TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

2020年を振り返る

2020-12-31 14:26:00 | 日記


大晦日ですね。

朝、目が覚めると薄っすらと雪景色でした。

いろいろと大変だった2020年でしたが、最終日は真っ白い雪で綺麗に締めくくりです。


コロナ禍にあって、個人的にもやりたかった事ができなくなったりというのもありましたが、それ以上にコロナ禍であったからこそできた事、始めた事もありました。

2020年は、自分にとっては新しいスタートの年になりました。

家庭菜園もその一つですが、何よりブログをはじめたことが私にとっての大きな変化でした。

これまでも何度か大学時代の仲間から勧められていたのですが、そんなにマメな方ではないし、何より積極的に自分のことを発信する意義も感じてはいませんでした。

昨年、定年退職で職を退き、自分の好きなことをして自由に過ごしていました。

ところが、今年の4月からは殆ど自宅で過ごさざるを得なくなり、私にブログを勧めてくれた仲間のブログをじっくりと読ませてもらう日が多くなったのです。

日本を離れベトナムで頑張っている仲間が、コロナ禍にあって大変な中、前向きに日々を送っている現実を知ったり、その仲間を気遣い日本からブログを通してメッセージを送り続ける仲間の存在を知りました。


私が実際にブログを始めたのは6月からです。

大学時代からの仲間だけでなく、私の拙いブログを覗いてくれる人が他にもいて、有難いことにスタンプまで押してくれる人がいる。

遠く離れている仲間だけでなく、顔も見た事がないブロガーさんとの繋がりを感じることができました。

まだ半年しか経っていませんが、様々な考え方に触れたり、知らなかった世界を覗かせてもらうことができました。

「ブログをはじめてよかった!」

そう思える2020年でした。

2020年最後の日の私のブログは、父が描いた富士山で締めくくりたいと思います。




ブログを覗きにきてくれた皆さん、本当にありがとうございました。

どうぞよいお年をお迎えください。
















置き物は “年末年始バージョン” ?

2020-12-30 18:05:00 | 日記
今日は朝から作業部屋の片付けです。

ずいぶん前から少しずつやってはいたのですが、なかなか捗りません。

とうとう明日は大晦日なので、何とかカタをつけたいと思い、先程まで頑張ってました。

それでもまだ終わっていません。

『だから計画的にやれって言ってたでしょう!』と、
そんな声がどこからか聞こえてきそうです。



そんなこんなでブログも更新できず、今になってしまいました。

『木のカトラリー』も底をつき、すぐにupできるものもありません。

でも、何とか続けてきた “1日1ブログ” を欠かしたくもありません。


何を書こうかと悩んでいると… 、

「ありました! ありました!」

トイレの置き物が “クリスマスバージョンから別のものに代わっているではありませんか!

ということで、今日のブログはこれです。


作業部屋の片付けは明日も続きそうです。




今日の私は “一生不悟” 












父の思い出<模型飛行機>

2020-12-29 17:25:00 | 父の想い出
私の家は時計屋でしたが、お店の天井には父が製作した模型飛行機が幾つも吊り下げてありました。

ロウソクの炎で炙って曲げた竹ヒゴにロウでコーティングした紙を張り、ゴム動力で飛ばす模型飛行機の他に、軽いバルサ材を使った全長1mを超える大きな模型飛行機までいろいろありました。




