尼崎の銃撃事件で使われた自動小銃
米軍のM16系統だった
▲犯行に使われた自動小銃
「えらいこっちゃ」と興奮した声がスマホから流れてきました。「人が殺された。銃で撃たれたんや。うちのマンションから100メートルも離れてへん」
その声の主は、学生時代からの友人R君です。彼が住んでいるのは兵庫県尼崎市。そう、11月27日の夕刻、尼崎市の路上で指定暴力団神戸山口組の幹部が射殺された事件の直後に知らせてくれたのです。
元山口組関係者の容疑者が使ったのが拳銃ではなく、自動小銃だったことで、このニュースは大きく取り上げられました。どんな自動小銃だったのかというと、自動小銃M16系統のXМ177とほぼ断定されました。
M16はアメリカからの軍事援助として、1962年に南べトナムに送られ、ジャングルでの戦闘で効果を発揮。その後、改良を重ねて1967年に米軍に制式採用され、アメリカの同盟国の軍隊でも使われるようになりました。
私も手にしたことがあります。といっても、実際の戦闘で使用したというわけではありません。35年ほど前にタイの少数民族ムソー族(一般的にはラフ族と呼ばれる)を取材したことがありました。
このムソー族の一部がタイの反共民兵組織の実戦部隊として「赤い野牛」タイ・ラオスの国境地帯で共産ゲリラと闘っていたのです。そんな民兵の活動を取材すべく、私と北川雅夫カメラマンが1週間ほど彼らの前線キャンプで生活を共にしました。
「奴ら(共産ゲリラ)が襲撃してきたら、これで自分の身を守ってくれ!」
と司令官から手渡されたのが、M16だったのです。そんなに重くはなく、私でも簡単に撃てそうでした。ちなみに、私たちが寝泊まりしたのは竹で組んだ粗末な小屋だったので、いつ襲撃されるかと毎晩ひやひや。幸いにして、滞在中に襲撃されることはありませんでしたが、それから約半年後にタイを再び訪れたときのことです。
「君たちがキャンプから去って数週間後に奴らに襲撃された。5、6人が殺されたよ」
と「赤い野牛」幹部から聞かされました。
ちなみに、共産ゲリラが使っていた自動小銃は「アーカー」。ソ連製の自動小銃AK47を中国がコピーしてアジアの共産圏で幅広く採用されていたのです。で、尼崎の銃撃事件で使われたと思われるXМ177は通常のM16よりも銃身が短く、実戦向きだということです。
今回逮捕された容疑者がどこから入手したのか、今後の捜査で明らかになるでしょうが、フィリピン・ルートが有力です。いずれにしても、暴力団の抗争に自動小銃が使われるとなると、一般市民が巻き込まれるケースも増えるのではないでしょうか。それが心配です。
あ、そうそう。「赤い野牛」を一緒に取材した北川カメラマンですが、今は日本では数少ない「メモリアル・ジャーナリスト」に転身。終活の専門家として、昨年9月に開催された白井健康元気村の第1回「終活講座」(テーマは「家族に迷惑をかけない『終活』のすすめ」)の講師を務めました。(山本徳造・本ブログ編集人)
▲「赤い野牛」の兵士たちと本ブログ編集人
▲М16自動小銃を持つ本ブログ編集人(左)と北川カメラマン
▲陥落直前のサイゴンから米空母「ミッドウェー」で脱出する北川カメラマン(1975年4月)
▲白井健康元気村の第一回終活講座で講演する北川さん(2018年9月)。上の写真と同一人物です