写真は1枚目、GACKTのコンサート行ってた会社の若い子のお土産、2枚目お客様からいただいたもち吉のおかき、3枚目いとこン家からもらった四国宇和島の土産、真珠会館の「人魚のなみだ」。土産はいずれもクランチでした。
さて、明日から村上龍に変わって、渡辺淳一の新聞小説が始まる。
連載開始に先立ち、先日、作家からのコメントが紹介されていたが、78歳となる渡辺氏、「不能」になってしまったとあっけらかんと告白していた。
年齢が年齢だけにいやらしさや深刻さはないもののそれを言う必要があるのかと新聞に載っている目じりの下がった「好好爺」的相貌を眺めると、それでも先入観の成せる術かどことなくエロい雰囲気が漂っているように感じる。
一方、「この道」の連載を終えた瀬戸内寂聴。
連載中には、時々若い頃の自身の写真が掲載されていて、美人とは言いがたくとも、それなりに柔らかい女性の色香というものが滲み出ていたのだが、90歳という高齢にあっては性はほぼ超越してしまってるといってもいい。
しかし、これも余計な先入観のせいか、パワフルで元気であるのは素晴らしいことだが、何だか人相が俗物化してきているというか、品性にいささか欠けるイメージがあるのは何故だろう。
片や眉毛がほにょりと下がり、片や眉毛はつり上がっている。
人生後半には生き方が顔に出るというが、その生き方の評価も人様々である。
作家も百様、人も百様。
しかし、各人が信念を持った生き方をしていれば、他人が口を差し挟む余地はない。
私達は誰しも自分の好みのもので周りを固めて生きていくものだから、真実は見えにくいし、交わらぬものは決して交わらない。
何が言いたいの~?って自分でも分からなくなっちゃったので、またね。