田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、カード収集、旅、日々のあれこれなど。

喫茶&ギャラリー水塚(みづか):野田市

2018年02月25日 | 古民家っていいなぁ。(千葉県内)
昨日はあーちゃんと野田市(旧関宿町)の喫茶&ギャラリー「水塚(みづか)」にランチを食べに行って来ました。
野田市は千葉県の最北端にあり、関宿地区は野田市の中でも最も北にあります。
NHKEテレで放送された「ふるカフェ系 ハルさんの休日」(全国の古い建築を再生した“ふるカフェ”を訪ねるドラマ)で主人公の真田ハル(俳優:渡部豪太さん)が訪れた古民家カフェです。

入口の手づくり看板。



こちらの古民家カフェは昭和26年に建築され、築66年になります。大きさは妻側が2間、正面が5間、塚の高さは2m位でしょうか?

裏側から見た水塚。窓は後付けです。壁の下部が板になっていますが、水害で壁が崩れ落ちないように板で覆っているそうです。
上部は漆喰仕上になっています。
関宿地区は、江戸川と利根川に挟まれたところにあり、昭和の中期まで多くの水害に遭ったため、洪水に備えて、母屋とは別に盛土の上に「水塚」(避難小屋)を造ったそうです。

1階が食料備蓄庫(米蔵、味噌蔵)、2階が洪水に備えて、水が引くのが長くなると、ここで生活をすることになるため、家財道具など日用品を置き、普段の生活が営めるようにもしてあったとのこと。

母屋

カフェの入口



照明も昭和レトロな感じがいいですね。

すぐ近くに江戸川の堤防が見えます。庭には寒い中きれいな黄色い花が咲いていました。

福寿草(キンポウゲ科)多年草

春、一番早く花を咲かせるロウ細工のような花の蝋梅(ろうばい)(ロウバイ科)落葉低木
1階の客席。ご主人が定年退職後にコツコツとリフォームしたそうです。

キッチン部分の天井

一人で行ってもくつろげるカウンターの客席とキッチン。

客席の天井。66年前の天井とは思えないほど新しい木材です。カフェにする時サッシの窓を付けたそうですが、以前は窓がなく日が入らなかったため木材が日焼けしていないとのこと。

今日頂いたランチセット(ランチ:800円+コーヒー:180円)は、料理上手な女将さんの家庭料理。
ボリューム満点で器がお盆からはみ出ています。全部で9品ですがどれも美味しく頂きました。
さすがの私でも満腹になり大変満足しました。

ランチは予約して行った方がいいようです。また、臨時休業もあるようなので事前に電話で問い合わせをしてからどうぞ。

ランチだけではなく、飲み物も大変リーズナブルです。

食後は2階を見せていただきました。陶器などの販売や古い物なども展示されています。

2階からは天気の良い澄んだ冬の日などはスカイツリーや富士山も眺望できるそうです。

建物の壁や周辺には蔵の中にあった古民具がさりげなく置かれています。

粉や米などを突く器具の歯車のようです。

水車。田んぼに水を入れる時に使う道具。

こちらの舟は「上げ舟」。洪水の時、救助や避難に使われました。


帰りがけに日本一煎餅処「喜八堂」本店(八重洲地下街店などもあります)に寄り、せんべいを購入。

喜八堂は1927年東京神田で創業した老舗のせんべいや。保存料や着色料等の添加物、旨味調味料を使用しない本格的なせんべいにこだわっているそうです。店に入ると何も買わなくてもすぐにお茶が出てきます。

店内は手焼きせんべいの香ばしい匂いが漂い、土間づくりの店内には雛段飾りがありました。

購入した種せんべい「揚げ焼き」、「話の種」。











手賀沼:柏市、我孫子市、印西市、白井市

2018年02月18日 | 日本っていいなぁ(花とみどりと遊びのスポット)

昭和30年代以降の都市化の影響で「手賀沼」は環境省による公共用水域の水質測定結果で、水質は全国ワースト1位いう汚名を拝していました。

平成28年度時点でワースト3位ですが行政と地元の努力で徐々に改善が進んでいます。

手賀沼周辺は江戸時代には、鰻や雑魚・鴨や鶏卵・野菜などが江戸に運ばれ、江戸人の台所を潤してきました。

(撮影日:平成16年10月23日)

また木下(きおろし)から出た「木下茶船」は八人乗りで、香取・鹿島の三社参りや潮来・銚子までの行楽として江戸人に人気がありました。
手賀沼周辺は、成田山と共に最もポピュラーな観光スポットでした。

我孫子市は「北の鎌倉」と称され、古くから著名人が住んだり、別荘を建てたりしており、志賀直哉、武者小路実篤らの白樺派が生まれた場所としても知られています。

手賀大橋」 全長415メートルの11連アーチ橋で、国道6号線と16号線を結ぶ4車線の橋です。

(平成9年8月 新手賀大橋完成(暫定2車線)、平成13年3月:4車線化完成)

手賀沼は昭和20年頃までは、鰻の有名な産地で「手賀沼の鰻は極上!日本一!」とまで言われ、江戸の鰻屋でも珍重されていたそうです。

その影響から、現在でも手賀沼湖畔には多くの鰻屋さんが残っています。

かつては年100トン以上収穫できた手賀沼の鰻も、江戸時代から続く干拓による内水面の縮小、昭和の水質汚染などの影響で、現在では手賀沼産の鰻を食べることはできません。

