TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

沖縄復帰50周年に思う

2022-05-15 20:09:00 | 独り言
第二次世界大戦は連合国軍の勝利というかたちで幕を下ろしました。

日本が降伏する前から、連合国軍の中でもすでにドロドロとした戦争終了後の主導権争いが渦巻いていたといいます。

第一次世界大戦はその舞台がヨーロッパであったため米国の領土は攻撃を受けなかったのですが、第二次世界大戦で日本軍はハワイの真珠湾を攻撃しました。

初めて自国への攻撃を受けた米国は、 “リメンバー・パールハーバー” を合言葉に国の威信をかけて日本を潰しにかかったのです。

そのような戦況の中、日ソ不可侵条約を破ってソ連が千島列島に進軍しあわや北海道をも手中にしてしまいそうな時に、米国は広島・長崎に原子爆弾を投下し、日本は無条件降伏を受け入れたのでした。

こんなふうに書き表すと、ソ連や米国はとんでもなく我儘な国で、我が国日本は米ソに対抗した哀れで可愛そうな小国と捉えられるかもしれません…

でも、日本で唯一地上戦が行われた沖縄では、大和人(ヤマトンチュ)による沖縄在住の人々(ウチナンチュ)への偏見や差別が数多く存在していたといいます。

沖縄を “捨石” としか捉えない感覚は、今でも米軍基地が沖縄に集中している現状として残っていると思われるのです。


私が小学生だった頃の記憶です…

ある日の朝、運動場に全校生徒が集められました。

朝礼台に上がった校長先生が、

「沖縄が日本に戻ってきます!」

と話されました。

その時の映像が今でも私の脳裏に焼き付いているのです。

“沖縄が日本に戻る” という意味が当時子どもだった私に理解できたかどうかはよく分かりません。

ただ、校長先生が私たちに向かってとても大切な話をしてくれているということは感じることができました。

だから50年経った今でも覚えているのでしょう。


沖縄には何度か行ったことがあります。

その度に、辛い過去も辛い現状も全て胸の奥に仕舞い込み、陽気に私たちを迎えてくれる “ウチナンチュ” の心の強さに頭がさがるのです。

沖縄は単なる観光地ではありません。

復帰50周年の日に、本当の意味で沖縄が “復帰” できることを願います。








奥飛騨の温泉にまた行きたい!

