【連載】呑んで喰って、また呑んで⑤
なんで食堂車の料理は一品だけなの?
●シベリア鉄道(ウラジオストク~イルクーツク)
発車間際に滑り込むように乗り込んだシベリア鉄道である。私たちは2等車のコンパートメント。左右に2段ベッドが配置された4人部屋だ。私が上段でM君が下段に。向かいのベッドには先客がいるようだが、カーテンを閉めているので、どんな人なのかわからない。
「ふー、まだ8時過ぎやで」
バッグを駅に置き忘れてしょんぼりしていたM君に声をかけると、
「うん、夜は長いな。呑もか、ういっ」
とM君が嬉しそうにウットカ(前号では「ウオッカ」と表記したが、よりロシア語に近い発音の「ウォトカ」に統一)を取り出した。夜が長くても短くても呑みたい。それが由緒正しい吞兵衛である。こうしてM君の下段ベッドに腰かけて、駅の売店で買ったウォトカをチビリチビリ始めた。
でも、相当酔いが回っていたのだろう、気が付いたら朝だった。いつどうやって、それぞれのベッドで寝たのか、ふたりとも覚えていない。洗面所で顔を洗う。二日酔いのせいか、顔がむくんでいる。コンパートメントに戻ると、向かい側の乗客が下段に腰かけていた。ロシア人の老夫婦のようである。満面に笑みを浮かべて挨拶すると、相手は恥ずかしそうに微笑む。言葉が全く通じないので、会話がまるで成立しない。
しばらくすると、列車の従業員がやってきて、パンにバター、果物などがついた簡単な朝食が配り始めた。食べてみると……けっ! 半分以上残した。コンパートメントから通路に出ると、乗客が大きな金属製器具から持参したカップにお湯を注いでいる。そう、いつも暖かいお湯が出るサモワールだ。各車両に一つずつ設置されているので、お茶やインスタントラーメンなどをつくるのに便利この上ない。有難いことに無料である。紅茶のTパックならリュックに5ダースくらい忍び込ませていたので、モスクワまで不自由することはないだろう。さっそく紅茶をつくった。
紅茶を飲みながら通路側の窓から外の景色を眺めるが、同じような景色が延々と続く。まるで静止画を見ているようなので、退屈極まりない。さて、これからどうやって時間を過ごそうか。歌人のM君は通路の窓に寄り添いながら神妙な表情でメモ用紙に短歌を書き連ねている。私にはそんな趣味はないので、ベッドでごろり。
昼食だ。食堂車に行くと、客は誰もいない。私たちだけ。屈強な体格のウェイターがメニューを持ってきた。ロシア語と英語で印刷されている。何品かメニューを指さして注文するが、ウェイターは不愛想に「ない」を連発。
「一体何が喰えるねん!」
M君が日本語で語気を荒げた。
不思議なことに、その日本語、いや関西弁がウェイターに通じたのか、
「料理、これだけ」
とウェイターが片言の英語を発して、メニューの一つを指さした。最初からメニューなんか持ってくるな!
メニューに載っていた唯一の料理がテーブルに運ばれてきた。牛肉のごった煮か。もちろん、ビールも頼んだ。社会主義体制の崩壊後、ロシアではビール会社が雨後の竹の子のごとく設立されたという。ビールの銘柄も日本とは比べようがないくらいに多い。まずはビールで乾杯だ。
「この食堂車はアカンな」
私が言うと、M君も同意した。
「うん、不味いし、高い。それに料理が一品しかないやないか」
列車は主要な駅で停車する。ホームにはキオスクもあるし、物売りも待ち構えている。ちょっとはましな食い物があれば、そこで食料を調達することにした。悲しいことに、ロクなものしか売っていない。ウットカも呑み干したが、キオスクには売っていないという。列車内でウォトカやビールが販売されているが、割高なので鯨飲するわけにはいかない。ロシア産のカップ麺や缶詰、ビスケットなどを肴に、ビールを時間をかけて呑むという貧しい飲食が続くことになる。
「イルクーツクまで辛抱やな」
そう、バイカル湖近くのイルクーツクで列車を途中下車し、現地で1泊することになっているのだ。ウラジオストクからイルクーツクまで3泊4日である。早くゆったりと浴槽につかりたい。それよりも、美味いロシア料理が喰いたいし、ウォトカも浴びるほど呑みたい。ウラジオストクを出発して4日目、列車はイルクーツクに到着した。喜び勇んで列車を降りたのだが、な、な、なんでこんなに寒いんだ!? 猛暑のロシアの筈が、イルクーツクでは震える肌寒さが待ち受けていた。(次週につづく)