良かったですね。
わたしは性格的にあまり後ろを振り返らない人間なので、懐メロとかにどっぷりひたるのは抵抗があるんですが、(以前、友人に誘われた「舟木和夫」のコンサートは断りました。)どんな音楽であれ、今の自分が今のメッセージとして受け入れ聞いてみるという姿勢が当然と思っているので、そのように聞いてきました。
でもやっぱり、日本人には演歌の心が自然にしみ込んでるもんだという認識を新たにします。
メロディーが肌に馴染んで、落ち着くんですね、気持ちが。
さて、曲名の分からないのがボチボチあるのですが、簡単なレポートを。
最初は三人打ち揃って黒のスーツで決めて、コーラスで、オープニングにふさわしい曲でまずはご挨拶と言うところ。
前座とは言えませんね、ソロのトップバッターは山本譲二で「花も嵐も」「泣いたらいいさ」と歌ったところで軽いトーク。
最近、奥さんが冷たいと振っておいて、謎かけ。「ウチの夫婦仲」とかけて「治りかけのインフルエンザ」と解く。
その心は・・・熱が冷めたけど、咳(籍)が抜けない どっと爆笑で「綾小路きみまろ」の世界です。
うーっ、昼休み時間ではレポート完結無理みたい。続きは帰宅しての心だ。
で、ここから家でカキコですが、ステージもここで山川豊にバトンタッチ。
「アメリカ橋」「函館本線」と歌ったあとで、彼も「ぼくにはこの2曲しかヒット曲がありません。あとは皆さんの知らない曲です。」と自嘲ギャグを飛ばして再び山本譲二へ。
この時には着物に着替えてましたね。
「吉良仁吉」というタイトルかどうか、それと「みちのく一人旅」
かぶせてやはり「紗」の着物に着替えた山川豊が「名月赤木山」と百里千里を歩いても~♪の歌詞で調べました「旅鴉」を歌ったところで、やっと杉良太郎のお出まし。
黒地に白く(菊の?)花模様を配した、何とも派手な着物姿での登場でしたが、彼は着物のプロデュースを手がけてるんだそうで、「男の人生」1曲歌ってすぐ引っ込んだと思ったら、信じられない早替えで白い着物に着替えて「はぐれ道」、またまた早替えで「番場の忠太郎」、曲が変わるごとにすばやく着物を変えて、もみじを散らした着物の時は「夫婦詩」(だと思う)と贅沢な衣装替えを披露してくれました。
そして、ひととおりソロを回り持ちしたところで、後半はそれぞれイメージを生かしてデザインの違う真っ白のスーツに着替えて、ここは力を入れたい新曲のコーナー。
山川豊が「霧雨のシアトル」、山本譲二が「俺たちの春」。
余裕の杉良太郎は自分の曲はちょっと後回しにして、三人で藤圭子の「夢は夜開く」、裕次郎の「夜霧の慕情」(愛しても愛しきれない~♪ってヤツね)とハモったところで、今度はギターを持ち出して、田端義男の「かえり船」。
もうすっかり酔い心地といった感じ。
そして真打の杉さん、「矢立の杉」「すきま風」と盛り上げて、最後は三人で(タイトルわからない)繰り返し♪やっぱりふるさとというフレーズが出てくるコーラスで締めてくれました。
よくまとまった構成で好感の持てる演出という印象でした。
若いと思っていた山川豊が30周年、杉さんが45周年、山本譲二は御年59歳、杉さんが65歳と聞いて「ウワー」。
自分も一緒に年取ってきたということになるんですね。
余談なのですが、コンサートが終わっていっせいにみんなが出口の向かって歩いている道中、後ろから耳を疑うような会話が・・・。
「そこらの足元、気ぃつけよ。さっき、トイレが間に合わんでマケタ人がおって、床が濡れとんのよ。すべらんようにな」(・・・!?)
