■シューティング・ウォー
SHOOTING WAR
(アメリカ、2000年)
Richard Schickel producer
Douglas Freeman co-producer
Steven Spielberg executive producer
劇映画のメイキング映像は多いが、この作品のように、ドキュメンタリー映像のメイキング映像というのは珍しい。しかも、ドキュメンタリー映像といっても特定のドキュメンタリー映画ではなく、第二次世界大戦という世界的出来事を報道する多くのニュース映画だ(ただし、最初に紹介されたジョン・フォード(超有名!)の『真珠湾攻撃』のような、特撮をまじえた映画作品(戦意高揚映画)のメイキングも含まれている)。それらニュース映画を撮った多くのカメラマン(ハリウッドの映画監督が中心)についてのメタ・ドキュメンタリーが本作品。メイキングの現場が実際の戦場という、究極のドキュメンタリー・メイキングである。
ただし、アメリカのカメラマンの活躍を伝えた作品なので、太平洋戦争と西ヨーロッパ戦域がメインで、独ソ戦争、日中戦争などは扱われていない。もちろん、日本、ドイツ、ソ連なども戦場カメラマンを動員し、それぞれの国の視点での膨大な記録フィルムが残されている。
カメラマンが死亡した現場としては、空母ヨークタウン、ノルマンディー、硫黄島が紹介された。カメラマンの一人が語っていたが、ハリウッドの人間が入り込むことは部隊内では歓迎されなかった傾向があるようだ。カメラマンは直接の戦力ではないので、戦闘の勝敗に貢献することはない。にもかかわらず、カメラマンの動きを軍がバックアップし、真っ先に上陸させるなどの投資をするところに、「軍事・政治より文化」の大局観が働いている。戦争が終われば、銃や爆弾よりも記録映像こそが最も重要な財として歴史を形作ってゆくのだからである。
太平洋戦域が撮影に好都合だったのは、狭い島での戦いが多いためということだった。
さまざまな演出も証言された。撃墜機の残骸に改めて放火して撮影したり、アメリカ兵にドイツ兵のふりをさせたり、爆発の瞬間にカメラを地面に叩きつけてフレームを振動させて臨場感を出したり、凱旋パレードを華やかにするために市民の女性たちに兵士にキスするよう頼んだり。他にも、演出とは言えないが、味方の損害を伝えるのにフランス兵は映してもアメリカ兵の死体は映さなかったり、敵国人についても、子どもの死体は公開されなかったりという統制が働いていたことが証言された。
こうしたメタ・ドキュメンタリーは、「撮ること」をテーマとすることによって、内容に注意が向きがちな観賞者の意識を映像そのものの層に(つまり表層に)差し戻し、つなぎ止める作用を果たす。映像表現の手法や効果だけでなく、撮る側と対照との相互作用がこれほどまでに露呈するメイキングは、戦場の映像ならではの特殊形態と言えるだろう。
次回は、戦場カメラマンとして活躍したアメリカ人女性、ヒトラーの秘書を務めたドイツ人女性、ドイツ占領下のレジスタンス活動家であるフランス人女性、親ナチスの家庭に生まれたイギリス人女性ベストセラー作家、の4人を並行的に追ったドキュメンタリー映画を観ます。
SHOOTING WAR
(アメリカ、2000年)
Richard Schickel producer
Douglas Freeman co-producer
Steven Spielberg executive producer
劇映画のメイキング映像は多いが、この作品のように、ドキュメンタリー映像のメイキング映像というのは珍しい。しかも、ドキュメンタリー映像といっても特定のドキュメンタリー映画ではなく、第二次世界大戦という世界的出来事を報道する多くのニュース映画だ(ただし、最初に紹介されたジョン・フォード(超有名!)の『真珠湾攻撃』のような、特撮をまじえた映画作品(戦意高揚映画)のメイキングも含まれている)。それらニュース映画を撮った多くのカメラマン(ハリウッドの映画監督が中心)についてのメタ・ドキュメンタリーが本作品。メイキングの現場が実際の戦場という、究極のドキュメンタリー・メイキングである。
ただし、アメリカのカメラマンの活躍を伝えた作品なので、太平洋戦争と西ヨーロッパ戦域がメインで、独ソ戦争、日中戦争などは扱われていない。もちろん、日本、ドイツ、ソ連なども戦場カメラマンを動員し、それぞれの国の視点での膨大な記録フィルムが残されている。
カメラマンが死亡した現場としては、空母ヨークタウン、ノルマンディー、硫黄島が紹介された。カメラマンの一人が語っていたが、ハリウッドの人間が入り込むことは部隊内では歓迎されなかった傾向があるようだ。カメラマンは直接の戦力ではないので、戦闘の勝敗に貢献することはない。にもかかわらず、カメラマンの動きを軍がバックアップし、真っ先に上陸させるなどの投資をするところに、「軍事・政治より文化」の大局観が働いている。戦争が終われば、銃や爆弾よりも記録映像こそが最も重要な財として歴史を形作ってゆくのだからである。
太平洋戦域が撮影に好都合だったのは、狭い島での戦いが多いためということだった。
さまざまな演出も証言された。撃墜機の残骸に改めて放火して撮影したり、アメリカ兵にドイツ兵のふりをさせたり、爆発の瞬間にカメラを地面に叩きつけてフレームを振動させて臨場感を出したり、凱旋パレードを華やかにするために市民の女性たちに兵士にキスするよう頼んだり。他にも、演出とは言えないが、味方の損害を伝えるのにフランス兵は映してもアメリカ兵の死体は映さなかったり、敵国人についても、子どもの死体は公開されなかったりという統制が働いていたことが証言された。
こうしたメタ・ドキュメンタリーは、「撮ること」をテーマとすることによって、内容に注意が向きがちな観賞者の意識を映像そのものの層に(つまり表層に)差し戻し、つなぎ止める作用を果たす。映像表現の手法や効果だけでなく、撮る側と対照との相互作用がこれほどまでに露呈するメイキングは、戦場の映像ならではの特殊形態と言えるだろう。
次回は、戦場カメラマンとして活躍したアメリカ人女性、ヒトラーの秘書を務めたドイツ人女性、ドイツ占領下のレジスタンス活動家であるフランス人女性、親ナチスの家庭に生まれたイギリス人女性ベストセラー作家、の4人を並行的に追ったドキュメンタリー映画を観ます。