東京新聞2024.8.24より
不平等な社会は、「民主主義国」も「権威主義国」も同じ
世界中で不平等が急速に進んでいる。それは、所謂後進国のみならず、経済的先進国でも例外ではない。特にアメリカでは、コロナ対策により救済されていた人々が、その終焉で収入が絶たれ、家を失ったホームレスが急増している。大統領選で言えば、そのことも現状に対する不満から、急進的なポピュリズム的言動を駆使するトランプを支持する力となったことは否めない。それは、ヨーロッパ諸国での極右の台頭が、著しい物価高騰(主に安価なロシア産原油・ガスの供給停止のせいなのだが)による庶民階層の生活困窮化を背景とししていることと軌を一にしている。
フランス革命で、近代的価値として、自由・平等・博愛の三つが掲げられたが、少なくとも先進国では、自由は大幅に獲得されたが、平等は第二次世界大戦後に大幅に前進したものの、その後1980年以降には、確実に平等という価値は衰退しているのである。それは、「自由民主主義」が声高に叫ばれることと裏腹に、新自由主義の進行とともに不平等が拡大しているのだが、あたかも、平等という近代的価値などなかったかのように扱われているのである。
その世界的不平等の実態を、世界不平等データベースWIDが暴き出している。日本ではマスメディアにほとんど無視されているこの分析は、「21世紀の資本」で知られるトマ・ピケティが中心となり進められ、そのリポートはサイト上でも公表されており、誰でも利用できる「公共物」として多くの研究者から活用されている。
WIDは、2018年版の後に2022年、2023年と公表されているが、最も利用しやすいのが2018年版である。
その中で、国・地域ごとの不平等の拡大を時系列で示したものが下図である。
これは、上位10%の所得のある者が全体に占める割合を時系列で示したものだが、ここで重要なのは、どの地域でもその割合は増加し、最も高く増加しているのが、欧米が世界最大の民主主義国として称賛するインドであり、「権威主義」・「強権主義」のロシアや中国より、はるかに増加率は高いことである。
そこに、世界でも不平等が著しい地域のイスラム君主制の中近東、南米(ここではブラジルが代表)、Sub-Saharan Africaサハラ以南のアフリカ諸国を加えると、インドはそのレベルに達していることが分かる。
ロシアは、ソ連崩壊後に資本主義に移行してから、不平等が桁違いに拡大したが、その後は横ばいとなっている。中国も鄧小平の「改革開放」路線以降の資本主義的発達にともなって不平等が拡大したが、それでもアメリカ・カナダより平等性は高い。
上図は、「民主主義国」の代表としてのアメリカと西ヨーロッパの、所得上位1%と下位50%の全体に占める割合を時系列下したものである。これを見れば、1980年以降、アメリカでは裕福な層と庶民階層の差が年を追うごとに開き、西ヨーロッパでも徐々に差は大きくなっているのが分かる。
そしてさらに重要なのは、民間資産private capitalが大きくなるにつれて、公共資産public capitalが減少していることである。(因みに、トマ・ピケティは、capitalをマルクスの言うところの資本Kapitalではなく、日本語の資産に近い言葉として使用しているので、ここでも資産とした。)
このことは、公共資産の民間以降を推し進めた新自由主義政策と符合し、新自由主義が不平等を推し進めたことの証左でもある。公共経済は、民間とは異なり、利潤追求を第一とするものではなく、主に福祉や社会的必要性に益することを目的にしている。また、公共経済従業者は、資本の利潤追求から来る低賃金労働とは別の次元に属し、また労働組合も強固なので、平均して民間部門の従業員より賃金水準は高い。公共資産の縮小が、不平等社会に繋がるのは当然である。
さらには、Business Insiderによれば、2023年では、アメリカの富裕層上位10%が、全株式の93%を所有しているという。このことも、大企業の利益は、配当または自社株買いを通じて、富裕層に流れ込んでいることを示している。
経済成長至上主義が不平等を生む
これらの事実は、「自由民主主義」を標榜する西側先進国でも、富裕層は一層豊かになり、本来であれば、民主主義の主体となるべき大多数の庶民階層は、いっそう貧しくなっていることを表している。
