TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

梅も、咲きました🌸

2023-02-23 17:15:00 | 
我が家の庭はあまり陽が当たりません。

ですから、どうしても草花の開花は遅目になります。

1週間ほど前から庭の梅の蕾が膨らみ始め、

『そろそろ咲くかなぁー 』

と、心待ちにしていました。



ここ数日、冷え込んだり雨が降ったりしてなかなか暖かくなりませんでした。

今日の天気予報は雨のち曇りとなっていましたが、朝起きて道路を見ても濡れていません。

さほど冷えてもいなかったので、庭の梅の木を見にいきました。

膨らみはじめた梅の蕾の花弁が開きかけているではありませんか。



昼過ぎにまた見にいきましたが、少しだけ開いているだけで “開花宣言 はまだ出せない感じです。

『昼からお日様が顔を出せば咲くのになぁー… 』

今日の開花を半ば諦め、買い物に出掛けたのでした。

買い物から帰り、車を駐車場に入れた時に何気なく梅の木を見上げると… 、

ナント、数輪の梅の花が開花しているではありませんか!



父の椿に次いで、梅の花も開花しました。











椿、咲く🌸

2023-02-20 11:09:00 | 
去年の今頃、ブログで30年くらい前に父が植えた椿の木に久しぶりに蕾が着き、数輪の花を咲かせたことを書きました。

椿の花が咲いたのは何年振りだろう⁈ - TANEの独り言

数日前にブログに載せた椿の続編です。昨日は松の木を剪定しました。久しぶりに松の木を剪定しようと思い立ったのは、そのすぐ隣に植えている椿の木に太陽光線を当てたかっ...

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その椿の木は松の木の下にあり、植えた当初は鮮やかな花を咲かせていました。

