TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

香りの花

2022-10-22 21:23:00 | 
我が家の南庭にはキンモクセイを植えています。



去年のブログでも紹介しましたが、このキンモクセイは今年も2回目の開花です。

今年の1回目の開花は9月27日のことでした。

その日は私が旅から帰り着いた次の日… 、父の命日でもありました。

そして、数日前から2度目の開花です。

辺りは清々しいキンモクセイの香りに満たされています。

ところが、少し離れた生垣からも同じ様な香りがしてくるのです。

その生垣に植えられているのは柊木(ヒイラギ)です。

よく見てみると…



ソコには白くてキンモクセイの花に似た白い花が咲いていたのでした。

30年くらい前に父が植えた柊木は、植えた当初は毎年花を咲かせていたのですが、その後手入れを怠ったためか、花を付けなくなっていました。

その柊木が去年から再び白い花を付け始めていたのでした。

所々に花を付けた枝の中から、目立つ枝を切り、花瓶に生けてみたくなりました。

花を付けた枝を連れ合いに見せると、

「柊木だけでは寂しいから、裏に咲いている菊を一緒に添えたらイイかも!」

と、アドバイスを頂きました。

私は狭い北花壇に咲いている菊を切りに行き、連れ合いは水盤を探し出してくれました。



父と母が使っていた部屋にあった剣山も持ってきた私は、テキトーに本当にテキトーに生けたのでした。



生け花を学んだ人が見たら、

『何、コレ!』

と、呆れられるかも知れませんが… 

私としては、庭の片隅で一所懸命花を咲かせた柊木に、少しの間ですが光を当てたかっただけのことです。





柊木は喜んでくれているでしょうか…?







脱殻になる前に罪滅ぼしを…

2022-10-21 17:52:00 | 旅行
旅から帰り着いてすぐに “脱殻” になった訳ではありません。

数日間は “旅の余韻” と言うか、気持ちが昂った状態があったのでした。

1週間もの間自分の好きなことをさせてもらったので、連れ合いには大変感謝するとともに、

『自分だけ楽しむのも連れ合いに申し訳ないので、県民割(地域ブロック割)を利用して二人で温泉にでも行ってみるか!』

と、旅から帰った2日後に長崎の波佐見焼を見た後、佐賀の嬉野温泉に泊まりに行ったのでした。



二人で泊まりの旅行に行くのは、3年前の北海道旅行以来です。

美味しいご飯を食べ、気持ちの良い温泉に浸かり久々にゆっくり過ごすことができました。

私が行った旅とは正反対の旅でした。



嬉野は西九州新幹線が開業したばかりで、新しくできた駅の周辺はまだ整備が追いついていない様子でした。



駅舎の中も覗いてみました。


この時はまだ “脱殻 になっていなかった私は、連れ合いに「顔ハメ」の記念写真を撮ってもらったのですが… 

周りには他にお客さんがいる中で連れ合いがなかなかシャッターを押してくれなくて、恥ずかしい思いをしてしまいました。

泊まった宿は、父や母ともよく来ていたところでしたので、久しぶりに訪れることができ懐かしさも感じたのでした。

ここの大女将だった方は数年前に亡くなられたのですが、私の父とは同郷の同級生でした。

そんな事もあり、父は家族旅行でも戦友会でもこの宿やこの系列の宿を格安の料金でよく使わせてもらっていたのでした。

父が亡くなった時、その大女将はわざわざ斎場まで足を運んでくださったのでした。

ホールの一番奥の壁際に立ち、遠くから私の父の遺影をじっと見つめられていたのです。

義理の兄が気付き、私はお礼の言葉を伝える事ができました。

出しゃばるでもなく、とても品のある方でした。

泊まったお宿も大女将のそんな姿を写した様な、出しゃばらず品のあるお宿です。






県民割(地域ブロック割)が利用できた他に、以前に子どもたち夫婦からプレゼントされた旅行券も使い、手出しは少額で済みました。









今は、脱殻みたい…

2022-10-18 17:11:00 | 独り言
20話にも渡り、私の私的な登山日記を読んで頂きありがとうございました。


学生時代の夏合宿で、甲斐駒ヶ岳と『摩利支天』に登れなかったことが、後々、悔やまれてなりませんでした。

40年以上もズッと私の心に引っ掛かっていたので、今回のリベンジ旅への意気込みは並々ならぬものがありました。


ズブ濡れになって歩き続ける “苦行” や、台風の通過待ちの日もありましたが、40数年前振りに北沢峠にも立てた事で胸のツカエが取れました。

これ以上ない天候の中、甲斐駒ヶ岳や『摩利支天』にも登れたことだけでなく、長衛小屋のキャンプサイトでのテント泊も忘れられない想い出です。

また、憧れの剱岳の勇姿を見上げることができましたし、ガスの中でしたが頂上に建つ祠の前で記念写真も撮ることができたました。

旅の途中で、学生時代の同期の仲間にLINEで “念願成就” を伝えたら、祝福してもらえたことも私にとって大きな力になりました。。

私の長年の夢が叶ったわけです。

それで、今の私の心境は… 、

言わば “脱殻” みたいな状態です。


今回、長い長い旅の話を綴りながら、自分の心の中を整理できた事が何よりでした。

ブログをやっててよかったです!














