みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 梅やん、府殿〜加州〜大用知地区を回る。

2020-02-10 03:23:00 | 日記


初めて雪が実家の周りに1〜2センチ積もりました。



カシドマルは白く輝いています。庭に梅やんが出て来て、「あの山へササキの山仕事に朝の6時前に出て行ったものじゃ。そのあと、1番上のセツ姉が子どもらの弁当のおかずは皆の分を入れて学校へ行ってくれて助かったわ。」と普通に私に話してくれました。私が、あの山からうちの家が見えただろうと尋ねると、「よくみえたわ」と、珍しく親子の会話が成り立ちました。私には、まだ小学校へ上がる前にユキ妹と2人が、父母の仕事場近くの小川で水遊びをした記憶があります。雪の下で小さなアメゴの子が泳いでいた事を思いだしました。同じ遥か60年も前の記憶が親子の間には確かに残って存在するのです。


チイ叔母から電話があり、卵をくれると言うので梅やんを連れてもらいに行きました。



チイ叔母宅には福寿草や海の花が咲いています。
娘のシーちゃんが帰っていて4人でコーヒーとお菓子をいただきました。


府殿の家を出たあと、お天気が良かったのでそのまま町道を加州と大用知へ回って国道に出ることにしました。


大用知地区は平成16年に大災害の土石流に流されました。ここでご夫婦が亡くなっています。あの災害の時は、在宅酸素療法中の父リキさんも停電による脳の低酸素血症のため避難中に亡くなりました。


険しい追っ立の山々。


大用知の滝。めったに見れない景勝地です。その上に広い集落があります。


加州、大用知を巡って帰ってきた梅やん。


1日が暮れて行きます。


梅やんの夕食は、コメは東祖谷山のキタさん、スリダイコンはヒソウネのトヨちゃん、卵焼きはチイ叔母、イワシは徳島市のセツ姉からそれぞれ頂いたもので作りました。味噌汁とお茶は自家製です。お茶の葉は実家で生産したものです。


梅やんを夜中の1時半に起こして夜用の紙パンツに履き替えさせました。
私は目が覚めたのでこの『介護日誌』を書きました。これからの時間帯が梅やんの尿はたくさん出るのです。
それでは、今日は良い日になりますように。