TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

旅の記録を整理する【その❹】<アケボノツツジ咲く大崩へ>

2023-08-20 20:27:00 | やりたかったこと
最後、4冊目は今年の春に一人で登った『大崩』です。

目的はアケボノツツジとスケールの大きな岩の峰々です。





正解には大崩山頂には行かなかったのですが、「ワク塚尾根」を登り「リンドウの丘」から「小積ダキ」、「坊主尾根」を周回し春の花々と “岩の殿堂” を満喫できました。



『大崩』は “九州の最後の秘境” と呼ばれており、メインの登山口に辿り着くのにも大変です。

夜の10時頃に家を出て登山口に着いたのは翌朝の未明、途中で仮眠をとる予定でしたが高千穂にある道の駅の駐車場が満杯だったためにそれもできませんでした。

登山口に辿り着き、夜明けまで寝ようとしましたがテンションが上がっていたのでしょう、一睡もできずに辺りが明るくなって来ました。

私は覚悟を決め、予定の1時間前に登山口に立ったのでした。

心配していた祝子川の渡渉も難なくクリアし、ただひたすらに「ワク塚」を登りました。



幸いにも天気は快晴で、話に聞いていた “壮大な岩の峰々” が私に迫って来たのです。

しかし、睡眠不足と水分補給がうまく行ってなかったのでしょう。「ワク塚尾根」を上がり切る前に足が攣ってしまいました。

同じような経験をこれまで2回もしてきていたので、休憩と水分補給と栄養補給➕魔法の薬で切り抜けることができました。

もちろん、事前のルートリサーチが前提にあったと思います。

装備だけでなく、山行計画に時間的な余裕も持たせることも忘れてはいませんでしたから…

いろんな意味で良い経験となった『大崩』山行でした。
















旅の記録を整理する【その❸】<冬の三瓶山に挑む>

2023-08-19 10:54:00 | やりたかったこと
ブログ休止中にまとめた3冊目のアルバムは『冬の三瓶山』です。

三瓶山は島根の名山で、標高こそ1,000m程の山ですが雪が降ると豪雪地帯の山へと姿を変えてしまう侮れない山なのです。

夏の時期には快適なハイキングコースなのですが、山陰特有のドカ雪に遭遇してしまうと身動きが取れなくなってしまうのです。

私がこの山行への参加を決めた時は、雪もない『穏やかな三瓶山』でした。

しかし、自然はシビアで突然豹変することがあります。

山に登る時にはあらゆる場面を想定し、最悪のケースでも最善の対策ができる装備で臨むのが常です。

担ぎ上げる荷物の重さには限度があるので、取捨選択し最終的に身に付ける装備とザックに詰め込む携行品を決めるのです。

命に関わる事ですから慎重になります。

冬山登山靴の他にアイゼンやピッケル、厳冬期用の手袋も買い揃えました。









担いで歩ける荷物の重量と必要最低限の装備や荷物の鬩ぎ合いです。

私たちが出発する数日前、山陰地方は豪雪となり高速道路も通行止めが出て出発自体も危ぶまれました。

また、三瓶山の山レポも全く報告されなくなり、入山できるかどうかの情報もつかめないままの出発となったのでした。

現地に近づくにつれ道路脇に雪が見られるようになり、ついに雪を冠った三瓶山が目に入った時には心が弾んだものでした。

しかし、実際の雪山はやはり厳しいものでした。



踏み跡もない雪の上に我々の足跡を残しながら山頂をめざしました。



最初のピークを踏むのに予定の2倍以上の時間を要したために、周回する予定だった計画を変更し2つのピークハントで山を降りました。



的確な判断だったと今も思っています。

白と黒の世界の中で腰まで雪にはまり込みながら前進した事…

雪の積もった急斜面をピッケルと腕で雪を押し付けながら登った事…

風の吹かない陽だまりで雪を踏みつけて座る場所をつくり、みんなで食べたカップ麺の味…

その全てが少年の頃の冒険のようでした。








旅の記録を整理する【その❷】<40数年来の夢を叶えに… >

2023-08-18 12:33:00 | やりたかったこと
ブログを休んでいた時にまとめた2冊目のアルバムは、2022年秋に登った『剱岳&甲斐駒ヶ岳』でした。

学生だった頃に登る予定だった南アルプスの「甲斐駒ヶ岳」は、40年以上もの間私の心の奥に刺さった棘のように残っていました。

そして、「剱岳」もまた自分の力量では登ってはいけない山としてずっと心に蓋をしてきた山でした。