ところが、松が椿の上まで枝を伸ばすようになった頃から ”松が優先” になり、上に伸びようとする椿の枝はその都度剪定バサミで切られていました。

正確に言えば、そうするのが当たり前のように私が切ってしまっていたのでした。

毎年、庭の木を剪定する時には決まり事のように、椿は松の枝の下の高さでバッサリ切られてしまうのですから、椿はさぞ辛かったことでしょう。


2〜3年前から、春になると連れ合いと一緒に “植木市" に足を運ぶようになり、そこで椿の盆栽を目にしました。

小さな植木鉢の中で、鮮やかな花を咲かせた椿の古木が太い幹をくねらせていました。

目が飛び出る程の値段が付けられていて、とても私が手を出せるような代物ではありませんでしたが、椿の “生きる力” を感じさせられたのでした。

コブシの苗木を買って家に戻り、我が家の庭の椿の所に行きました。

松の枝の下の椿は、あちこちに枝を落とされた剪定跡を遺しながらも懸命に生きようとしていました。

植木市で見た鉢植えの椿の古木と比べ、庭の椿は不恰好で、まるで “落武者” みたいに傷だらけでしたが “生きようとする力” は同じくらいに思えたのです。


私の身勝手で申し訳なかったですが、今度は松の方に譲ってもらう事に… 

椿の上に伸びた枝の一部を剪定し、椿の根元にも肥料を施したのでした。



昨年、久しぶりに数輪の花を咲かせた庭の椿は今年沢山の蕾を着け、数日前から花を咲かせています。









今年3山目になる『山陰遠征の三瓶山』【最終話】

2023-02-09 16:26:00 | 山岳会
風を避けられる子三瓶山の南斜面で昼食を摂った私たちは、「扇沢」に向かって下山をはじめました。


その頃には青空も見え、陽光が白い雪に反射して眩しいほどでした。

雪目にならないよう持ってきたサングラスも着けました。

子三瓶山の北斜面は滑り台みたいに急傾斜になっており、深い雪に覆われています。


その斜面を半ばお尻で滑るように(尻セード)して降りていきます。

途中、前を行っていた会長さんの奥さんの右脚が腰まではまり込み、一人では身動きできなくなったのです。

奥さんは笑いながら、

「登山靴が岩に挟まり抜けなーい!」

と助けを求められたので私は直ぐに近付いたのですが、私も右脚がスッポリとはまり込んでしまったのです。

私は何とか自力で抜け出すことができましたが、2人揃ってはまり込んだ姿はさぞ滑稽だった事でしょう。

奥さんの方は、はまり込んだ右脚の爪先側と踵側を2人がかりで掘り出し事なきを得ました。

岩に挟まって抜けないと思われた奥さんの足の周りは、登山靴をスッポリ包んだかたちで雪が固まりかけていました。

ストックかピッケルを使わないと掻き出せないくらいでした。

『単独行だったら抜け出せないなぁ… 』

と、何だか恐ろしくなりました。


途中、1か所ルートを間違えそうになりましたが「扇沢」まで降りてきました。

「西の原登山口」と逆の方向にあるお鉢の内側の「室の内池」へ行くことも考えましたが、雪の状況も分からない上に時間的な問題もあり真っ直ぐ下山することにしました。

麓に近づくにつれて雪質は水を含み重く感じられました。

登山靴で踏んだ雪の下に枯葉や土の色も見えはじめた頃、私たち6名は無事に下山したのでした。


「西の原登山口」では下山した私たちを祝福するように長く繋がった連凧が夕暮れの空を泳いでいました。













今年3山目になる『山陰遠征の三瓶山』【その④】

2023-02-08 15:40:00 | 山岳会
下の地図の青い線が当初計画していたルートで、赤い線が実際に辿ったルートです(タイムは夏山時で、今回この1.5倍で計画)。


時には腰まで雪にはまり込みながら「風越」まで一旦下った私たちは、子三瓶山への登りに取り付きました。

「風越」から先の子三瓶山への登りには数日前のモノと思われるトレース(歩いた跡)があり、

『これから先はこのトレースを辿るだけだから随分と楽になる!』

と喜んだものでした。

ところが、そのトレースも山頂下の急登の手前で消えてしまっているではありませんか。

余りの雪の深さに登頂を諦めて、撤退したようなのです。

私たち6名は山頂に続く雪の斜面をしばらく見上げていました。

そのうちに、登山歴も長く三瓶山の周回も何度か経験がある年配の女性メンバーが口を開きました。

「山頂はこの斜面を登った先にあるから、ココを登って行くしかないよね!」

その言葉を合図に、会長さんは四つん這いになりながら深い雪の斜面に取り付かれたのでした。

一番の年配者である会長さんに大変なラッセルをさせるわけには行きません。

その時ピッケルを手にしていた私が先頭に立ちました。



『グレートトラバース』で田中陽希さんが、ピッケルを使って胸まである雪を掻き出しながら膝で押さえつけ、更に登山靴で踏み固めながらラッセルしている映像思い出し、見よう見まねでやってみました。

この時の雪は、1週間ほど前に積もった雪がその後の好天で少しずつ溶け、その上に昨晩から今朝にかけて降った新雪が数cmかぶっている模様でした。

下層の雪は半透明で氷の粒が固まっており、横にしたピッケルで雪を掻き出そうとしてもそう簡単にはいきませんでした。

それならばと、ピッケルを掴んでいる両腕の力で体を引っ張り上げ、膝で雪を締めてから登山靴で踏み固めながら登って行ったのでした。



標高にして50m足らずだったと思いますが、私は疲労困憊し、緩やかな稜線に出た後は最後尾からヨタヨタしながら付いて行ったほどです。



子三瓶山の山頂に立った時の喜びは格別でした。



太陽の光を受けた男三瓶山から女三瓶、孫三瓶山の山々も格別でした。



もちろん、そこで食べたカップ麺の味も格別なものでした。










今年3山目になる『山陰遠征の三瓶山』【その③】

2023-02-07 20:38:00 | 山岳会
宿舎を出発した時点での気温は3℃で、登り始めると汗が出るほどでしたが、1時間くらい経った頃から小さな粒状になった霰が降ってきました。

薄手の手袋だけでは指先が冷たくなってきたので、秘密兵器の『TEMRES』の登場です。


ここまで着けていた薄手の手袋は雪で少し湿ってしまったので『TEMRES』だけで様子を見ることにしました。

その後、山頂でもピッケルを使ったラッセル時も『TEMRES』1枚だけで通しましたが、指先が少し冷たく感じることはありましたが大丈夫でした。

『恐るべし、TEMRES!』


孫三瓶山頂に続く長い長い尾根道を登って行くと、開けた山頂に着きました。


ベンチの高さまで雪が積もっています。

そこはガスに包まれ展望はありませんでしたが、予定より30分遅れの孫三瓶山頂でした。

1週間前の大寒波で、その間誰も山頂には近付くことができてなかったようで、山頂は私たちが初の登頂者だったようです。



これから先のルートも厳しいラッセル(雪かき)が予想されたため、予定を変更し「子三瓶山」に登った後は「西の原登山口」へ下山することとなりました。

すぐさま、計画を変更したことを本部(地元の留守本部)に連絡を入れた私たちは山頂を後にしたのでした。

その下りもまたトレースは無く、私たちは時には腰まで雪にはまり込みながら誰一人会う事もなく、次に目指す山である「子三瓶山」に向けて進んで行きました。



こんな経験をした事がなかった私は、踏み跡の無い真っ新な雪に自分の足跡を残しているという事にワクワクしてしまい、不安や心配など全く湧いてこなかったのでした。