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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は我らの義(デビット・カン講演37)

2012年10月23日 | 日記



   ひまわりさんより(10月22日)

今日の日課の言葉をご紹介いたします。「人生に成功する道は、世人がいわゆる小事と名付けていることに良心的に注意を払うことです。小さな慈善行為、自己犠牲の小さな行動、人の助けとなるちょっとした言葉を語ること、小さな罪に注意を怠らないことーーこうしたことがキリスト教です。日々の祝福を感謝のうちに認めること、日々の機会を賢明に活用することーーこうしたことが主の要求しておられるところです」。私はどちらかというと、もう少しきちんとしなければいけないことを、「まあ、いいや」と言ってやらないですますところがありました。小さなちょっとしたことを、そうやってやらずにすます心がいけないのだと反省しました。

  神様の義が私の義となる(デビット・カン講演37)

私たちは、六日かけて、毎日毎日、創造される経験をするわけです。そして第七日目がやってきた時に、神様の安息日に入ります。そして神様のうちに休みます。なぜですか。私たちは新しく作られたものとなったからです。六日間、神の義のうちに生きてきました。何を通してですか。み言葉を通してです。神様の力を通してです。それを通して私たちは、神様の約束を受けるのです。それが文字どおり私たちの義となります。それが私たちに、勝利の手助けをしてくださいます。
私はかつて、妻に対して、自分の主張を押し付ける人間でした。そういった衝動がまた起こってきます。そうするとき私は、「待てよ」、と言い聞かせるわけです。そして神様に心の中で祈ります。「イエス様、あなたが私の義であります。あなたのみ言葉を私は心から愛します。あなたの創造の力に信頼を置きます」。 そうやって祈る時に、私の目に涙がたまってきます。涙をできるだけ隠して、私が誘惑されている、誘惑にあっているということを隠しながら祈ります。そうしているときに家内が私を見るわけですね。その時彼女は、私が祈っているんだということを理解してくれます。そうする時に、彼女も穏やかになります。イエス様が私の義であります。私には立派な品性というものはありません。完全になる力もありません。しかし、神様のうちに休みを見いだします。そうする時に、神様が私のうちに働いて力を発揮してくださいます。そして同時に私達が塵に伏されてされていくわけです。