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印旛捷水路 謎の竹箒 【連載】腹ふくるるわざ⑱

2021-09-27 06:00:00 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ⑱

印旛捷水路 謎の竹箒

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

印旛捷水路サイクリング道路をウォーキング

 今年の冬から家内と一緒にウォーキングをしている。これまでは白井駅圏の周辺の住宅地、田園地帯 、河川沿いを歩いていたが、このところ車でちょっと出かけて、そこから歩くことが増えた。手賀沼、新川など水辺を歩くのは気持ちよい。今朝は印旛捷水路のサイクリング道路を歩くことにした。
 ところで印旛捷水路は深い谷間の水路だ。その脇の道路だから葛の繁茂、落ち葉、落石などで通れないのではないないだろうか、心配ではあったがとにかく行ってみた。印旛沼のほとりにある双子公園に車を止めた 。バンクシーが「猿と銃」を描いた、と2年前に騒ぎになったトイレがある公園だ。なお絵は今では消されている。

▲双子公園のトイレに描かれたバンクシーの絵


印旛捷水路とは

 印旛捷水路と言ってもピンとこない方もいらっしゃるだろう。捷水路とは、蛇行している河川をショートカットする水路のことだ。印旛沼は、1000年前までは霞ケ浦などとともに「香取の海」の一部にすぎず、「印旛浦」といわれていた。
 しかし土砂の堆積や海退により取り残されて沼になっていった。そして江戸時代には、江戸の洪水対策、水運のために江戸湾に流れていた利根川を銚子の方に流すように切り替える「利根川東遷事業」が徳川幕府により行われた。
 江戸は洪水から救われたが、一方では利根川上流からの多量の土砂等が下流に運ばれ、堆積し、その結果として印旛沼は、利根川の氾濫のたびに利根川の水が沼に逆流し、多大な洪水被害を蒙ることになった。

▲昔の印旛沼と水系

 

 そこで江戸幕府は、印旛沼の新田開発とあわせて印旛沼の水を江戸湾に流すための河川掘削を3度試みた。しかしすべて頓挫。完成したのはなんと昭和 37 年に設立された水資源開発公団が事業を行うことになってからだった。
 印旛捷水路は、北印旛沼と西印旛沼をショートカットするように大地を深く開削した水路だ。青い水路と緑の崖面、そして赤い橋が調和する美しい景観を誇っている。

▲印旛捷水路 緑の崖と青い水路と赤い橋

 普段は新川→西印旛沼→印旛捷水路→北印旛沼→利根川と流れているが、利根川が増水したときには逆に北印旛沼→印旛捷水路→西印旛沼→新川→花見川→東京湾、と流して水量を調整するのがその役割だ。
 このようにして印旛捷水路は昭和42(1967)年に完成した。ちなみに造成工事途中に崖面からナウマンゾウ2体の完全な化石が発見されたことでも知られている。

▲ナウマンゾウ化石発掘石碑板

 

 サイクリング道路は、正式には八千代印旛栄自転車道といい、新川から印旛沼にかけて27㎞が整備されている。さらに新川、花見川サイクリングロードを経て東京湾まで出ると全長約50㎞にもなる。

▲図2 サイクリングコースマップ

 


▲印旛沼水辺のサイクリング

 

道端に謎?の竹箒

 さて、印旛捷水路脇を歩き始めると、気が付いた。サイクリング道路には急崖からの葛、落ち葉、落石など全くといっていいほどない。それほど快適な道路だった。しばらく行くと妙なものが。道路脇の転落防止柵に竹箒が立てかけてあるではないか。それも何本か断続的に置いてある。
「何だ?これ」
 おまじないか地元の風習だろうか? 先日のテレビでは野生の子猿が竹箒をおもちゃにして遊んでいることが紹介されていた。「まさか。ここでも?」と考えた。

▲謎?の竹箒

 

 しかし違った。少し行くと掲示を見つけた。そこには掃除のお願いが書いてあった。
「そうだったのか!」
 さらにしばらく行くと、一人の高齢者が箒で落ち葉を脇に寄せていた。延長1㎞以上の区間の落ち葉を脇に寄せるのにどれだけの時間がかかるのか分からない。半端ない日焼けをした顔だった。きっと毎日のように掃除しているのだろう。
 帰り道にはさらに2人の高齢者が高枝切り鋏を持参して歩いて来るのとすれ違った。きっと地区のボランティアが毎日、掃除・伐採しているのだろう。サイクリストは高速で走り去っていくので気が付かないかもしれない。しかし高速走行の自転車がスリップしないように彼らが安全を守っているのだった。

▲清掃のお願い

 

住民が守る

 印旛沼サイクリング道路は千葉県印旛土木事務所が管理をしている。しかし日常の清掃までできるはずがない。公的管理が及ばない日常管理は地区の住民が守っている。頭の下がることだが、昔の日本ではこれが当たり前のことだったのかもしれない、と改めて思った。

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。

 


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