狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

スナイパーになりたい?

2013年06月16日 | 狩猟と銃
6月16日北見市の端野公民館で有名作家の講演会がありました。銃の専門家です?
さっそく出かけました。

開口一番、このようにおっしゃいました。
「銃の取り扱いは安全第一です。ガンロッカーから銃を出すと(ライフル銃)まず第一にボルトを引き、弾のない事を確認してください」
えっ、ゼ、ゼッ、アマちゃんではありませんよ。
警察から分割保管を指導され、ガンロッカーにはボルトを装着した銃はありません。拙も他の場所に保管しています。なのにこの先生はボルトを装着したままガンロッカーに保管しているのです。堂々の発言でした。
講演は続き、常識が疑われる発言が続きました。まあ、いいか。人は人だよ。
あきれ返って写真は撮る気がしませんでした。

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ピアソン記念館

2013年06月16日 | 道東紹介
今日は他の目的もあり、北見市のピアソン記念館へ行ってきました。
1914年にピアソン宣教師夫妻が北見市の高台にスイス風山小屋を思わせる家を建てました。1888年に来日以来、北海道を中心に宣教活動をされた方です。宣教のみならず教育、社会運動までされました。

この家のある高台をThreeOaks(みかしわの森)と呼び開拓者とも交友を深めたそうです。
ヒアソン夫妻が去り、使用されていなかった家を教会長老の唐笠学医師が私財を投入、米国との戦争の最中も大切に守ったそうです。
内部には当時の家具も搬入され当時が偲ばれます。左のオルガンは現役で希望すれば弾く事が出来ます。唐笠学医師はホトトギス派の俳人で、この家で句会を開かれたそうです。前庭には句碑も建てられています。

  大幹を駆けのぼりつつ風吹かな  何蝶
  雪止んで景色止まってをりにけり 摩耶子
  白靴に日のとんでくる歩みかな  一歩

最近分かった事ですが、この家の設計者はWMヴォーリズ氏で近江兄弟社(メンソレターム)とも繫がるそうです。彼が設計した家は全国各地に残っています。詳細については「ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク」にお尋ね下さい。

しかし、児童相談所として使用されていた時代などに改装がされているのが惜しまれます。ピアソン時代の間取り、ペインティングに戻し、本当の姿を見たいものです。
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