TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

丸皿(小型) 3種

2020-09-30 08:45:00 | 木のカトラリー
直径が20cmを超える大きな丸皿は以前にブログに掲げています。

それより小型の丸皿も以前につくっていたので見てください。

きれいな円形を彫り出すのは私にとってはとても難しい作業です。

回転する機械があって、木を削り出す工具があれば随分楽にできると思うのですが、そんな機械は持っていません。

以前、テレビ番組で芸能人が工房を訪ね、機械を使って、いとも簡単に丸い器を彫り出しているのを見ました。

「こんな機械があれば、自分好みの丸皿やお椀を幾つでもつくれるのになー」

と、本気で中古の機械の価格を調べたことがありました。

「商売ならともかく趣味でやっているんだから… 」

と、自分で自分を納得させ、高額だったその機械を諦め、コツコツと鑿で削り出しています。


そうやって出来上がった、少しだけ歪な丸皿を掌の上で撫でていると、

"出来の悪い子ほど可愛い” 

ではありませんが、また、紙ヤスリを出してきて撫でてやりたくなります。






完璧な丸よりも、少しクセのある丸の方が味があるのかも知れない… 。

やっと、そう思えるようになってきた今日この頃です。






















フォークを彫る

2020-09-29 10:40:00 | 木のカトラリー
制作した木のカトラリーを並べている棚のほとんどをブログに掲げてしまい、ホントに残り少なくなってきました。

今日、見てもらっているフォークは、私がブログを始めて2回目の投稿の際に、スプーンやピザカッターなどと一緒に写真をupしています。

このフォークも木のカトラリーづくりをはじめた頃に、時間をかけて、丁寧に丁寧につくったモノです。

残りも少なくなったことですし、苦し紛れに今回はフォークだけをどアップで載せさせてもらいます。


以前もブログの中で言ってますが、本を見て、
「こんなのがつくれるといいナー… 」
と、思い制作に入ることが多いです。

その時、見ていたのが次の写真にある本で、右側の『木でつくる小さな食器』(著:渡邊浩幸 発行:河出書房新社)には制作工程まで載っていて、大変参考になりました。



白いフォークは昔使っていたソファーの肘掛の端材で、茶色のフォークはウォルナットでつくりました。







さてと、フォークの次は…  。



















父の思い出<ミルクセーキ>

2020-09-28 07:28:00 | 父の想い出
昨年の4月、連れ合いと長崎の街を訪ねました。

寺町を通り、坂本龍馬がつくった"亀山社中” の記念館を訪ねてみようということになりました。


分かりにくいところでしたが、細く入り組んだ急な坂道や階段を案内板に従ってしばらく登って行くと「亀山社中資料展示場」の看板を見つけました。



私はともかく、連れ合いは、
「もうこれ以上、坂道は上れません!」
といった表情だったので、たどり着いた時はホッとしたものの、"閉館中” の札がかかっていました。


肩を落とし上ってきた道を引き返しながら、何処かで旨いコーヒーでも飲みたいねという話になり、スマホで検索すると…

少し先に、昔からやっている喫茶店があることが分かり行ってみることにしました。



何と、この店は遠藤周作の小説『砂の城』の中で、

『タナカヤで流行の服を見物したあとは、銀嶺か冨士男という店でやすむ。冨士男は珈琲がおいしい。』

と、店の名前が出てくるほど有名な老舗喫茶店だったのです。

連れ合いはケーキセット、私は何にするか迷い、メニューの中に"ミルクセーキ” の文字を見つけたので注文しました。


これを読んで、
「エッ!いい歳したおじさん(お爺さんかも…)がミルクセーキ?」
と、思われたかもしれません。


実は、ミルクセーキには子どもの頃の特別な思い出がありました。


私の父は、戦地で食料調達と調理の担当もした経験もあり、復員後に家でコンビーフの焼き飯を作ったり、子どもたちと一緒にカルメ焼きを焼いたりしてくれていました。

レパートリーは豊富でドーナツや餃子は生地から捏ね、缶の蓋で型を抜くところからやっていました。

給食のコッペパンでフレンチトーストを作ってくれたこともありました。

中でも私を含めた子どもたちが魅了されたのが"ミルクセーキ” です。

近所の氷屋さんから買ってきた氷をキリや金槌で細かく砕き、練乳のタップリ入ったボールに卵黄、砂糖などを加えて作ったミルクセーキはこの世のものとは思えない美味しさでした。

