【連載】腹ふくるるわざ㉖
ワクチンで感染者は減るのか
桑原玉樹(まちづくり家)
まん防終了
まん防(まん延防止重点措置)が3月21日で終わった。図1のようにオミクロン株による新規感染者数は減少スピードこそ緩やかだが、2月上旬にピークを迎えて以来減少している。
▲図1
減少スピードが緩やかな理由として、次のことが大きいと専門家は指摘している。
●3回目のワクチン、追加接種が遅れたことで高齢者への感染が続いた。
●これまでにない規模での子どもたちへの感染が続いている。
ワクチンの追加接種と5~11歳児への接種を進めたいという思惑が見え見えだ。本当に追加接種の遅れが減少スピード低下の原因だろうか。ワクチン接種が進めば新規感染者数は減少するのだろうか。
札幌医大 フロンティア研 ゲノム医科学が毎日発表している「人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移【世界・国別】」のグラフ(以下の図2~5)が興味深い。
ワクチン完全接種率と感染者数
図2は、世界各国の完全(2回)接種率と新規感染者数の関係を示すグラフだ。
▲図2(3月19日作成)
接種率が上がるにつれてグラフは右肩下がりになりそうなものだが、そうはなっていない。ウイルスがデルタでもオミクロンでも、ワクチンがファイザーでもモデルナでも、流行すれば接種率とは無関係に感染者数は増加しているようだ。
ワクチン接種の先進国イスラエルでは、接種率が50%を超えると新規感染者数は劇的に下がった。
ところが、その後新たなウイルス株が出てくるたびに増減を繰り返した。お隣の韓国なんかは接種率こそ87%程度で世界1だが、感染者数も世界1。接種率80%までは新規感染者数はほとんど変わらず、80%を超えたとたんに急増するという皮肉な状況である。
ワクチン完全接種率と死者数
次の図3は、完全(2回)接種率と死者数のグラフだ。ワクチンで重症化が防げたのだろうか。
▲図3(3月19日作成)
図2と似ている。50%までは徐々に下がっているように見えるが、この時期は多くの国ではデルタ株出現の前で、ワクチンとは無関係に単に感染者数、死者数が減っていただけのようだ。デルタ株、オミクロン株が出てきたら、ワクチン接種率が進んでも死者数は増加している。
ワクチン追加接種回数と感染者数
さて、今日本で進められている追加(3回目)接種の効果は、世界ではどんな具合だろうか。
図4は、追加(3回目、4回目)接種回数と感染者数の関係だ。
▲図4(3月19日作成)
あれあれ「ブースター効果」があるどころか、少し右肩上がりになっている。ワクチン先進国イスラエルは50を超えたあたりから急増。韓国も50を超えたあたりから感染者数はぐんぐん伸びている。
ワクチン追加接種回数と死者数
次の図5は、追加(3回目、4回目)接種回数と死者数の関係だ。テレビでは専門部会や専門家と称する人が「ブースター接種は重症化を防ぐ」と言って、追加接種を強く勧告している。きっと右肩下がりになっていることだろう。
▲図5(3月19日作成)
あれれ? ちっとも下がっていない。図4と似たような傾向になっているではないか。イスラエル、韓国は50あたりから急増しているのだ。そのほかの国も若干だが右肩上がりである。
とっくに見えていた収束
ところで図1は私が毎日のNHKデータをもとに作成した千葉県、東京都、沖縄県、全国のグラフだ。
すでにこのブログでも紹介したが、その後昨日までのデータを入れて修正した。
●オミクロンの感染速度(増加率)のピークは実は年末だった。
●年明けからは感染者数こそ増加したものの収束に向かう傾向はすでに見えていた。
●蔓延防止重点措置の効果はグラフからは伺えない。緊急事態宣言と同様に無意味だった。
●3月上旬にモコっと再度増加したのはおそらく Ba-2 型など亜種の影響か。
以上が勘所である。
米軍の外出規制解除は合理的だった
最後の図6は、米軍からオミクロンが拡がったとされる沖縄県、山口県、広島県のグラフだ。
▲図6
米軍の外出規制は1月末までだった。グラフで分かるが、増加率は3県とも徐々に低下していたが、この時期に1を切った。
その後、徐々に感染者数が減少に向かうことは、増加率の傾向を見れば自明の理。外出規制を撤廃したことは合理的な判断だったと言っていいだろう。
他の都道府県でも1月半ばには増加率は減少し始め、2月上旬には1を切った。つまり新規感染者数は2月上旬にピークになり、その後は減少に向かったのは明らかだった。
ずるずるとマン防を続けたのは、政府、各都道府県知事が冷静に判断せず、ポピュリズムに流れた結果としか思えない。
【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】
昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。