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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 120

2014年03月01日 | 日記

 

 福音の力を体験せよ 120

私たちは、容易に忍耐を失うことがありますか?私たちは、あまりにもすぐにイライラし、辛抱ができなくなりますが、それは最も犯しやすい罪の一つなのです。向こう見ずに激情にゆだねるとき、それは聖霊を心から追い出すことになります。すると、そのあいた席を、サタンが占めることになり、彼の属性が露呈されることになるのです。

“神から生まれたすべての人のうちに、キリストの精神があらわされるであろう。キリストの霊に支配されている人たちの間に、けんかやもめごとが生じることはあり得ない。”(5T227 

「あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従する者の僕であ」る(ロ-マ6:16)。もし我々が、怒り、情欲、貪欲、憎しみ、利己心、その他のいかなる罪にも身を任すなら、我々は罪の奴隷となる。「ひとりの者がふたりの主人に兼ね仕えることはできない」(マタイ6:24)。もし我々が罪に仕えるなら、キリストに仕えることはできない。”(MYP114p)                                   

イエス様は、人を罪の中にあるまま救うのではなく、罪から救い出すためこの地球に来られました。もしイエス様の霊が心に宿っているなら、罪がその中に住みつくことはありません。   

   十字架の誤解 ⑥

 神様の応戦、十字架  

まさに、これらの理由のために、イエス・キリストがこの地へ降りて来られ、十字架にかかり死なれたのです。十字架は、イエス様が私たちの罪の値を身代わりとして贖って下さっただけでなく、さらに重要な意味を持っています。十字架は、神様が利己的なお方ではなく、死に至るまで私たちを愛される真の愛の方であることを証明するものです。十字架を通して、サタンの惑わしによって罪に堕ちた人間が、再び神様のふところに戻れるように道を開いてくださいました。また、神様の戒めは、廃棄することができないものとして、人類の平和と秩序のために守るべきものであることを証明されました。すでに、神様の律法を犯した結果がどんなものかを、過ぎた数千年間のこの世の堕落した姿を通して、はっきりと証明されました。