それは、1970年以降、先進資本主義国でも、経済成長の鈍化が顕著になり、政治的極右から中道右派・左派まで、別な言い方をすれば、保守からリベラルまで、今日、ほとんどのそれらの政党が経済成長至上主義に陥ったことによる。極右と中道右派との違いは、極右は自国の経済以外は念頭になく、中道右派は西側全体の経済を考慮しているぐらいで、経済成長率が最も重要という理念は同じである。
これらの政党の政策は、新自由主義という言葉で表せる。それは、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とした制度的枠組みを作り上げ、その制度的枠組み内で企業活動を発揮させることを国家が支援することこそが、経済を成長させ、社会の繁栄に繋がるという理念に基づいている。その指標となっているのが、経済成長率なのである。したがって、これらの政党が方針として新自由主義を掲げていてもいなくても、経済成長率の上昇を目指すこと自体が新自由主義を推し進めることにしかならないのである。
新自由主義の台頭を歴史的に振り返れば、第二次世界大戦後、現在の先進資本主義国政府は、国家は完全雇用、経済成長、市民の福祉の重視を基本とした政策を実行した。そこには、戦後の全世界的な左派の台頭による労働組合の強化や再配分政策も含まれていた。それは、多分にアメリカが莫大な資本投下と、これらの国の生産供給を吸収するアメリカの体制の恩恵で、また、後進国の資源収奪を通して、1950年から1960年代まで、高度な経済成長を伴っていた。
しかしそれでも、1960年の終わり頃から、労働分配率の上昇と景気後退期のせいで、失業率とインフレ率が上昇、税収の低下により、その当時の資本主義システムの危機を迎えることになった。
その危機の中で、西ヨーロッパでは相対的に左派の力は強く、社会民主主義政党やユーロコミュニズム諸党は、1970年代には一部の国では、フランスの社共共闘のミッテラン政権のように政権を奪取するところまで進むことができた。これらの政党は、労働者階級を政策の決定や執行に参加させること(例えば、ドイツでは1951年「モンタン共同決定法 」以降、法により労組の「経営参加・共同決定」が定められている。)で、労働者の利益と福祉政策を守ろうとした。上記の図で明らかなように、西ヨーロッパが比較的平等性が高いのは、これらの政策、高度な福祉社会を前提とした経済システムを志向した、そのわずかな名残りのせいである。
この左派政権の労働者寄りの政策は、資本の利潤率、資本蓄積を低下させ、経済の混迷はさらに深まった。それら左派政党は社共の対立のように内部分裂を起こし始め、1970年後半からは、その反動から支持を完全に失い、政権は右派主導に移ることになった。そこに登場したのが、1971年に成立したサッチャー政権のように、国営企業の民営化、最高所得税 の大幅減税、福祉への財政支出の削減、労組攻撃を始めた新自由主義である。それは、国家の支援により、資本の最大限の拡大を通じて経済を好転させるという理念に根差している。(ディヴィド・ハーヴェイ著「新自由主義」を参照されたい。)
この新自由主義政策は、基本的に経済成長至上主義である。そこでは、成長の要になるのは、資本蓄積の増大であり、その利益が社会全体に行き渡るというトリクルダウン神話を信奉され、それが最善の方法だと主張される。豊かな階層の富が庶民階層に広がるという神話は、事実によって、完全に覆されているのにもかかわらず、である。
この経済成長至上主義は、積極的新自由主義の推進派だけでなく、右派から中道右派、さらに中道左派まで蔓延している。それは、それらの政党が経済成長率が最優先項目だと公言していないとしても、経済の「良し悪し」が現実の国民生活に直結するからであり、それが国政選挙の結果を左右するからである。近代資本主義システムが変更されない限り、それは無限に続く。国民生活の向上のためだとしても、経済の好転を目的とした政策は、近代資本主義システムにおいては、資本の利潤の増大を前提とした政策にならざるを得ないからである。経済とは、現代では、資本主義システムの別の表現に過ぎないからである。
さらに言えば、地球温暖化は、人類の生存のみならず生態系の破壊など地球環境全体の悪化を意味しているが、そこにも社会的不平等が関係している。WIDは、2022年版の報告で富裕層炭素排出量は、それより下位の人々よりはるかに多いことを明らかにしている。
現状が続く限り、ますます不平等の拡大は止まらない。結局のところ、現存の資本主義システム自体を変えない限り、永久に終わることはないのである。