思い出の中の青春は恥ばかりである。
さて、拙は高校を卒業すると一企業に就職し、故郷を離れN市に住んだ。駅裏に会社の寮が有り、現在では想像できないほど場末、いや田舎であった。寮のすぐ横に無花果畑があったほどだ。寮から歩いて5分ほどで焼肉屋があった。と言うのも附近は朝鮮人街で焼肉屋などが並んでいた。18歳の拙にとっては空腹が念頭にあり、朝鮮人街は特に関心がなかった。それでも寮長からS亭には行くな、と言われていたが理由は知らなかった。安いから行った。焼肉も安かったが酒はもっと安かった。いわゆる密造酒の上澄みであった。ビールよりもこの密造酒で鍛えてもらった。マスターは気分が乗るとバイオリンを出しアリランを弾いてくれた。初めて聞く朝鮮語のアリランであった。感心していると無料の券をくれた。行ってみると首領様の写真が飾ってある舞台でチマチョゴリの娘達が扇子を開き踊っていた。美人ばかりであった。
寮長が行くなといった理由がわかった。S亭の長女と寮生が心中をしたからだった。その兄は東大生だったが帰還事業で北へ帰っていた。マスターには末の娘しか残っていなかった。ペルシャ猫の瞳を持った美人で時々店を手伝っていた。後で聞くと朝鮮銀行の職員で、用もないのに出かけた。本当に銀行職員であったか事実はわからないし、名前も記憶にない。
この焼肉屋の隣に「ガッチャン」があった。闇のスロット屋で当たりが出ると現金をポケットに入れてくれた。小声で「おめでとう」と言って貰う為にサラ金の借金を積んだ者もいる。博打は止めるまで負けがない。拙はベルが並び3万円ほどもらって記憶がある。
さて道を超えていくと、oというスナックがあった。2つ先輩によく連れて行ってもらった。胸毛が自慢の先輩で、オトコゲが有り後輩からは一銭の金も取らなかった。全て先輩の奢りであった。Oには30すぎの小股が切れ上がったママがいた。先輩の話では俺にゾンコンであったが、数年後再会したときは純情そうな奥さん(別人)を連れていた。この先輩は夏になると浴衣を着てスナックに行った。胸毛をチラチラさせるのが得意であった。拙も夏になると胸毛はないが浴衣でスナックに行く。
ある時上司より「祭りだから家に遊びに来い」と言われた。規律が裃をつけて歩いているような上司だったので嬉しかった。言われた時間に駅に着くと、上司が浴衣で迎えに来ていた。裃ではなかったし、町内に入っても祭りの様子はなかった。家ではご馳走が並び歓待された。川蟹の茹でたのが美味かったと記憶にある。娘が酌をしてくれた。浴衣姿が眩しかった。フラフラになるまで飲んだ。祭りのことは忘れていた。伝え聞くと一人娘であったが、拙が長男である事が伝わり二度と招待されなかった。後日、そう20年ほど過ぎてからこの上司と再会した。特急列車の中で娘と孫2人を連れて海水浴に行く途中だった。私一人が恥ずかしそうにしていたが、娘はオバサンでアッケラカンとしていた。女は(・・まあいいか)現実の中でしか生きない生物で、男(拙)は空想の中で生きています。
誠に恥多き青春である。つづく、としたいが・・・・。
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