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戦争体験者の悲願 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆⑬

2021-08-16 05:06:37 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆⑬

戦争体験者の悲願

岩崎邦子 

 


  
 音なき音や八月の遠花火    東国原英夫
 
 テレビの人気番組「プレバト」(8月12日放送)で詠まれた俳句だ。兼題は「花火の写真から」である。
 この番組は、芸能人が詠んだ俳句を、俳人の夏井いつきが辛口査定をするのが有名で、視聴率も高い。先に梅沢冨美男、後から東国原英夫が最高位の「永世名人」となったが、彼らの秀逸な句が50句になれば、それぞれの名前で、句集本として出版される。が、作句に一文字でも直しが出れば、ボツとなる。   
 冒頭の俳句説明に、作者の東国原氏が「音なき音や」と詠嘆したのは、8月は広島・長崎の原爆投下や終戦記念日などがあるので、亡くなった人の声や叫びなどを表したそうだ。
 季語の「八月」は、月初めの立秋のあとの強い日差しが続く暑さのことだという。夏井先生は、作者の言う「意」が、読み取れるとして、句集掲載の1句とした。ちなみに、梅沢冨美男は残り14作、東国原氏は残り21作で出版が決定するとか。
 今年の夏は東京オリンピックがあったことや、コロナ感染の拡大ニュースがあまりにも大きい。しかし、その他のニュースも大切だ。8月6日は広島に、9日は長崎に原爆が落とされた日である。そして15日は終戦記念日だ。
 戦争ではないが、御巣鷹山に日航機が墜落したのは12日であった。多くの命が犠牲になったこれらのことが、8月に多かったのだ、と思っていた矢先だけに、東国原氏の句が、強く心に残った。
 隣の孫娘が「あーちゃん(私のこと)、戦争のことで思い出すことある?」と、唐突とも思える質問をしてきた。学生だった兄が東京大空襲(1945年3月10日)で、死体が転がる町を逃げ惑った話は聞いていたが。
「あー、まだ小さかったしねぇ…」
 と言ってから、疎開先のお寺に焼夷弾が落ちて、すぐそばの竹やぶがパチパチと音を立てて燃え盛ったことを、姉に負ぶわれてはいたが、鮮明に覚えている、と伝えた。そして、こんなことも。
「だけど、終戦後の食糧難や、両親の結核が原因で、村八分にあったことの方が辛かった、かな」
 しかし、彼女の質問は少しばかり意味合いが違ったようだ。小さい時に、『はだしのゲン』や『火垂るの墓』を見たことがあり、子供ながらに、その悲惨さ、残酷さ、悲しさなど、おぼろげに覚えている、という。
 かつては、ジブリ作品として放送されていたが、どの場面が問題なのか、何かが理由で最近は放送がされていないようだ。孫娘にとっては、どうして今の時期、つまり終戦記念日が近いのに見られないのだろう、と不思議なのだろう。
 ちなみに、『はだしのゲンむ』は漫画家の故・中沢啓治自身の原爆被爆体験を基に、アニメ映画にもなり、平和教材として多くの学校で親しまれて来た。しかし「残虐な描写」「差別用語」を理由に図書館などで、閲覧に制限された。
『火垂るの墓』は故・野坂昭如の短編小説で、神戸市と西宮市近郊が舞台である。14歳と4歳の兄妹の戦前・戦後の中での苦労話だ。妹が栄養失調で死に至る姿を、兄妹の愛情と戦後社会との狭間で、蛍のように儚く消えた二つの命の悲しみと鎮魂を表現している。
 戦争は、理不尽な理由が元で、残虐で悲惨な事態が起きる。世界中のどの地域においても、あってはならないことなのに、いつも、今も、どこかで戦いが起きており、無くなることがない。
 日本は原爆被爆国だが、戦後76年も経つと、悲惨な体験を語れる人も少なくなってきている。9日に放送された日テレ「news zero」の「ドウスル」のコーナーで「AI語り部」ことが流されので、まず、AI(エーアイ)=人工知能をネットで調べた。
「計算」という概念と「コンピュータ」という道具を用いて、「知能」を研究する計算機科学の一分野を指す語という。
 都内のスタジオで、長崎原爆投下の日に、87歳になる山脇佳朗さん(当時11歳)のの記憶が撮ってあって、山脇さんの画面に向かって質問をすると、きちんと答えてくれる。
 この取材番組を見た人もあると思うし、ショックな所もあるだろう。でも、あえて拾い出して書いてみたい。

 1945年8月9日 AM11:02 長崎に原爆が投下され、7万人が犠牲に。原爆投下の当日、11歳の山脇佳朗さんは、自宅で被爆。
 爆心地に近い工場で働いていた父親の山脇八寿雄さん47歳は、亡くなった。

 AI画面の前で「本人が居るみたい」
 質問と応答が始まった。事前撮影の証言から、AIが質問に合ったものを選ぶ。以下は質疑応答である

 Q「戦時中の暮らしぶりは?」
 A「米・塩・砂糖・食料品は、ほとんど配給制でした」
 Q「楽しみは?」
 A「空襲警報、警戒警報が解除されたら良いな、と思うだけで暮らしていた」
 A「爆心地に近い工場で、父は亡くなった。8月10日、工場に行く途中の道端に、転がっている膨れ上がった死体は怖かった。しかし、父親の遺体はあまりにもショックが大きくて……その後は、道端の多くの死体には、怖い、気持ち悪い、は無くなりました」
 Q「今でも思い出すことは?」
 A「父の遺体を火葬した翌日、骨を拾いに行ったら半焼けで。頭蓋骨の部分がボロボロと石膏細工を崩すよりもろくて、半焼けの脳が流れだしたんです。今でも思い出すんです……」
 Q「凄惨だな……」 言葉を失う場面だ。

「AI語り部」に協力の山脇佳朗(87)さんを介して、戦争・原爆の恐怖や凄惨さが、より多くの人に伝わるのは、ありがたい事で、必要だと思う。高齢化している戦争体験者は年々減っている
。悲惨な体験をリアルな映像と音声の記録で残して行くのは、非常に貴重だ。核兵器・原爆をなくす、より有効な道、有効な方法と思う。

 Q「山脇さんの想いはすべて伝えられましたか?」
 A「はい、私はそう思います」

「原爆をなくすために」という固い信念をもって答えられていた。このAI語り部、戦争体験者との会話が出来ることが、広く世の中に知られることを祈っている。
『はだしのゲン』や『火垂るの墓』のアニメにも、戦争を知らない多数の世代に、悲惨な事ばかりの戦争が無くなるように、原爆や核兵器の廃絶に関心が持たれることを祈っての作品のはずだが……。
 76年間も戦争を知らないでいられる幸せを、大事に大事に思い、平和が行く末永く続きますように。

 

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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