白井健康元気村

千葉県白井市での健康教室をはじめ、旅行、グルメ、パークゴルフ、パーティーなどの情報や各種コラムを満載。

えっ、小学生同士が「あだ名」で呼べない? 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(76)

2024-11-16 05:30:28 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(76)

えっ、小学生同士が「あだ名」で呼べない?

 

白井市(千葉)、銀座(東京)

 

 


「名前」について考えてみた。人にも物にも動植物、そして世のありとあらゆる物には名前がある。正確な名前を知らなくても、日本語には「アレ」という便利な代名詞があるのだ。
 名前だけではない。形容詞も動詞もあるので、親密な間柄では、大抵のことは「アレ」で意思疎通ができる。自分の奥さんのことを「うちのアレが…」という男性もいるだろう。「何が何して何とやら」も「アレ」だけですませようとする人もいる。プロ野球界で今シーズンまで阪神タイガースを指揮した岡田監督も「アレ」を連発することで有名だった。私の周囲の高齢者社会では、こんな会話が飛び交う。先日もこんなやり取りがあったばかりである。

「『アレ』が『アレ』したから、ホントに『アレ』だよな」
 80代半ばのTさんが言った。
「『アレ』って何ですか?」
 ホントは意味が分かっているのに、若手の70代半ばのYさんが意地悪く尋ねる。
「『アレ』は『アレ』に決まってるだろ! そんなことも分からないのか!」
 Tさんが真面目な顔を装って声を張り上げたので、Yさんがとぼけた顔で答えた。
「ああ、『アレ』でしたか。失礼しました」

 普通は、これですんなり会話が成立する。この時もそうだった。だが、時に双方の「アレ」が別物だったりすると話はややこしくなる。とはいえ、やはり「アレ」は便利な言葉だ。「アレ」のおかげで、会話をスムースに継続させることができるし、何より加齢による頻繁な物忘れを悲観的に捉えず、おおらかに笑い飛ばすことができているのではないか。
 日本語だけではなく、どの言語でも「アレ」に相当する言葉はある。例えば英語では、that, that one, what, you know, you know what, kind of …などが該当するだろう。が、これらは若い人たちもよく使う表現なので、日本語の「アレ」が持つおかしさや哀感といった深いニュアンスはない。
 
 そんな「アレ」はさておき、とにかく名前は大切である。以前、クラスメートの身体的特徴を揶揄するような「あだ名」で呼んだり、「呼び捨て」にしたりせず、「さん付け」とするよう指導する小学校が増えているという。この10年で「さん付け」が定着した小学校は、全国の半数近くにまで広がっているらしい。
 小学生が同じクラスの友達に「呼び捨て」や「あだ名」で呼ぶことができないなんて、どう考えてもおかしい。何故、こんな息苦しい社会になってしまったのか。

 東洋経済ONLINE(2024/11/13)に岡本純子氏(コミュニケーション戦略研究家・コミュ力伝道師)が、「あだ名」の由来や、そのメリット・デメリット、更には「あだ名」に関する海外の研究結果などをまとめた興味深い考察をしている。
 岡本氏によると、「あだ名」で呼ぶことを否定する意見は、以下に代表されるという。

●小さいうちから相手を尊重するという素地を育めば、人を攻撃するような行動はとらないはず。
●「あだ名」には身体的特徴や失敗行動など相手を軽視したものが多い。呼び方だけでいじめを根絶できるわけではないが、抑止することにはつながる。
●「あだ名」や「呼び捨て」は、相手を嫌な気分にさせることがあるが、「さん付け」は人を大切にする。

 つまり、「あだ名や呼び捨てが相手を傷つけたり、いじめにつながったりする可能性がある。そのリスクを極力排除するための施策」ということらしい。
 オイオイ、アンタたち正気か? 日本中の小学生がお互いを「さん付け」で呼び合っている風景など想像するだけで気持が悪い。浦沢直樹の漫画を原作とする『20世紀少年』という映画がある。「ケンジ」という少年が空想の赴くままに「よげんの書」という物語を書いた。その物語のとおりに世界が滅亡に向かって進んでいくのを阻止するするため、大人になった仲間たちが協力して立ち上がる冒険譚である。

▲『20世紀少年』のポスター

『20世紀少年』のことを書いたのは、この映画は「あだ名」なしでは成立しないからである。登場人物は総て「あだ名」で呼ばれる。こんな具合だ。

ケンヂ / 遠藤健児(えんどう けんじ)
カンナ / 遠藤カンナ(えんどう カンナ)
オッチョ / 落合長治(おちあい ちょうじ)
ユキジ / 瀬戸口ユキジ(せとぐち ゆきじ)
ヨシツネ / 皆本剛(みなもと つよし)
マルオ / 丸尾(まるお)
モンちゃん / 子門真明(しもん まさあき)
ケロヨン
コンチ / 今野裕一(こんの ゆういち)
ドンキー / 木戸 三郎(きど さぶろう)

