【気まま連載】帰ってきたミーハー婆①
アメリカから戻った孫娘
岩崎邦子
白井健康元気村に入村した令和元(2018)年のことだった。新米村民の私が、なぜかブログでエッセイを書くことに。しかも、タイトルが「岩崎邦子の『日々悠々』」とつけられた。もう逃げられない。
こうなったら、日頃から楽しんでいたパークゴルフのことを書くしかないか。「10回ぐらい書けば解放してもらえる」と思っていたのに、そうはいかなかった。気がつけば、なんと100回目を迎えていたのである。しかし、もうしんどい。こうして切りのいい回で、私の拙いエッセイに一区切りをつけてもらった。昨年9月18日のことである。
区切りをつけてからは、「村民」の方や元気村に関心をもって下さっている方の、多種多様な知識、あるいは日頃の気付きやちょっとした思い、そして「ほっこりした」文などを、もっと知りたい気持ちが湧いてきた。
そんなときに、「もう、書かないんですか?」とか、「楽しみにしてたんですよ」と、周りの人から思いもよらない声を掛けられることも。このブログ編集人からも魔の誘いが。
「別に毎週でなくてもいですよ。好きなときに、好きなテーマで書いてください」
うーん、仕方がない。そんなわけで、8カ月ぶりに復帰することになった次第である。
さて何を書こうか。そうだ、孫娘のことを書こう。昨年3月9日、日本の大学で学んでいた孫娘が、春休みを利用してアメリカの家族の元へ旅立った。その後はコロナ禍で身動きが出来なくなり、日本での新学期はリモートでの授業に。
時差があるため、夜中になることが度々あったようだが、彼女は勉強だけでなく、合唱などのクラブ活動なども頑張っていた。本来なら春から夏にかけては就職活動もしなければならない3年生であったのだが……。
孫娘は9月に入学したので、4年生になってリモート授業ばかりという訳にはいかず、年末には日本に戻って来ることになった。もちろん、事前にPCR検査を受けて。幸い陰性だった。
コロナ禍のせいで、日本への機内はがら空き。成田に降り立ったのは、たった10名という。再びPCR検査を受ける。陰性の結果が出てから宿泊先への移動が許されたのだが、公共交通機関の利用は不可。幸いと言うか、宿泊先は我が家なので、車を成田空港に走らせた。
2週間の巣ごもり生活、いや自粛生活で久しぶりの日本でも出歩くことは出来ない。厚生省からは本人は元より一緒に暮らす家族にも、「体温や体調に異変はないか」と、2週間というものの毎日電話が掛って来た。さらに大学にも連絡する必要が。孫本人が朝の体温などを報告していた。
お正月も、静かに我が家で過ごしたのだが、日本の感染者人口のびっくりするような数が、報告される日々であった。久しぶりの友人たちとも、もっぱらリモートでの会話のみ。こうして会食などに誘われることもなく、無事に学生寮へと戻った。
この6月に卒業出来るよう、勉学に励んでいる様子である。就職の件はお預けで、本人が望む職業への勉学のため、しばらくは踏ん張り続ける覚悟らしい。それにしても、厚生労働省職員の大宴会・会食のニュースには、呆れて呆れてのニュースだった。でも、今、若者も年配者も、自粛生活が徹底しないことに、目くじらを立ててもなぁ。
【岩崎邦子さんのプロフィール】
昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。