意を決っして、旅に出る …【第20話 … 最終話】

2022-10-16 11:42:00 | 夢実現に向けて
意を決っして家を出た旅も、いよいよ終わりに近づきました。

あとは、無事、我が家に戻るだけです。


15時台の登山バスに16番の乗車順で乗ることができた私は、一番後ろの窓際に重いザックを膝の上に抱えて座り、剱岳や甲斐駒ヶ岳・摩利支天に登ることができた幸せに浸っていました。

バスの窓から見える南アルプスの山々は、カーテンを引いたように雲の中に隠れてしまっていました。

行きはあれほど睨みつけるように見ていた林道も、帰りのはバスの揺れが眠気を誘い、私はいつの間にか眠りに付いていました。

そんな時、ザックを抱えていた左の腕を手でトン、トンと触れられる気がして目が覚めました。

寝ぼけ眼でボォーっと瞼を開けると、私の左腕に触れていたのは手ではなく、左側の座席に座っていた女性の頭でした。

『アラ、アラ、どうしましょう… 』

『お隣さんも山に登って疲れているんだろうなぁ… 』

『私の左腕でよかったら、枕代わりに使ってください… 』

と言う事で、その後私は隣の方がグッスリ眠れるよう同じ体勢を保っていたために、終点に着くまで眠ることができませんでした。

駐車場がある終点の停留所に着くと、隣の方は何事もなかったようにサッサとバスを降りらたのでした。

『 …別に、お礼の言葉を待ってたわけではないのでイイんですけどー… 』


私は、そこから22時間かけて九州にある我が家に辿り着きます。

中央道に乗って30分も走った所で道路工事による渋滞に巻き込まれ、3時間もの間10m進んでは止まりを繰り返しでした。

何度も、一般道に降りることを考えましたが、

『40数年も待てたのだから… 、焦らずゆっくり構えましょう!』

と、腹を括って辛抱したのでした。


旅に出たのは9月の20日の16:15でした。

そして、我が家に戻り着いたのは9月26日の14:25。


走行距離 … 2,267km


燃費は … 16.9km/ℓ

ガソリン代 … 約25,000円

高速道路料金(往復) … 約28,000円





大小のザックも頑張ってくれました。

タイトル画面は剣山荘で買った手拭いです



        <完>








意を決っして、旅に出る …【第19話】

2022-10-15 18:10:00 | 夢実現に向けて
『摩利支天』の山頂で、鳳凰三山とその奥に鎮座する富士山を拝みながら、一人静かに昼食を摂りました。

40数年間、胸の奥の方に常にあり今だに気に掛かっていた夏合宿での『欠けたパーツ』が、この場所に立てたことでやっと収まった感じがしました。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、

『これまでの40数年間はこの瞬間のためにあったんだ… 』

とさえ、思われました。

それも私が誕生した日に、これ以上ない晴天に恵まれ、雲海の上に富士山のシルエット付きでしたから… 。


ゆったりと流れる時間を『摩利支天』の頂きで過ごした私は、帰路につきました。


これから北沢峠経由で長衛小屋のキャンプサイトまで下り、テント撤収後に北沢峠まで戻って登山バスに乗らなければなりません。

もっと言うなら、登山バスに1時間程揺られたら愛車に乗り、九州まで帰り着かなければ私の旅は完結しないのです。


風化した花崗岩の白い粒が一面に広がる登山道を気を引き締めて下って行きました。


今まで静かだった雲海が、少しずつ波打つように動き始めます。


来る時に登ってきた仙水峠を白い雲が乗り越えてきました。


北側の富山湾方面も雲で隠れ始めています。

針葉樹の林の中はガスの中でした。


どこまでも、どこまでも、ただひたすら下って行きました。


苔むした林は北沢峠が近いことを告げていました。


木立の間から峠に建つ山小屋が見えてきた時、私はホッと安堵しました。


山小屋の前の石段には、私を労わるように優しく咲いていました。


バスの時間を確認し、長衛小屋のキャンプサイトまで急ぎテント撤収です。


居心地が良かった長衛小屋のキャンプサイトともお別れし、再び北沢峠へ急ぎましす。

この上り坂が、今回の旅の中で一番応えました。

なかなか足が上がらないのです。

バスが出るまでの僅かな時間に、40数年前に仲間と一緒に撮った記念写真の場所を探してみましたが、はっきりしませんでした。



今回、何枚か撮った写真の中にそれらしき場所を帰宅後に見つけることになります。


看板は建て替えてありますが、背景の木々の色や立ち位置を比べてみてください。


石は動かしてあると思いますが、下の写真の右側の石は40数年前の写真の一番左側に写っている石だと思うのは私だけでしょうか?