小さい頃の私はお店の天井を見上げるのが大好きでした。

お正月には、父の作った模型飛行機を抱えて、父と一緒に飛行機を飛ばしに出かけたものです。

目の前に田んぼが広がる一段高くなった土手の上に立ち、空に向けて飛行機を放ちます。




手を離れた飛行機は、青い空に吸い込まれるように高く揚がり、ゴムの力がなくなるとゆっくりと頭を上下させながら風に乗る様に舞い降りてきます。

時には上昇気流を捉えて見えなくなるくらいに高く、遠くまで飛んで行き、回収できない飛行機もありました。




まだ小さかった私は、父の真似をして模型飛行機を作りますが、なかなか父の飛行機みたいによく飛ぶものはできませんでした。

そんな私に父は、「重心」とか「抵抗」とか「揚力」といった難しい言葉を使って飛行機の飛ぶ原理を説明しました。

理解できない話を聞いたところで、よく飛ぶ飛行機はなかなかできあがりませんでした。


父はきっと『物事の本質を捉える事の大切さ』を、まだ小さかった私に伝えたかったんだと思います。

それは今の私にとっても難しい事ですが、できる限り深く考察し、できる限り丁寧に物事を進めることを心掛けています。

それが父が私に教えてくれた事だと思っています。



我が青春の山<若杉〜三郡〜宝満 縦走>

2020-12-28 16:27:00 | 山行
私が本格的に山に登るようになったのは大学1年の秋からです。

中・高と球技関係の部活動をやっていたのですが、私の従兄弟がたまに会った時に聞かせてくれる山の話に惹かれ、大学では登山ができるW.V(ワンダーフォーゲル)部に入部したのです。

山岳部かW.V部かずいぶんと迷い、実際に入部したのは夏が過ぎてからでした。

他の新入生は春に入部し、夏合宿も経験していたので自分としては少し出遅れた感じと同時に馴染むまでの居心地の悪さも感じていたのでした。


私が入部した時期が、ちょうど秋のパート別ワンデリング(秋のパーワン)前で、私もいくつか出されていた計画に加わるように勧められました。

私は、1年生(S永、H田、T福)だけでパートを組んでいた3人から誘われ、それに加わらせてもらったのでした。




私はまだ登山靴も持っておらず、ユニフォームやニッカズボンもありませんでした。

そんな右も左も分からない時に登った最初の山が若杉山〜三郡山〜宝満山の縦走でした。

先輩もおらず1年生だけの打ち解けた雰囲気で、山仲間としての繋がりができた貴重な山行になったと思っています。

何と、この2年後の秋のパーワンで、H田とT福それに私の3人で穂高連峰〜槍ヶ岳の縦走を実現させるのです。

尚、その時の様子は『我が青春の山<穂高〜槍 縦走>前編・後編』に詳しく載せていますので、よければ覗いてみてください。

篠栗から入り若杉山に到着した辺りまでは順調だったように記憶しています。

縦走の途中から雨に降られ、運動靴だった私はぬかるみに足を取られずいぶん苦労しました。

それでも皆んなに迷惑はかけるまいと、ガスの中をただ下だけ見ながら黙々と歩きました。

宝満山は太宰府の裏山と言った感じで、夜になると福岡市の夜景が手に取るように見えます。

夕飯を終え、割れないよう寝袋に巻いて持ってきたウイスキーを飲んだ1年生4人組は、調子に乗って山頂の岩場から福岡の夜景を堪能したのでした。

しかし、その岩場を降りる段になりH田が足を滑らせ滑落寸前に!

幸いな事に、先行していたガタイのいいT福がガッチリと受け止めて事無きを得たのでした。


宝満山の麓に竈門神社があります。

「千と千尋の神隠し」を抜き興行収入1位になった「鬼滅の刃」の影響もあり、この竈門神社は参拝者が急増したとか… 、

私はどちらかと言うと太宰府天満宮の裏手にある “お石の茶屋” で頂く梅ヶ枝餅の方に惹かれますが… 。















半年咲いた千日紅も世代交代

2020-12-27 15:34:00 | 日記
12月の寒波で我が家の庭にも霜が降り、半年も咲き続けた千日紅もついに萎れてしまいました。


思い返せば4月末頃、生協さんから購入した3本の苗。


 “白鳥” になり損ねた “アヒルの子” もいましたが、炎天下の中でも健気に花を咲かせてくれました。



我が家の玄関前に植え替えた後も、舞台のセンターで花を咲かせ、


ナデシコやマリーゴルドに囲まれて、昨日まで咲き続けました。


千日紅の花には種子が残っているかなと思い残しておきます。

また春になったら庭に蒔くことにしましょう。


舞台のセンターが寂しくなりました。



ブルーデイジーとマーガレットモリンバとローゼンセマム(エルフホワイト)を買ってきました。


たくさん花が咲いたら、舞台のセンターに上がってもらいましょう。