2022-02-09 19:24:00 | 独り言
9年前、山仲間の一人が定年前に長年勤めた仕事を辞めてベトナムに渡りました。

発展の途上にあるベトナムで頑張っている青年の力になりたいと決意してのことでした。

彼は家族に会うために夏と冬に日本へ帰国しており、その時に山仲間が博多に集まり彼を囲んで美味しいお酒を飲んだものでした。



この本は、その山仲間達とひと時の憩いを楽しむために8年程前に私が購入したモノです。

上巻と下巻に分かれていて、この下巻には奥秩父以南の山と温泉が紹介されています。

この下巻の表紙を飾っているのが奥飛騨温泉郷にある「新穂高の湯」です。

私が学生だった頃から知られており、私もずっと以前から行きたかった野趣溢れる温泉です。


私が実際にこの温泉に行ったのは、コロナ感染症がこの世に現れる前の2019年の秋でした。

一人で『涸沢・上高地キャンプ』に入る前日に浸かってきました。

タイトル画面はその時に撮った写真です。

あの本の表紙の写真通りの素晴らしい景観の中にあり、硫黄の匂いが強くお湯は透明で文句の付けようのない温泉でした。

温泉のすぐ隣は清流流れる渓流です。



私は、温泉の湯に浸かりながら渓流の上を吹く風を感じることができました。


今年の夏、コロナが落ち着いたなら、山仲間にも声をかけこの温泉に浸かりに行きたいと思っています。












Facebook『小梨平キャンプ場』

2021-10-28 14:38:00 | 独り言
2年前、涸沢と上高地にテント泊をして1人で穂高に登ってきました。

いくつもの幸運が重なり、61回目の誕生日の朝を涸沢カールで美しいモルゲンロートを見ながら迎えることができ、忘れられない日となりました。



急に思い立って行ったのではありません。

その数年前に学生時代の山仲間から「小梨平キャンプ場」の話を聞いたことがきっかけで、退職後の楽しみとして少しずつ準備して実現させた “夢の計画” でした。

その準備の一つとして、上高地や涸沢・穂高連峰の最新の情報を集めるためにFacebookを始めました。

そして、今でも一日一度は『小梨平キャンプ場』のFacebookを見ているのです。

『今日は晴れているかな… 』

『紅葉はどんな感じかな… 』

『もう穂高は雪を被ったかな… 』

 ・・・・・


次の2枚は小梨平キャンプ場のFacebookに載っていた写真です。

これは10日ほど前の、小梨平キャンプ場から見た穂高です。




そしてこれが2日前。




上高地の小梨平も冬景色を始めました。

キャンプ場も間もなく今季の営業を終了し、閉鎖されます。









トイレの日めくりカレンダー

2021-10-27 15:03:00 | 独り言
我が家のトイレには相田みつをさんの日めくりカレンダーが置いてあります。

かれこれ30数年になるのですが、朝トイレに行く時にはすでに新しいカレンダーに捲られているのです。

そうなのです。

毎日、連れ合いが朝一番にカレンダーを捲ってくれているのでした。

数日前の日めくりカレンダーです。



 捨てる

 どうでもいい

 ものから

 捨ててゆくんだね



私はなかなかモノを捨てられない

空き瓶や空き箱や木片まで、取り敢えず

『何かに使えるかもしれない』

と考えてしまい、ついつい取って置いてしまう。

でも、大概のモノは使われる事なく忘れ去られている… 

想い出も、過去も、全てを自分の中に仕舞い込んでしまったら、その置き場に困り自分自身が身動き取れなってしまうこともあるかも知れない。

『どうでもいいものから捨てていく』勇気も必要なのかも…


もう、何度も目にしている日めくりのカレンダーですが、見るたびに新しい気持ちにさせてもらっています。


日めくりカレンダーの脇に生けてあるオレンジ色の花… 、

その花が、一段と凛と感じてしまった朝でした。








『初心忘るべからず』

2021-06-21 09:00:00 | 独り言
タイトル画面にあるのは、我が家にある箸置きの一つです。

ふんぞり返っているコアラの腰の辺りに箸先を載せるのですが、寝ながらTVを見ているオヤジみたいに膝を片方だけ立てて横になっているコアラは愛嬌があり気に入ってます。



学生時代の山仲間から何度かブログに誘われ、1年前の6月にブログを始めました。

誘ってくれた仲間の一人が、コロナ禍もあり一人海外で大変厳しい状況にあることを知ったのが去年の5月でした。

ブログを通じ互いに近況を伝え合ったり、学生時代の思い出を振り返ることで、少しでも仲間の気が紛れればと思ったのでした。

たわいもない事でも、伝え合うことで互いに繋がっていることを実感でき、仲間の励みになればそれだけでよかったのです。

きっと、肩に力が入っていたのだと思いますが、初めてのブログの内容は何にしようかと随分と悩みました。

あからさまに、 “励まし” が表に出てしまうのは互いに息苦しくなるので自然体の体で、コロナ禍の中で取り組み始めた『グリーンカーテン』の話題で私のブログは始まりました。

今、考えると『仲間を励ますとは何と傲慢な考えあり仲間に失礼な事』であると思います。

でも、その時は『遠くにいてもあなたのことを見ていますよ! 仲間として繋がっていますよ!』と伝えたかったのでした。


スマホの操作に慣れていない私にとってブログを開始するまでの作業、特にプロフィール作成はドキドキものでした。



また、アプリの操作にも慣れず、苦労して書いた文章を一瞬にして消してしまったり、自分のブログに「イイね!」のスタンプを自分で押してしまうなど、毎日が緊張の連続だった事を懐かしく思い出します。

私をブログに誘ってくれた仲間は、私がブログを始めたことをとても喜んでくれましたし、激励の意を込めて毎回スタンプを押してくれました。

何と、励まされていたのは私の方でした。

そのうちに、アピールチャンス等で取り上げてもらうと、これまでとは比較にならないくらいの沢山の方々からの反応がありました。

そうなると、次第にアクセス数が気になりはじめます。




最初は気にも留めなかったランキングの変動も次第に気になりはじめました。

『遠くにいてもあなたのことを見ていますよ! 仲間として繋がっていますよ!』と伝えたくて始めたのに、毎日欠かさず投稿することが目的となってしまった気さえしてきたのです。


確かに、他のブロガーさんのブログを訪問することで私の知らない世界を知ったり、見方や考え方に触れ沢山の刺激を得ることができましたし、コメントやスタンプの交換で励まされ、また、不思議な繋がりも感じていることも事実です。


ブログを始めた時の気持ちと現在の気持ちは明らかに違ってきています。

今は “独り言” が “独り言” でなくなり、“自由人” が “自由人” でなくなっているのです。


ブログを始めてまだ1年しか経っていませんが、今が自分を振り返るチャンスと受け止めています。



東花壇では、去年と変わらず今年も朝顔の花が咲き始めました。