、応援したいと思う企業に投資することが基本にあるべきだと思うようになった。勿論、損をしてまでは株式を持つ意味はないので、高くなったら売る、安いと思ったら買うというスタンスはそのままではあるが、株価の変動に、必要以上に一喜一憂しないということにしようと思っている。しかし、このところの消費者物価の上昇では、年金が主たる収入源である、我が家のエンゲル係数はうなぎ登りで困っていることも事実ではある。
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