 どれも絶妙な命名である。想像していただきたい。彼らが、エンドウサン、オチアイサン、ミナモトサン…などと「さん付け」で呼び合うシーンを。「あだ名」だと、一人ひとりの声、表情、性格、体格、仲間同士の距離感のような物語に生命と臨場感を与えている要素が瞬時に想起される。 が、「○○さん」だと、どうだろう。物語の体温とか臨場感がすっぽりと抜け落ちてしまうではないか。そうなったら、作品自体が成立しない。

 

▲『20世紀少年』の登場人物は全員「あだ名」

 

 では、教師や教育関係者以外は「あだ名問題」どう考えているのだろう
か。約6000人を対象にしたネット調査では、75%が「あだ名を禁止すべきではない」との回答で、とくに10代の女性の81%、男性の79%が「あだ名肯定派」だった。
 肯定する理由として、いろんな意見が書かれていた。ただ明確に分かることは、教育関係者の発想の根底に「問題を起こしたくない」という「醜い事なかれ主義」が染みついていることだ。
 それに対し、若い人たちは、ニックネームや「あだ名」には「親近感や親しみやすさを醸成し、人と人との距離を縮める」という大きな効用があることを理解している。とても健全な感性が存在していることに、私は安堵した。

 ところで、海外の研究によれば、「あだ名」の由来は、以下のように分類できるという。

 ①性格②出来事③言葉による類推④身体的特徴⑤動物の連想⑥キャラクター⑦韻を踏んだ言葉⑧接尾辞や接頭語をつける⑨略称

 相手を傷つけるようなあだ名であれば、当事者間で話し合い、変えれば良いだけのことである。そういう話し合いが自由にできる関係性こそが重要なのであって、問答無用で「さん付け」で呼びましょう、などと無責任に飛躍してしまうのは何と情操に欠ける愚かな考えであることか。ことか。
 私の小学校時代には、いくつかの「あだ名」で呼ばれたものだ。低学年の頃は痩せていたので、「キュウリ」。また自分で言うのも憚られるが、小学校低学年までの私は、女の子と間違われることもしばしばだった。あまりにも美少年すぎたからである。だから、当時人気だった丸山明宏(のちに「美輪明宏」に改名)のように、「シスターボーイ」と呼ばれたことも。
 小学高学年になると、上記の「あだ名」分類の「③言葉による類推」によって「ユウスケべえ」になった。最初の頃は面白がっていたが、分類の「⑥キャラクター」ではないことをアピールして、「オレは助兵衛(スケベエ)とちゃうで!」と厳重に抗議した。
 その後ただの「ユウスケ」「ユウチャン」、あるいは「ユウサン」に定着したのだった。因みに、現在も友人たちからは、この三つのうちのどれかで呼ばれている。読者諸兄姉も子供の頃の自分や友達の「あだ名」を思い出してみては如何だろうか。

 ところで豪州(オーストラリア)人は、あだ名をつけるのが大好きだ。オーストラリアに駐在経験のある人或いはよく出張で訪れる人の名刺には、非常に高い確率で日本語の名前の代わりに、John, Thomas, Rick, Anthony, Kevin …などと英語名が印刷されている。
 日本語の名前の前に英語名を付記している人もいる。「現地の習慣だから仕方がない」とイヤイヤ英語名を受け入れる人もいれば、嬉々として英語名を使う人もいる。
 オーストラリア人は、日本人の名前は覚えにくいので、似たような発音の英語名を当てはめたがるのである。悪気がないのは分かっているが私は真っ平ごめんだ。冗談じゃない! オレには立派な日本語の名前がある。 あるとき、とても仲の良いオーストラリア人たちと銀座のビアホール「銀座ライオン」でビールを呑んでいた。当時の私は30代前半ぐらいだったと思う。


 銀座ライオンは、明治32年に創業した日本最古のビアホールだ。歴史の新しいオーストラリアから来た彼らは、東京大空襲をくぐり抜け、今も創業当時のままの古色蒼然とした店の雰囲気に興奮していたようである。
 興奮したついでに、50歳ぐらいの一番の年長者が、善意を満面に浮かべて私に言い寄った。
「ユースケ、ユスケ? というのは、覚えにくいから何か英語名をつけてあげよう」無意識だろうが、上から目線で。「ウーン、FujiwaraはFで始まるから…そうだ、フランソワ(François)がいい! どう、カッコいいだろ!」
 ちなみに、女性形はフランソワーズ(Françoiseである。

 生ビールを大ジョッキで何杯も飲んでいた私は、彼に食ってかかった。
「私は、現在の自分の名前以外、如何なる名前も欲しくない。大体、私のこのアジア人の顔のどこがフランソワやねん!?」
「OK、OK分かった。でも、英語の名前をつけられてユースケみたいに嫌がる日本人は初めてだよ」
「あなたたちに悪気がないのは理解しているが、もう少し相手の文化をリスペクトするべきではありませんか?」
 彼は、驚いたように目を見開き、両手を大きく広げた。
 その夜、大酒飲みの彼らに張り合って1リットルの大ジョッキを5杯も空けた。二日酔いならぬ三日酔いになった。

           

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「企業横断」で日本を元気に... | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道」カテゴリの最新記事