仕事を退く数年前、2015年の8月1日から連れ合いと2人で2泊3日の信州旅行を計画していました。

ところが、出発の1週間ほど前に連れ合いに大事な仕事が入り、急遽、一番上の娘と行くことになったのです。

娘も仕事に就いていたのですが、その翌年には結婚するというのもあったからでしょうか、連れ合いに代わって私との2人旅に行くことを決めました。



その旅の中で訪れたのが『上高地』でした。

梓川に架かる「河童橋」から穂高の峰々を見上げ、青春時代に仲間とあの稜線の道を歩いた話を娘に話して聞かせました。

『仕事を退いたら、いつか穂高に登ろう… 

と、思ったのはその時からでした。

娘との2人旅は楽しい想い出となっただけでなく、私にとってはその後の人生のスタンスを決める旅でもあったのです。

旅から戻った私は、61歳の誕生日に穂高を訪れることを目標に準備をはじめ、2019年秋に夢を実現させることができたのです。



その後、コロナ禍の中で山岳会に入会し、沢や岩山、そして雪山に臨むにあたって必要な技量や貴重な体験を得る機会が与えられたのです。

ついにその時がやって来ました。

2022年の秋、通過した台風を追いかけるようにして私は愛車を富山に向けて走らせました。



谷を隔てて『剱岳』を正面に観る劔沢キャンプ場でのテント泊…



青空をバックに堂々と立つ “岩の殿堂” の勇姿は私を痺れさせました。



『剱岳』登頂後に雨に打たれずぶ濡れになり急遽山小屋へ宿泊する事態もありましたが、次の日には南アルプスへ移動し40数年前に登頂を断念した『甲斐駒ヶ岳』をめざしました。



この時も、静岡に接近していた台風が突然消滅し、これ以上ない快晴の中『甲斐駒ヶ岳』と『摩利支天』に登ることができました。



『摩利支天』山頂では、鳳凰三山を従えた富士山を観ながら64歳の誕生日を1人で祝いました。



















旅の記録を整理する【その❶】<リベンジ吉野桜>

2023-08-17 12:36:00 | やりたかったこと
6月下旬から1ヵ月半近くブログの更新をしていませんでした。

その間、何をしていたかと言うと、去年から今年にかけて行った旅や山行で撮った写真を整理していた次第です。

これまでも、家族旅行や私一人で行った旅や山行の写真を「△まうまプリント」のウェブサイトからアルバムに製本し残して来ました。

その1冊目は、2014年の『島根旅行』で連れ合いと娘と私の3人で行ったもので、娘が制作・注文してくれました。


その後も、娘と2人で行った『信州旅行』や、連れ合いと一緒に参加したバスツアー『南紀 御朱印の旅(高野山・熊野大社・伊勢神宮)』等々のアルバムを作ってきました。



15冊近い旅のアルバムがリビングの棚に並んでいます。

今回、ブログを休んでまでも整理したのは4冊です。


どの旅も私のブログの中では綴らせてもらってはいたのですが、写真や文章で綴ったアルバムのかたちでも残しておくべきと考えたのです。

デジタルは手軽で便利だと思いますが、紙媒体は紙媒体でその良さがありますからね。

『吉野桜、リベンジ旅』に載せた写真の中からいくつかピックアップです。









2019年に行った吉野桜が空振りに終わっていただけに、昨年観た満開の吉野桜は格別なモノでした。











山岳会への入会なるか…? <第4話>

2021-03-23 13:10:00 | やりたかったこと
前日は雨が降ったので苔や草花の緑は一際鮮やかでした。

湧き水を集めて流れる谷川の水も透き通っています。

様々な名も知らぬ花が私たちを迎えてくれています。


山登りをしない私の連れ合いにも見せてあげたくなりました。


谷を下り終え、峠に登り返す登山道の脇にも可憐な花が咲いていました。


そんな花々に励まされ、昼頃には青空の広がる椎原峠まで登ってくることができたのでした。


後は快適な稜線の道!



12時過ぎに展望のきく “唐人ノ舞” で昼食タイム。

腹ごしらえをして、5月になればツツジのトンネルになるという登山道をどんどん進むと脊振レーダーが近づいてきました。



気象レーダードームや航空自衛隊のレーダードームが巨大なサッカーボールやメロンに見えてきます。


朝はガスの中だった山頂は、午後には青空に包まれていました。

山岳会入会の “試験&面接” は上手く行ったかどうかは分かりませんが、優しい皆さんとご一緒でき、とても楽しい山行になりました。


        <おわり>