手賀沼親水広場「水の館」。水に親しむ機会を通して手賀沼の水環境保全の大切さを感じてもらうことを目的とした施設です。

農産物直売所や飲食等の施設も併設されています。

我孫子市鳥の博物館」。人と鳥の共存をめざしてをテーマに、国内で初めての鳥だけを扱った博物館として、平成2年5月22日に開館しました。

直ぐ傍には「山階鳥類研究所」もあり、’紀宮清子内親王 黒田清子さん’が客員研究員を勤めていたことで知られています。

カッパの像」(撮影:平成16年6月)名前はあれぇ?、それーっ!!、おやっ?、ほぉーっ!と言うそうだ。

像の作者は、渋谷駅の初代忠犬ハチ公像作者安藤照氏の孫、馬場ゆう子氏

13,500発(平成29年)の花火が湖面を照らし、夏には欠かせない風物詩となっている「手賀沼花火大会」が開催されます。(柏市会場と我孫子市会場)

手賀沼湖岸にある「北柏ふるさと公園」及びその周辺で撮影した花々。

ピラカンサ(ピラカンタ)」(別名:トイワサンザシorタチバナモドキ) バラ科トキワサンザシ属

リナリア」(別名:ヒメキンギョソウ) オオバコ科ウンラン属

ダイアンサス」(別名:ナデシコ、セキチク) ナデシコ科ナデシコ属

シルバーリーフの「ガザニア」(別名:クンショウギク) キク科クンショウギク属

オキザリス」(別名:ハナカタバミ) カタバミ科カタバミ属

八重咲きの「サトザクラ(里桜)・種名不詳」バラ科サクラ属(※八重桜は八重咲きになるサクラの総称です)

スパラキシス・トリカラー」 アヤメ科スパラキシス属 

シバザクラ(芝桜)」 ハナシノブ科フロックス属 (撮影日:平成21年4月18日)

案内図の中央が手賀大橋。柏側には道の駅「しょうなん」があります。

柏市岩井新田地先の手賀沼にあるハス群生地。

ハスは早朝に咲き、昼には閉じてしまいます。奥に見えるのが「水の館」です。



奥に「手賀大橋」が見えます。

左がハス群生地、右は「県立手賀沼自然ふれあい緑道」。サイクリングコースにもなっています。

群生地にせりだすように見学用の木道も設置され、ハスを間近で見ることができます。

※(追録)2020年には群落が消失し、ごく一部で生育が確認される程度になってしまいました。

手賀沼のほとり、我孫子市根戸新田の花ハス(休耕田で育てているようです。)

ミソハギ(禊萩)」別名:ボンバナ(盆花)ミソハギ科

ハス’グウシレン’(蓮’藕糸蓮’)」スイレン科







今日も竹を伐採しました。

2018年02月17日 | 昭和の杜で田舎暮らし
今日は天気も良く、風もあまりないので作業日和です。
やり残しの竹を伐採をしましたが、まだまだ大量に残っています。。

伐採した竹は前回の分と合わせるとかなりの量になります。

前回の分

枝を払うのも一苦労です。(今回の分)

前回の分

まだまだ竹藪です。何時になったら竹林になることやら?

以前紹介した梅は満開を過ぎましたが、

別の品種の梅が咲き始めました。



こちらは紅梅ですがかなり蕾が膨らみ始めました。来週には見ごろになると思います。

庭の杉の木から、間もなく花粉が飛び始めます。花粉症の身には辛い季節がやってきます。やれやれ!

「キリンソウ(黄輪草)」(ベンケイソウ科:多年草)の新芽も大きくなりました。

満開になるとこんな感じです。(撮影日:平成20年6月8日)




篩(ふるい)

2018年02月13日 | 田舎暮らしと道具
篩とは穀物、粉、砂など顆粒(かりゅう)状のものを、その大きさの精粗によってえり分ける道具です。

その形状は、浅い円形・方形で、普通、曲物(まげもの)・木枠(わく)の底に、馬毛・針金・竹・籐(とう)などの網、または絹・麻などの布帛(ふはく)を張ります。これを使用する際は、この網または布帛の上に穀物などの選別すべき顆粒をのせて振り、網目を通過するものと、しないものとに分けます。網目の粗いものをトオシ、細かいものをフルイと呼びます。

写真は角型の篩です。
木製で土・砂などに混じった石やゴミなどを篩う(ふるう)ために購入しました。




下の写真は、丸型の木製篩です。納屋の奥にありました。





米麦貯蔵器(べいばくちょぞうき)

2018年02月13日 | 古民具っていいなぁ。
「米麦貯蔵器」と言います。ねずみや害虫などを防ぐためアルミや総ブリキ製で出来ています。
種子貯蔵用・飯米用・米櫃用と側面に書いてあるのでこれらのものを貯蔵するためにの缶だと思います。

これはアルミで出来ているらしくすごく軽い物です。

農業協同組合が農家向けに販売していたものだと思います。大正時代後期から使われ、現在でも使用している農家がいるそうです。

穀物を上の投入口から入れ、取り出しは下部の取り出し口となっています。

「正三俵入」と書いてあるので、3俵(60kg×3俵)で180kgのお米を入れることができるのかも? もっと入りそうですが?

何かにリメイクできないかなあ? 思案中!