こんな思い出もあり、メニューに"ミルクセーキ” の文字を見つけた時、反射的に注文したくなったのだと思います。


「珈琲 冨士男」のスタッフは総じて年配の方が多く、連れ合いのケーキセットも少し腰の曲がった年配の女性が運んできてくれました。

少し遅れて、私の注文したミルクセーキが同じ年配女性によって運ばれてきました。

そのミルクセーキをひとすくい口に運んだ瞬間、昔、家族で作ったあのミルクセーキの味が鮮やかに蘇ってきたのでした。

「珈琲 冨士男」の"昭和” な雰囲気と、小説から出てきたような店員さんの存在感が、一瞬にして私を遠い昔に連れて行ってくれたように思えました。


私は、眉間あたりをキンキンさせながら練乳と卵黄の味のするミルクセーキを口に運んでいました。












八角皿を彫る

2020-09-27 09:29:00 | 木のカトラリー
木を彫ってつくる器は、楕円形や長方形も含め丸や四角いものが多いように思います。

私のものづくりは、本を見てつくることが多く、真似て(下品な言い方をすると"パクって” )つくる場合がほとんどです。


今日のブログでとりあげた「八角皿」は、本に載っていたものではありませんが、家の食器棚にあったものを見てつくった皿です。

5年くらい前につくったと思います。



磁器でつくられていたその「八角皿」は薄手で品があり、よく我が家の食卓に登場していました。

何皿かあったのですが、割れたりヒビが入ったりして、今は1枚も残っていません。




高台部分だけは、磁器のものとは違って内側を緩く削っただけにしています。


元になった磁器の「八角皿」が残っていないだけに、今では思い出の「八角皿」となりました。














父の思い出<夏休みの宿題>

2020-09-26 07:48:00 | 父の想い出
私たちが小さかった頃の夏休みの宿題といえば、「絵日記」「読書感想文」「スケッチ画」「習字」などでした。

そして夏休みが終わろうとする8月末は、サボっていた絵日記やら感想文やらを、親に発破をかけられながらも必死で終わらせようとする子どもの姿が見られるのは昔も今も変わらない家庭の風景だと思います。

私の子どもの頃も、夏休みはクワガタ獲りや神社の境内での三角ベースの野球や秘密基地づくりで遊び呆けていて、夏休み最後の夜は眠い目を擦りながらやり残した宿題を片付けたものでした。


私の父は、前にブログで書いていたようにお習字の塾を開いていましたし、絵も上手でしたので我が子のスケッチ画や習字の宿題は放って置くことができなかったようです。

父は、狭い借家の唯一テーブルのある場所で、私の未完成のスケッチ画や習字を"監督” するのでした。

子どもの私は、何とか終わらせようと頑張るのですが、昼間は精一杯遊んでいるので程なく眠くなってきます。

そんな私に父は、顔を洗いに行かせたりするのですが、私の瞼は磁石のようにくっついてしまうのでした。

私は、夢か現実か区別がつかない意識の中に入り込み、気が付くと9月1日の朝を迎えていたのでした。

昨日の夜にスケッチ画を仕上げることができたかどうかも覚えていません。


そして、昨日の夜に睡魔と戦っていたテーブルの上には、明らかに私の手によるものではない「スケッチ画」が渇かしてありました。

私は、夏休みの宿題の全てを持って学校へ行き、うしろめたい気持ちでいつの間にか完成していた「スケッチ画」を担任の先生に提出していたのでした。


「子どもに甘い、何と親馬鹿な父親か… 」と、呆れられたかもしれません。

そう思われても仕方のない話です。

しかし、私が言うのも変ですが、父はただ単に絵を描くのが好きなだけだったように思えるのです。

気になる箇所に筆を入れたら止まらなくなったといった感じです。

我が子のためにではなく、描きかけの絵があったので自分が筆を加え仕上げたように思えるのです。


私はそうやって何度も危機を乗り越えることができました。