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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第13回 

2018年01月14日 | 日記

何年か前のことですが、私たちの事務所屋上の防水工事を自分たちでしました。ちょうど職員があまりいなかった時です。その日、雨漏りがしたので防水工事をする2人が、朝から必要な材料を買ってきて作業を開始しました。午前が過ぎて午後になり、だんだん暗くなろうとするのに、まだ終わりません。それで心があせってきました。私の子供のイヒョンが手伝おうとしてペンキの刷毛を取ってあちこち塗っていました。その日のうちに作業を終えたくて気が焦っているときに、小さい子供が手伝おうとしてウロウロしているので、皆さんもこの気持ち分かるのでしょう、だんだんイライラする気持ちが強くなってきました。早く終わらせたくて焦っていました。その時、防水ペンキを完全に塗ったところを子供がグシャッと踏んでしまったのです。その瞬間にこう言ってしまいました。「踏んだらどうなるか知っているだろう? やめてあっちへ行きなさい!」。感情的な言葉を出してしまって、自分の心が苦しくなりました。「ああ神様、私が倒れてしまいました」。

その時から体が疲れていることよりも、子供に申し訳ない気持ちでどうしようもなくなりました。子供は屋上の端っこの方に行ってしまいました。それで私が子供に、「イヒョン、お父さんを手伝ってくれますか?」と言ってみましたが、すでに機会は去ってしまっていました。心に傷を受けた子供は気落ちしたまま「いいえ、やめます」と言って、屋上の片隅で一人で遊んでいました。洗濯紐をくるくる回したりして・・・。それから、静かに下へ降りていきました。

どれほどすまない気持ちになったか知れません! 夜寝床に入るまで心がとても痛みました。それで、寝ようとして横になっている子供の隣に一緒に横になって「イヒョン、お父さんは今日間違ったことをしたので赦して下さい」と話しました。すると、子どもは私の両頬をなでながら、まるで赤ちゃんのような声で「ううん、そんなことないよ。お父さん今日ご苦労様でした。顔が小さくなったみたいです。大変でしたよね」。

 

子供が9歳の時でした。普段はきちんと発音しますが、あらゆる愛情と心を込めて父に声をかけてくれたのです。「お父さんは、イエス様です。お母さんは天使、力の強い天使」。子供が力強い天使というのは理由があります。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第12回 

2018年01月13日 | 日記

はい、もちろん私たちは、バプテスマのヨハネのメッセージを伝える人たちです。罪を罪と断言しなければならない者たちです。しかし、そうするすべての目的は何ですか? 人びとを責め絶望させするためですか? そうではなく罪人を神様と和解させるためです。

私たちの心をサタンが支配することを許さないでください。皆さんはすごく立派なクリスチャンです。私たちは他の人をよく赦します。どんなに人が傷をつけたり、損害を与えてもその人も赦すのです。ところがいざ自分のことになるととてもケチ臭いです。自分はイエス様を何度も失望させ、こんな私の罪の重荷を代わりに負ってくださいと何十回もイエス様に差しだしたのに、再び奪って自分が背負っているのです。あげては奪って、あげては奪って・・・そんなことを繰り返しているなら、どんな結論に達することになりますか? 「私はどうしてもだめだ。私がこんなに何度も神様の心をいためるなんて・・・。神様私は資格がない人です。こんな私を生かしておかれるより、むしろ私をこのまま殺してください」。このような嘆願をするようになるでしょう。イエス様は殺人者でしょうか? そんなに殺してほしいという人を全部殺したら、連続殺人犯になってしまいます。皆さん、そんなことしないで頭を上げて、自分と自分の罪に目をむけないで、高く上げられたた救い主を見てください!毒ヘビにかまれたところを見ないで、世の罪を取り除く神の小羊を見てください!


