TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

一人で、大崩「おおくえ」に挑む … 【その❶】

2023-05-28 10:17:00 | 山行
先にことわっておきますが、これは5月になったばかりの頃に一人で行った山登りの話です…


大崩と書いて「おおくえ」と読みます。

宮崎県の北部にある山で、その山頂部自体はなだらかなのですが、そこに至るまでの行程に様々な困難と絶景が待ち構えています。

 “九州に唯一残された秘境” とか “九州随一の名峰” とか呼ばれている山なのです。


昨年の5月、山岳会のメンバーで祝子川(ほうりがわ)沿いに遡上し、北側から大崩山に登る計画がありました。

学生時代の山仲間から「大崩」の素晴らしさは聞いていましたし、渓魚が棲む「祝子川」も私にとっては魅力的な山域でした。

1年前、初めて登る「大崩」をより楽しむために登山雑誌まで購入し予習していたのですが… 



残念ながら、降雨によりその計画は中止せざるをえませんでした。

「祝子川」という川は、雨が降ると一気に水嵩を増し、激流が渦巻き、渡渉することができなくなるのです。

以前は吊り橋があったという話ですが、増水時の激流によって破壊され、現在では好天時の水量が少ない時に石伝いに渡るか、裸足になり水の中を歩いて向う岸に渡るのです。



登山者は登山口まで車でやってきているので、下山時もまた必ず「祝子川」を渡ることになるので下山時の天候も考慮し、意を決して入山しなければなりません。




そんな「大崩」に、今年、初めて登ってきました。

5月になったばかりの、アケボノツツジやミツバツツジが咲く頃でした。











学生時代の仲間たちと3年振りの登山【宝満山】

2023-05-09 16:49:00 | 山行
ブログにまとめるのが遅れてしまいましたが、コレは4月の山行です。


里帰り出産のために娘が3月下旬から家に戻ってきておりまして、何かと慌しい日々を送っています。

里帰り出産と言っても娘夫婦は同じ県内に住んでおり、これ迄もチョクチョク顔を見せに来ては泊まっていくような距離感です。


出産予定日は4月の半ばでしたので、

『娘も孫もまだ産院にいる間に… 』

と思い、コロナが落ち着いた時期の4月16日に、学生時代のワンゲル仲間と山に登る計画を立てました。

同期のワンゲル仲間とは2020年の1月に、温泉施設に泊まりがけで英彦山(福岡県)に登りました。

その際に、

「次の幹事はTANEさんにやってもらおう!」

と言う話になりました。

ところが、その直後から得体の知れないコロナ感染症が世界中に広がったために、ベトナムに戻った同期の山仲間も帰国できなくなったのでした。

もちろん、ワンゲルの同期会も開く事が叶わず、幹事を仰せつかった私としては3年間ずっとずっと肩の荷が降ろせない状況が続いていたのでした。

ベトナムの若者のために現地で日本語を教えていた仲間は、2021年の年末に当時ベトナム人も敬遠していた中国製のワクチン(効果が疑われ水ワクチンと呼ばれていたらしい)を一か八かで接種し、何とか日本へ帰ることができたのです。

私は、その仲間を囲みすぐにでも同期会を開き彼を労いたかったのですが、日本でもコロナの波はなかなか収まらず大勢が集まることは叶いませんでした。

他の同期の仲間には申し訳なかったのですが、2022年の4月に行った吉野桜へのリベンジ旅の途中20分間だけ彼との再会を果たし、また、コロナの波が一時終息した2022年の6月に私は彼と2人だけで宝満山登山を決行したのでした。

そして、2023年4月16日午前9:00。

『鬼滅の刃』のブームで聖地となった「竈門神社」の駐車場にワンゲル同期の6名と後輩2人の顔が揃ったのでした。





残念ながら都合がつかずに顔を見せる事ができなかった仲間もありました。



でも、学生時代の山仲間と久しぶりに再会が果たせた事は、ベトナムから無事に帰国できた仲間にとっても、その彼の元気そうな姿を目にする事ができた他の仲間たちにとっても、3年間も幹事を背負ってきた私にとっても嬉しい日でした。