公共の場に出かける時は、粗相をしないように「ケア」を心がけましょう、お年寄りの皆様。
それとも、そうした気配りにすら年を取ると、頭が回らなくなるのでしょうか。
「人のふり見てわがふり直せ」ですな。
下はコンサート前に文化センター近くの「そば蔵」でいただいたもの。「天丼そば」です。
わたしは性格的にあまり後ろを振り返らない人間なので、懐メロとかにどっぷりひたるのは抵抗があるんですが、(以前、友人に誘われた「舟木和夫」のコンサートは断りました。)どんな音楽であれ、今の自分が今のメッセージとして受け入れ聞いてみるという姿勢が当然と思っているので、そのように聞いてきました。
でもやっぱり、日本人には演歌の心が自然にしみ込んでるもんだという認識を新たにします。
メロディーが肌に馴染んで、落ち着くんですね、気持ちが。
さて、曲名の分からないのがボチボチあるのですが、簡単なレポートを。
最初は三人打ち揃って黒のスーツで決めて、コーラスで、オープニングにふさわしい曲でまずはご挨拶と言うところ。
前座とは言えませんね、ソロのトップバッターは山本譲二で「花も嵐も」「泣いたらいいさ」と歌ったところで軽いトーク。
最近、奥さんが冷たいと振っておいて、謎かけ。「ウチの夫婦仲」とかけて「治りかけのインフルエンザ」と解く。
その心は・・・熱が冷めたけど、咳(籍)が抜けない どっと爆笑で「綾小路きみまろ」の世界です。
うーっ、昼休み時間ではレポート完結無理みたい。続きは帰宅しての心だ。
で、ここから家でカキコですが、ステージもここで山川豊にバトンタッチ。
「アメリカ橋」「函館本線」と歌ったあとで、彼も「ぼくにはこの2曲しかヒット曲がありません。あとは皆さんの知らない曲です。」と自嘲ギャグを飛ばして再び山本譲二へ。
この時には着物に着替えてましたね。
「吉良仁吉」というタイトルかどうか、それと「みちのく一人旅」
かぶせてやはり「紗」の着物に着替えた山川豊が「名月赤木山」と百里千里を歩いても~♪の歌詞で調べました「旅鴉」を歌ったところで、やっと杉良太郎のお出まし。
黒地に白く(菊の?)花模様を配した、何とも派手な着物姿での登場でしたが、彼は着物のプロデュースを手がけてるんだそうで、「男の人生」1曲歌ってすぐ引っ込んだと思ったら、信じられない早替えで白い着物に着替えて「はぐれ道」、またまた早替えで「番場の忠太郎」、曲が変わるごとにすばやく着物を変えて、もみじを散らした着物の時は「夫婦詩」(だと思う)と贅沢な衣装替えを披露してくれました。
そして、ひととおりソロを回り持ちしたところで、後半はそれぞれイメージを生かしてデザインの違う真っ白のスーツに着替えて、ここは力を入れたい新曲のコーナー。
山川豊が「霧雨のシアトル」、山本譲二が「俺たちの春」。
余裕の杉良太郎は自分の曲はちょっと後回しにして、三人で藤圭子の「夢は夜開く」、裕次郎の「夜霧の慕情」(愛しても愛しきれない~♪ってヤツね)とハモったところで、今度はギターを持ち出して、田端義男の「かえり船」。
もうすっかり酔い心地といった感じ。
そして真打の杉さん、「矢立の杉」「すきま風」と盛り上げて、最後は三人で(タイトルわからない)繰り返し♪やっぱりふるさとというフレーズが出てくるコーラスで締めてくれました。
よくまとまった構成で好感の持てる演出という印象でした。
若いと思っていた山川豊が30周年、杉さんが45周年、山本譲二は御年59歳、杉さんが65歳と聞いて「ウワー」。
自分も一緒に年取ってきたということになるんですね。
余談なのですが、コンサートが終わっていっせいにみんなが出口の向かって歩いている道中、後ろから耳を疑うような会話が・・・。
「そこらの足元、気ぃつけよ。さっき、トイレが間に合わんでマケタ人がおって、床が濡れとんのよ。すべらんようにな」(・・・!?)
公共の場に出かける時は、粗相をしないように「ケア」を心がけましょう、お年寄りの皆様。
それとも、そうした気配りにすら年を取ると、頭が回らなくなるのでしょうか。
「人のふり見てわがふり直せ」ですな。
下はコンサート前に文化センター近くの「そば蔵」でいただいたもの。「天丼そば」です。