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第11回

2018年01月12日 | 日記

多くのクリスチャンがこの牧師と同じような境遇に置かれています。私たちが兄弟を赦さなければ神様の赦しを経験することはできません。多分私たちはこの兄弟という言葉を自分にではなく他の人のことだと考えるでしょう。しかし、もし皆さんが、信仰の兄弟姉妹を赦さなければならないのなら、自分にもそれを適用しなければならないのではないでしょうか。

神様は敵を愛しなさいと言われました。皆さんにとって一番難しい敵は、自分自身であるかもしれません。敵が自分自身であるなら、その敵も赦し、愛さなければならない存在ではありませんか? 自分を赦す必要があります。自分自身に対する怒りや恨みを持ち続け、自分を赦さないでいることは、私たちが他の人を傷つけることが悪いことであるように、自分自身にも傷を与えるのです。

 私は今、姦淫してもいいという話をしているのではありません。私たちはマグダラのマリヤは赦されても、自分は赦されないと考えていないでしょうか。十字架の強盗は赦されても自分は赦されないと考えたりします。罪悪感に責められないで、神様の赦しをあえて主張しましょう。罪のない方が私と立場を変わってくださいました。イエス様が十字架に持って行ってくださった荷物を、なぜ私たちは自分で背負おうとするのでしょうか。それも捧げてしまいましょう。なぜ重荷を背負ったままでいるのでしょうか? 主に差し出しましょう。イエス様のもとへ行くなら、あの中風患者に言われた言葉を受けることができます。それは何という言葉でしょうか? 「あなたの 罪はゆるされた」。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第10回 

2018年01月11日 | 日記

神様の赦しを経験することができなかったある牧師の話があります。この牧師は他の人と働く中で多くの問題を起こしました。教会員との関係も非常に悪く、特に、妻との関係が悪かったのです。その妻は非常におとなしい人で、夫の働きを全面的に助けていま

したが、その牧師はずっと妻を非難し、妻を人々の前で批判し、妻の愛情を拒否していました。そして彼の説教はいつも教会員に対して批判的でした。それで教会員も牧師のために苦しみました。彼は結婚生活が破たんしているという事実を認識するようになりました。ついに、彼はカウンセリングを受けました。その話し合いの中でこのような事情が分かりました。彼がどうしてこんなに過度に批判的になったのかが明らかになりました。

 彼が韓国で軍隊に入っていた時、特別な理由で日本に行ったことがありました。その時に東京の街を歩き、誘惑に負け、三日くらい娼婦を訪れました。その後軍隊が終わるまでずっと自分を待っていてくれた婚約者と結婚しましたが、良心の呵責を感じました。彼は絶対に自分を赦すことができませんでした。神様に赦しを求め、頭ではその罪が赦されたと信じました。しかし、罪悪感が彼を苦しめ、彼は自分自身を嫌悪しました。鏡を覗いて自分の姿を見ることが耐えられなくなるほどでした。

彼は自分の過ちを赦すことができなかったために、妻が自分に与える愛情を受け入れることができなかったのです。彼は自分が愛を受ける資格がないと考えて、このような幸せを享受する権利がないと感じました。彼は自分に罰を与え、苦痛を与え、彼の罪悪感のすべての借金を返そうと努力したのです。彼は自ら作った監獄で暮らしました。

彼は神様を信じただけではなく、恵みについての説教もしました。しかし、彼は神の赦しを完全に受け入れたことがありませんでした。彼は自ら借金を返済しようとする作業をしていました。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第9回 

2018年01月10日 | 日記

トルストイはまことに不幸な人でした。自ら完全な人になろうとした彼の努力はこうした結末で終わってしまいました。トルストイは、イエス様を頼るよりも、戒めを見たのです。罪人を救ってくださる神様の働きに頼るよりも、人間がどうしたらキリストの完全に至るかだけを求めた人生でした。トルストイは神様に受け入れられる経験なしに、高い標準に向けて駆け出しました。失敗したら、さらに自分を鞭打って、清くなるために努力しました。神様の赦しを経験できないまま生きました。高い標準がトルストイには偶像になったのです。完全ということがトルストイの偶像でした。それで律法を守るためにそのように努力したのです。

 このような話をすると、私がまるで律法廃止論者のようだと誤解されるかもしれません。それは全くちがいます。神様は私たちになぜ律法をくださいましたか? 律法は、私たちのために与えられたもので、私たちが律法のために存在するのではありません。これが反対になると、トルストイのような人生を生きることになります。トルストイは自分が律法のために存在しているかのように生きました。

ここには第2、第3のトルストイはいませんか? たぶん多くのクリスチャンがこのような信仰生活になっているのではないかと思います。

清く生きようとして焦らない人、清くなろうとして罪の事ばかり考えない人の方がむしろ平安があり清く生きるようになります。なぜなら清く生きるということは、自分の努力で得られるものではなく、神様の恵みだからです。神様は、私たちがどんなときにも平安を得られるように、愛と赦しというセーフティネットを与えられました。