TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

今年は実った母の柿の木 … <母の想い出>

2023-09-09 12:45:00 | 母の想い出
昨年の5月、我が家の柿の木に久しぶりに花が咲いたことをブログにしました。

その柿の木は母の希望で植えたもので、母がまだ元気にしていた頃にはお正月に頂く干し柿にもなった事や、その後病気にかかったために根元から切ってしまった事など綴りました。

昨年咲いた柿の花は少しだけ実が膨らみましたが、残念ながらいつの間にか落ちてしまっていました。


今年の6月頃に、その柿の木に再び花が咲いているのを見つけていました。

『柿の実になる前に、また落ちるんだろうなぁ… 』

と思ったので、そのことはブログには載せないでいたのでした。


お盆前に台風6号が接近してきた際に、葡萄棚はロープで固定しましたが、柿の木はどうにもできませんでした。

『細い枝先に着いている柿の実の赤ちゃんは、この台風の風で落ちてしまうだろうなぁ… 』

と、半ば諦めていました。

台風通過後、庭に出てみると柿の実の赤ちゃんのいくつかは残っていたのです。

『よく頑張ったねー!』

と、まるで我が子の無事を喜ぶ親のような心境でした。

その柿の実の赤ちゃんたちは少しずつ膨らみ、やっと色付き始めたところです。



黒いシミや虫喰いもあり、見た目は良くありませんが、10数年ぶりに実った柿の実を、今朝方2個だけ収穫しました。



そして、終わりを迎えた葡萄と一緒に御仏壇に供えました。




『母は喜んでくれているかなぁ… 』














胡蝶蘭、咲いてますョ!

2022-07-23 15:00:00 | 母の想い出
昨年の秋、母が亡くなりました。

96歳でしたので大往時だったと思っています。

認知症になった母を施設に入所させており、コロナ禍の中では面会もままならなかったのが無念でした。

その面会禁止の期間に、私は会長さんらと共に2日続けての沢登りを楽しみました。

今でも、母が私を沢へ行かせてくれたと思っています。


認知症になる前、母は嫁いで行った娘たちの出産時には病院やそれぞれの家に赴き、産後の看病や孫たちの子守りをこなしました。

今や成人を過ぎ新しい家庭をもつ者も多い孫たちにとって、認知症になってしまった母でも大切な存在であったのだろうと思っています。

母の告別式に、孫一同でお金を出し合い胡蝶蘭をお供えしてくれました。

その胡蝶蘭は七七日(49日)の時も綺麗な花を咲かせていました。



その後、花は萎れてしまいましたが、今年の春に花芽を着けたのです。



花芽は次第に膨らんで6月には花が開き始め、今はもう盛りを過ぎた感じはありますがそれでも健気に咲き続けています。




いま、新たなコロナの波が押し寄せて来ています。

母の初盆もコロナの渦中で密やかに迎えますが、花を着けた胡蝶蘭があれは明るい気持ちで居られそうです。
















母の想い出<胡蝶蘭>

2022-05-21 19:19:00 | 母の想い出
昨年の秋、天寿を全うした母との別れがありました。

突然のことで、私は60をとうに過ぎていましたが、居るのが当たり前と思っていた母が急に居なくなった事をなかなか受け止められず、心の波が収まるまでに随分と時間を必要としました。

母の告別式に、孫たちから胡蝶蘭の鉢が送られました。



母は花が好きだったので喜んでくれたと思います。

その胡蝶蘭は七七日が過ぎても花を咲かせ続け、年が明けて花を落としても緑を失いませんでした。

冬の時期は、陽当たりの良い我が家の2階に移し2週間に1回はコップ1杯の水をあげていたのです。

花を着けていた茎も先の方から枯れてきたので50cm程切り取っていたのですが…

何と、切り取った茎の下10cm程のところから新しい茎が出てきたのです。



さらに驚いた事には、1週間くらい前から花芽が着き始めたではありませんか!



茎は3本あり、3本とも4〜5個の花芽が着いており、日に日に膨らんできています。




夏は、母の初盆です。

その頃に、また再びあの純白の胡蝶蘭の花を見ることができるなら、天国の母もきっと喜んでくれると思います。








母の想い出<柿の木>

2022-05-12 17:41:00 | 母の想い出
庭の五葉松の葉の上に白いモノが乗っかっています。



近づいて見てみると、柿の花でした。

五葉松の隣に柿の木を植えていて、そこから花が落ちたようです。

新緑の葉が茂った柿の木をよく見ると…



ありました! 白くて小さい柿の花です。


中には花房が膨らみかけているのもあります。




柿の木に花が咲いているのに気付いたのは久しぶりの事です。

私の記憶では、少なくともここ10年以上、我が家の庭では柿は実っていません。


この柿の木は、母の希望で庭に植えた木でした。

日頃あまり『アレが欲しい、コレがしたい』など口にしない母でした。

母がまだ元気な頃に、お正月に頂く干し柿を自分でつくろうと思い渋柿と甘柿の木の苗を2株植えたのでした。

植えてから数年後に実った渋柿は、母が皮を剥き、そして干して、父も子どもたちも含めたみんなでお正月に頂いたのを覚えています。

その後、庭に笹が生い茂るようになってからは、柿は実らなくなってしまっていました。

2本のうち甘柿の木は枯れてしまい、渋柿の木も病気にかかり、一度根元から切ってしたのです。

今年、久しぶりに花を着けたのは切った後に伸びてきた、言わば二代目の渋柿なのでした。



さて、今年の秋は久々に渋柿が収穫できるでしょうか…

もし、夏の台風を乗り越え柿の実が収穫できたなら、今度は母の代わりに私が干し柿づくりに挑戦してみたいと思っています。


秋は、母の一周忌です。









母も “想い出” になりました

2021-11-07 21:47:00 | 母の想い出
先月末に母の七七日の法要を終えました。

あっと言う間の事の様にも思えますし、ずいぶん長い時間が過ぎた様にも思えます。

父の時とはまた違う感じがします… 。

私は信心深い方ではないのですが、毎日、仏壇に手を合わせるようになりました。

母は花が好きだったので、買ってきた大輪の菊の他にも我が家の北花壇に咲いた小振りの菊も時々供えています。


母は若い頃、看護婦(今は看護師といいますが)をしていました。

戦時中の話です。

新潟県長岡の病院に勤めていた頃に先輩看護婦からキツく言われることも多く、若い看護婦同志で励まし合いながら日々を過ごしたという話を聞いた事があります。

今で言うパワハラなのでしょうが、昔はそれが当たり前のようになされていた時代だったのでしょう。

60歳を超えた私にも青春時代があったように、高齢の母にも青春時代があったのだと現実味を帯びながら思わされます。

戦時中ではあっても、きっと楽しい事もあったであろうと信じたいです。

最愛の人である父と出会い、子どもを4人授かり、それぞれの子どもたちが孫をもうけ、12人の孫たちとも関わる事ができたのですから…

七七日の法要も終え、今、母は先に逝った父と再び逢うことができたと思っています。

そして、昔そうであったように、父と他愛もない話を楽しそうに交わしている事でしょう。

母も想い出になりました・・