三俣山の5日後には祖母山系へ【後編】

2022-11-09 14:28:00 | 山行
「通行止め」のバリケードを見た時点で私は、

『トンネルの向こう側に行けなかったら「楽勝コース」は無しだな… 』

と、直感的に考えました。

ベンツのハンドルを握っていたHさんと我が家を建ててくれた建築会社のMさんはに、

「黒金尾根を登って天狗岩を目指そう!」

と、即座に判断されたのでした。

『黒金尾根って下山ルートには使っても登りには遠慮したいとんでもない急登だよねー… 』

私はイヤな予感がしました。

でも、ベンツはすでに方向転換し、先程寄ったヨーロッパ風の山荘のすぐ下にある登山者用の駐車場に向かっていました。

そんな感じで、アッと言う間に「楽勝コース」のはずだった祖母山系山行は、とんでもない急登をひたすら登って行く「鍛錬コース」に変更されたのでした。

楽しみは、今夜泊まる薪ストーブのある山荘だけです。

長い急登も、



膝に負担がかかる帰りの急な下り坂も、



山荘で薪ストーブにあたりながら過ごすひと時を頭の中に思い描きながら足を出して頑張りました。



我々が泊まった山荘は、地元の材木をふんだんに使った温かみのある建築でした。



食事も地元で採れた食材を、山荘を経営されている奥様が心を込めて作られた絶品料理でどれもとても美味しかったです。



何より、薪ストーブの柔らかな暖かさは寝室まで行き渡り、朝までエアコンを入れずに快適でした。



もちろん、お酒を飲みながら苦労を共にした4人での語らいも格別なものでした。














三俣山の5日後には祖母山系へ【中編】

2022-11-08 17:43:00 | 山行
私が泊を伴う山行を行う場合、車中泊かテント泊でした。

『剱岳&甲斐駒ヶ岳』では計画にはなかった「雷鳥荘」に宿泊ましたが、あの時はズブ濡れになった結果の緊急避難でした。

薪ストーブがある山荘に泊まるということで、私は持って行く物に悩んでしまいました。

寒い時期の車中泊やテント泊では防寒を第一に持って行く物を選びますが、居心地の良い山荘に何を持って行くべきか迷ったのです。

そこで、山に登り時に背負うザックに詰める物と、山荘に持ち込む布のリュックに詰める物に分け、『あーでもない、こーでもない』と思案したのでした。

その結果、アルコール類やツマミは自分達で持ち込むことになっていたので、私は日本酒の7合瓶とつまみ各種と部屋着・着替えを布のリュックに詰め込みました。

どちらかと言うと、山登りより山荘で寛ぐ事に重点を置いた準備になってしまいました。

登山当日の早朝、車を出してくれるメンバーの家に4時前に着くと、乗せてもらう車は何と外車のベンツではありませんか!!

『こんな高級外車で祖母の登山口まで登って行くの??… 』

私は靴底の土を車内に持ち込まぬよう、注意しながら助手席の本革シートに腰を下ろしたのでした。

途中、メンバーを拾いながら祖母を目指します。

ベンツは、乗り心地が良いのはもちろんの事、ライトも対向車を感知してオーロラのカーテンのようにゆっくりと上下に向きを変えたり、左右の片側の光量を落としたり自動で行なうのですから驚きです。

山に登る前に高級外車に感動してしまいました。

「荒城の月」で有名な竹田市の岡城址を過ぎると狭い山道に入りました。

曲がりくねった山道を走り、もう少しでトンネルという辺りまで来たところにヨーロッパ風の山荘があります。

以前その山荘を利用していたメンバー(我が家を建ててくれた建築会社の会長さん)が、チョットだけ寄って行こうと言われたのです。

そのヨーロッパ風の建物を見た私は驚いてしまいました。



旧友でブログ仲間のtenzanbokkaさんのブログの中で目にした建物だったのです。

『こんな所まで足を運んでいたんだ… 』

私は、旧友が山への情熱を今だに燃やし続けている事にあらためて驚かされました。

ヨーロッパ風の山荘からでた私たちはこの後、思ってもいなかった事態に遭遇します。

あと少しでトンネルが現れると思われた頃、突然、目の前に「通行止め」のバリケードが道を塞いでいたのでした。














三俣山の5日後には祖母山系へ【前編】

2022-11-07 15:47:00 | 山行
40数年ぶりの山行は続きます。

10月13日に40数年ぶりの坊ガツルでテント泊。



10月23日に40数年ぶりの三俣山登山。



その5日後の10月28日には40数年ぶりに祖母山系の山に登り、その夜は麓に建つ山荘で素敵な時間を過ごしてきました。



「祖母山に一緒に登りませんか?」と、お誘いの連絡が入ったのは『坊ガツルテント泊』後で『三俣山お鍋半周』前のことでした。

メンバーは私も含め4人、登山後にメンバーの1人が最近常宿にしていると言う山荘です。

その山荘の写真は山岳会のLINEの中にもチョクチョク掲げられていて、

『私も一度訪ねてみたいなぁ… 』

と、思っていた山荘でもあったのでした。

また、祖母山は、私の成人式が行われていた日に縦走していた “少し切ない思い出が残る山” でもあったことから参加させてもらうことにしたのでした。

登山当日の詳細な計画が「三俣山」後に送られてきました。

祖母山までの移動時間が4時間かかるため、こちらを4時に出ても登山口に着くのは8時になります。

8時半に登山を開始しても登れる山やコースは限られてくるので、28日は “楽勝コース" で行くことに決まりました。

祖母山から傾山まで続く山並みを貫くトンネルの出口から登り始めると最小限の労力で尾根道に出られるのです。

紅葉が始まった尾根道を祖母山方面に3時間程歩いて往復し、車に戻るプランです。

トンネル出口から山荘まで車で1時間と考えると、山荘でゆっくりと寛げる計算です。

『20歳で登った祖母・傾の山は雪の中の行軍で大変だったけど、60代になり久しぶりに登る祖母山系は楽勝コース&ゆとりの山荘泊まりかー!』

私は40数年ぶりの祖母山系の登山にワクワクが止まりませんでした。