こんにちは。福島市在住「フクシマン土屋」です。
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生より12年。
あれから12年。
毎年3月11日が近づいて来ると、心がざわつきます。
思い出したり、向き合う機会が多くなるから。
震災当時の映像が流れるときは
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」心が叫んでます。
自分は正直、この時期は今でもしんどいです。
ここ福島では3月に限らず1年中、
「震災と原発事故」関連の記事やニュースを
目にしない日はありません。
ニュースは復興に関する前向きなものと
原発事故に関する前向きでないもの。
前者は勇気づけられるし、後者は憤り、落胆します。
12年経過した、今でも。
毎日。
先日
『NHKが福島・宮城・岩手の東日本大震災の被災地に住む人たちに行ったアンケートで、家族や友人と東日本大震災の記憶や経験について話す機会に変化があったか尋ねたところ、福島県では、1年前に比べて「話す機会が減少した」という回答の割合がほかの県より高く、理由について「話そうとすると気持ちが滅入る」という回答もほかの2県を上回りました。』
というニュースがありました。
自分も思い当たります。
自分から話題にしないし、周りからもされません。
ただね、話題にはせずとも
みんな各々考えたり、想ったりしていると思うんだ。
2011年3月11日から1カ月が過ぎたころ。
まだまだ放射線の影響も分からず恐ろしいころです。
その時に自分は決めました。
「ここで『普通』に暮らす、福島で暮らしていく!」と。
強制的に避難させられた人たちもいる「福島」。
「非日常」が「日常」に変わってしまった「福島」。
そこで「普通に暮らす」こと。
「普通に暮らす」ことが、
「普通でない状況に抗うこと、
負けないこと、
福島が見捨てられないこと」になるような、
当時そんな風に考えたんだね。
あれから12年。
福島で普通に暮らしてきました。
「原発事故災害は現在進行中」です。
廃炉作業には30~40年かかるとされています。
いま、強く強く願うのは
「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故」
後に感じた
「あんなおもい二度としたくない」
「あんなおもい誰にもしてほしくない」
です。
政府の方針は「原発回帰」です。
二度とあのような事故が起こらないことを心から願います。
そして
そんな心配なく暮らしたい。
「イイトコ探訪 福島県!」を読んでくれてありがとうございます。
課題は人それぞれ。
歩みも人それぞれ。
想いも人それぞれ。
です。
これまでがんばってきたね。いまもがんばっているね。
これからもそうしていくんだね。
3月11日は気持ちをリセットする日。
静かに過ごしたい日。
新たな1年をスタートする日。
福島市在住「フクシマン土屋」でした。