みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 神山のトイレ

2020-09-05 00:55:00 | 日記


沢谷からは勝浦や神山へ県道が通じております。

昨日の朝、梅やんは9時過ぎに家を出てから1時間、神山の峠を下ったところでトイレ休憩しました。



5分待っても出てこないので覗いてみたら、紙パンツに大を失禁して手につけて難儀しておりました。私は持っていたタオルを二つに裂き水に濡らして、身体の清拭用とトイレの清掃ように使いました。予備の紙パンツに替えさせて、汚物はプラスチックの袋に入れて持ち帰ります。10年近くもこのトイレを利用していると、清掃のおばちゃんを知っているし、次の人が気持ちよく使えるようにしておかなくてはなりません。


約30分遅れで、セツ姉との待ち合わせ場所に到着しました。


梅やんはセツの車に乗り換えて徳島市へ向かいます。


梅やんにもいろいろと負担をかける実家療法です。1時間ほど車で走れば沖洲に着きます。
神山のトイレはありがたいトイレです。認知症になるとこのように大便の失禁があります。
トイレには神様が居ると歌われています。お陰さまで梅やんは助かっております。
それでは今日はこの辺で。







みなみの梅やん介護日誌 真剣に話す夜の梅やん

2020-09-04 07:01:00 | 日記
昨日も梅やんは無事にデイサービスに行って来ました。私は丸一日かけて実家のトタン屋根の両側にヤギが入らぬように柵を設ける作業をしました。材料はチイ叔母宅からもらって来ました。チイ叔母は「この頃、電気の灯りの周りにワカメがいっぱいつってあるような幻視が見える」と言っておりました。多分、それは薬の副作用だろうと思うと私は言ってあげました。


夜、梅やんはチイ叔母に電話をかけて話しています。書いて貼ってある番号を見てかけることができるし、話も当たり前にしております。周囲は洗濯物を畳んで山のようになっておるのが気にかかりますが、梅やんはつまえることができないのです。
そのあと、私が居間で横になっていると、「大きな男が毎晩来て飯食べて、お金は一銭も持ってくるんでなし、本当に明日の朝は飯食べたら出て行っておくれよ。」と言い出しました。私も梅やんに合わせて、ほんならそうするわ、と答えて先に寝ることにしました。


神奈川にいる娘からマスクと孫たちの手紙が、木沢の実家へ郵送されて来ました。
「毎日お疲れ様!コロナ、油断せずにきをつけよう!」と。


折り紙は1番下の孫が折ったものです。ツユムシかな。
秋の運動会は10月半ばだそうです。運動会だけでも日帰りで見に行ってこようか。コロナにかかれば私の方が入院で重症になればそれきりだろうな、と思う今日この頃です。
今日は金曜の移動日です。神山でセツ姉と待ち合わせて、梅やんを一晩見てもらいます。
そうだ、セツと言えば、昨日のこと、四季美谷温泉でセツの同級生平山のミキちゃんの旦那と偶然に会いました。三好市池田町漆川の出身でした。白地にあった大西城の主人の子孫、オオニシカズアキさんの子孫だそうです。私も三好市から来ているからこれは奇遇でした。11月から小畠の家を直して建てて住めるようにするので、地下足袋王子に水の利用の段取りを頼んできたそうです。
それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 往復5時間

2020-09-03 05:48:00 | 日記
一昨日書いたはずのこの表題の記事が消えてしまいました。私が誤った操作をしたのでしょう。主旨は、私が往復5時間かけて井川町へ行って来たこと、梅やんはその間にデイサービスに行き帰りしていたことでした。





みなみの梅やん介護日誌 診療所にて、9月1日。

2020-09-02 05:25:00 | 日記
昨日は晴天でした。前夜0時半まで起きていた梅やんは、朝も元気に県道まで歩いて坂を上り、そこからデイサービスの迎えの車に乗って行きました。4時から木沢診療所へ2週間ぶりに行ってみると、患者さんが多くいて午後の29番目でした。


受付では、近付けると体温を感知する体温計で体温測定、マスクの着用、待合の椅子は1人分を開けて新型コロナ対策をしていました。私が梅やんの付き添いを始めた9年前には数多くの高齢の方が待合室に居ましたが、今は少なくなりました。
上沢谷から梅やんより上の90歳代の夫婦が1組、娘らしき人の送迎の車で買い物袋をいっぱいにして、私たちより先に帰って行きました。奥から来ていたのはそことウチだけでした。


2週間分の薬をもらって帰宅すると6時を回っておりました。日が短くなり、沖縄方面で発生した台風の影響で夕方には雲行きが怪しくなりました。


今夜の夕食時にも梅やんは、私が少し目を離した隙に、味付けをして出したキュウリとキャベツの中にお菓子を砕いて入れて混ぜまくり、沸かして茶葉を入れて置いたヤカンには即席のあさげ味噌汁の具の袋を切って入れています。
また説教してみると、「ここはワシのウチじゃ!好きなようにする!お前は出て行け。ワシらが働いて建てた家をお前は取るつもりでおるんか?」と反論してきました。
もう、9月に入りました。来年が限度だろうなあ。阿呆の梅やんをどのように見て行くか。
まあ、兎に角、今日は私が早く家を出て三好市へ。梅やんはデイサービスです。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 多忙な月末の移動

2020-09-01 05:37:00 | 日記



梅やんは昨日の朝、池田のデイサービスへ行きました。私は昼には高知県境に近い三好市山城町で最後の集金をして、写真を一枚撮りました。向こうの山は西祖谷の鶏足山です。標高は900メートル。山田にも稲が色づき始めておりました。
午後2時半から私は、右手人指し指関節にできたガングリオン粘液嚢腫の除去手術を池田の大和外科でしてもらいました。


午後3時半を過ぎて梅やんをデイサービスへ向かいに行き、そのまま歯科で梅やんの最後の歯の治療をして貰いました。
それから私の車は上板インターまで高速道を走り、石井町から神山道へ回り木沢へ向かいました。


神山のコンビニ店で夕食弁当を買う頃には日が暮れかけました。これから土須峠を目指します。


雲早山に丸いお月さんが出ました。このような景色も私たちのような事情がある者にしか見えないと思えばまたありがたいことです。


標高900メートルの峠道を照らす雲そうの8月31日の月。
峠ゆく 老母の愁ひ たれぞ知る 雲そう山に出でし月かも。南岳法入信士 作

実家には8時前に着きました。ヤギたちが無事なのを確認してから、遅い夕食になりました。鶴瓶の家族に乾杯というテレビを見ている梅やんです。
この後、梅やんは12時半まで台所をウロウロして寝ませんでした。私にタオルでしばかれてやっと寝ました。
今日の私は休養日、午後4時から梅やんを木沢診療所受診させます。梅やんは休まずに木沢デイサービスへ行きます。
それでは今日はこの辺で。