小樽市にある鰊御殿ですから道東紹介ではありません。
この建物は明治33年に西積丹に建てられ、北炭汽船が現在地に移築復元した。その後小樽市に寄贈され市民に開放された。一部2階建てで約185.1坪あります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/e6/0b755e35eda4869e36f8e2121101b210.jpg)
港も一望でき、当時からあったような感じです。しかし豪壮な鰊御殿もアイヌの人々から強奪した物です。18世紀に始った運上屋(親方)はアイヌの人を使い、溢れかえるばかりの鰊により富を築きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/3b/57879470c5caaafb2d1e1fbb8691e5e3.jpg)
江戸時代より鰊は肥料としても使われ、綿花や藍栽培に貢献しました。庶民が着た木綿織物は蝦夷の鰊によって作られたと言って過言ではないでしょう。
いい風の来る大広間で休憩していると、その広さがアイヌの人々の呻吟に思われてくるのは、思いすぎでしょうか。
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この建物は明治33年に西積丹に建てられ、北炭汽船が現在地に移築復元した。その後小樽市に寄贈され市民に開放された。一部2階建てで約185.1坪あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/e6/0b755e35eda4869e36f8e2121101b210.jpg)
港も一望でき、当時からあったような感じです。しかし豪壮な鰊御殿もアイヌの人々から強奪した物です。18世紀に始った運上屋(親方)はアイヌの人を使い、溢れかえるばかりの鰊により富を築きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/3b/57879470c5caaafb2d1e1fbb8691e5e3.jpg)
江戸時代より鰊は肥料としても使われ、綿花や藍栽培に貢献しました。庶民が着た木綿織物は蝦夷の鰊によって作られたと言って過言ではないでしょう。
いい風の来る大広間で休憩していると、その広さがアイヌの人々の呻吟に思われてくるのは、思いすぎでしょうか。
![](http://outdoor.blogmura.com/hunting/img/hunting88_31.gif)
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