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『蛍の光』① 【連載】腹ふくるるわざ㉜

2022-11-27 07:42:48 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ㉜

『蛍の光』①

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

 

 パソコンに向かいながら、TVでユーチューブの抒情歌を聴いていた。
 そんな時、「~♪かたみにおもう ちよろずの~」がふと耳にとまった。『蛍の光』の2番だ。あれーっ、どんな意味だろう?
 小さいころに覚えたから歌詞は覚えているが、意味は分からない。気になって、ネットで『蛍の光』を検索したら……。イヤー、『蛍の光』は奥が深い。知らないことだらけだった。そんなわけで、数回にわたって『蛍の光』の真実に迫ってみよう。


▲『蛍の光』の楽譜)

 

『蛍の光』の由来

 文明開化を迎えた明治時代、日本では西洋音楽による音楽教育が始まった。そのために文部省音楽取調掛によって、学校教育用に編纂された唱歌集『小学唱歌集』が明治14(1881)年から明治16(1883)年にかけて発行された。
「蛍の光」は、その中の一つで、スコットランドの民謡『オールド・ラング・サイン』を原曲とした日本の編曲唱歌である。
 作詞は稲垣千頴(いながきちかい)。明治時代の国学者であり、専門は上古歴史(神代~奈良時代)だったらしい。歌詞の今様形式(七五調)も耳になじみやすいが、メロディーも日本の伝統的な音楽と同じ特徴「四七(よな)抜き音階」(ドレミの4番目の「ファ」、7番目の「シ」がない)だ。
 同じようにスコットランド民謡を原曲とする『故郷の空』もそうだ。「四七(よな)抜き音階」は、雅楽、民謡(『木曽節』など)、童歌(『どじょっこふなっこ』など)、演歌(『北国の春』『箱根八里の半次郎』など)に多いそうだが、『蛍の光』がここまで日本で親しまれるようになったのは、そもそも日本人に親しみやすい「四七抜き音階」だったからかもしれない。

3番、4番もあった

 明治14年11月発行の『小学唱歌集初編』に掲載されたオリジナルの歌詞はこうらしい。

1、螢の光 窓の雪 書(ふみ)讀む月日 重ねつゝ 何時しか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れ
行く

2、止まるも行くも 限りとて 互(かたみに)に思ふ 千萬(ちよろず)の 心の端を 一言に 幸(さ
き)くと許(ばか)り 歌ふなり

3、筑紫の極み 陸(みち)の奥 海山遠く 隔つとも その真心は 隔て無く 一つに盡くせ 國の為

4、千島の奧も 沖繩も 八洲(やしま)の内の 護りなり 至らん國に 勳(いさお)しく 努めよ我が
兄(せ) 恙(つつが)無く

 私の最初の疑問だった2番の歌詞の意味は、歌っている時はチンプンカンプンだったが、漢字を見て納得した。「故郷に残る者も去り行く者も今日限りなので 互いに思い合う無数の想いをたった一言『幸あれ』と歌うのだ」ということらしい。
 しかし、つづく3番、4番を見て驚いた。今ではほとんど歌われないが、こんな歌詞だったのか。3、4番は防人の歌のようだ。
「わがせ」は主として女性が、夫・恋人・兄弟を親しんでいう語で、万葉集で好んで用いられている。このあたりの表現は、防人歌を下敷きにしているらしい。
 作詞者稲垣千頴の専門が上古の歴史だからだろうか。軍人を辺境の地に送り出した女性の立場からの呼びかけという形の歌詞になっている。
 ダークダックスが「ダークダックス愛唱歌全集〜心のうた〜 」というCDで4番まで歌っているそうだ。聞いてみたい。
 そのためか、大日本帝国海軍では『告別行進曲』もしくは『ロングサイン』という題で、海軍兵学校や海軍機関学校等の卒業式典曲として使われ、また士官や特に戦功のある下士官等が、艦艇や航空隊等から離任する際にも、演奏もしくは再生されたという。
 ちなみに4番の歌詞は、領土拡張により文部省の手によって次のように何度か改変されたそうだ。

千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 護りなり:<明治初期の案>

千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 護りなり:<明治8(1875)年の樺太・千島交換条約、明治12(1879)年の琉球処分後>

千島の奥も 台湾も 八洲の内の 護りなり:<日清戦争後の明治28(1895)年に調印された下関条約で台湾が日本に割譲>

台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 護りなり:<日露戦争後の明治38(1905)年に調印されたポーツマス条約で南樺太をロシアから譲受>

▲明治時代の日本国境の変遷

 

 千島の奥と沖縄は明治初期の案では「外」だったが、やがて「内」になり、さらに台湾や樺太も「内」になったというわけである。(つづく)

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。


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