白井健康元気村

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迷惑と困惑(前半) 岩崎邦子の「日々悠々」㉖

2019-03-15 11:44:50 | 【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」

【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㉖

迷惑と困惑(前半)                          

 

 

「本田佳代子(仮名)さんって、知っています? 一体どういう人なの?」

 つい先日、所属している高齢者クラブ「むつみ会」のHさんからの電話である。

「はい、知ってはいますけど」

 あの佳代子さんが、また何かやらかしたのか。

「今日は、カラオケの日だと言っておいたのに、来ないのよ。パークゴルフに行ったと言うけど、岩崎さん一緒だったの?」

「いえいえ、私は彼女とはパークゴルフに行きませんよ。そういえば、午前中に体操教室で佳代子さんを見かけましたけど」

「明日はカラオケ部の日だから来るように、何回も念を押したのに、いつまで待っても佳代子さん来なくて……」

  むつみ会で1年に1回発行している文集に、パークゴルフの良さを私が書いたことがあったので、このような電話が来たと理解した。

 まぁ、こんなことを言われても私は驚かない。最近はあちこちから、彼女の厄介で奇怪な行動を聞かされているのだから。3年ほど前まで私が参加していたパークゴルフの会で出会ったのが佳代子さんである。私より6、7歳は若い。まだ現役でバリバリ働いているとか。その仕事は毎月の予定が決まっているので、空いた日にはパークゴルフをしたいとのことだった。

「学生時代に陸上をしていたので走りが得意で、早いのよ。運動神経だけは他人に負けないわ」

 そう自慢していた。

 この創設者は、パークゴルフの事細かなデータを作るのが好きで、また面倒見も良い人であった。今となっては思い出せないことも多々あるが、かなりしっかりした会則もあり、年会費の徴収があり、スポーツ保険にも入り、連絡先など個人情報も会員全員が知ることになっていた。

 プレー日は月に7、8回あり、天候によって中止にする場合は、当番が当日の朝、全員にメールでお知らせをする。年に何回か記念大会があり、その都度順位が決まる。ホールインワン賞や最多出席賞だとか、スコア上位順で年間優秀賞などもあった。そうこうするうちに、会の創設者である会長は病が原因で引退されることに。

「女性でも良いんだよ。だから、岩崎さん、会長を継いでね。会計も引き続き頼むよ」

 と会長に言われてしまった。なんと! 苦手な役割が2つも重なったではないか。この重責を私に任せることを誰も反対してくれなかった。他の役員男性たちが、得意なエクセルを使って、スコアデータを作ってくれたり、年間のプレー予定日を作ってくれたりと、会の運営にはすごく協力的であったので、その点だけは苦労がなかった。

 当初の会員の中から体調の面で辞める人もずいぶんと出てきて、新会員募集をすることが大変となった。パソコンで募集チラシを作ったり、広報に載せてもらったり、知り合いに声をかけたりしたものである。入会したいという人は、誰でも歓迎した。佳代子さんもその一人であった。

 あれだけ運動神経を自慢していた佳代子さんだが、びっくりするほど覚えが悪い。クラブの握り方から、ボールをしっかり見て、頭を上げないで打つことの基本を、男性の上級者が何度も教えても空振りが続く始末。スコアの付け方もなかなか理解してくれない。しかし、楽しんでくれれば良いので、それらのことは問題だとは思っていなかった。プレーに慣れること、回数を重ねることが一番だから、と。

 彼女の性格は豪快なのだろうか。プレーの手続きでチケットを自動販売機で買うのだが、財布が丸見えのバッグの口が開いたまま、テーブルに置きっぱなしにして平気であちこちと歩く。パークゴルフのクラブを、ひょいとどこかに置いて、その場所が分からなくなる。服装もパークゴルフをする人達から見ると芳しくなかった。

 プレーが終わると、スコアカードの点数を計算しなければならないが、「小学生並みの算数だよ」のレベルが、理解出来ていない。最初だけかと思いきや、毎回だ。プレーに必要なものも忘れたりするので、誰かが貸すことでその場をしのぐが、返すことをすっかり忘れている。彼女に対しては何やかやとフォローをしなければならない。

 家族からも「認知症だって言われるのよ」と、ケロリとしている。マイクロバスを利用して一泊遠征プレーに出かけることもあった。駅前ロータリーでの集合時間に佳代子さんはやって来ない。心配して彼女の来る方向を見ていると、すごく元気に歩く姿を発見。やれやれと手を振るが、私のことは全く眼中になく目の前を通り過ぎていく。

「ちょっと佳代子さん、どこに行くの?」

 と声をかけると、やっと気づいて、

「決まってるでしょ。駅ですよ!」

「違う、違う! バスで行くのよ。みんなが待っているからね」

 そう言っても、悪びれた様子はさらさらない。宿に着いてもいろいろびっくりしたことがある。簡単な宿の部屋構成だったが、自分の部屋が分からないと怖がった。女子3人が相部屋で寝たのだが消灯時間となってそれぞれが布団に入り、睡眠体制に入ったが、佳代子さんは携帯電話の明かりで物探しが始まった。

 バッグをひっくり返しているようで、ガサガサといつまでも物音をたてている。朝になって昨日着ていた洋服が無くなったと大騒ぎ。この結論は私が朝風呂に行って、片隅にある忘れ物のコーナーで見つけることで決着となった。

 それはさておき、パークゴルフが高齢者に良い点は、いくつかある。まず芝生の上を歩くので、腰や膝に負担をかけない。ゴルフより安価に遊べる。プレー仲間とおしゃべりしたり笑ったりで、楽しくコミュニケーションがとれる。さらにスコアを正しく認識し、簡単な数を数えることが頭の体操にもなる。しかし、プレーをするには、当たり前のルールがあることも知らねばならない。

 常に打者の動きに気を付けて行動することで、ボールが近くに飛んでくる危険から身を避けることは当然である。自分のスコアを正しく仲間に申告することも大事なことだ。OBラインに打ち込んだら、2打バツにしてスコアに計算する。自分で判断するが、微妙で分からない時には同行する組の仲間に聞く。

 ある日、夫と佳代子さんが同じ組になった時、スコアの間違いの指摘をしたことがあった。夫はゴルフをしているので、自分のことはもちろん、同組の人たち全部のスコアを把握するのはお手のものである。

 しかし、彼女は、どうしても自分が正しいのだと言い張った。全くの初心者でもない頃なので、きちんと理解してもらうためだったが、その時の夫への反抗ぶりは凄まじかった。1打目、2打目と思い出すように、きちんと説明をしても、聞く耳は持たず、受け付けることはなかった。今度は捨て置けない事件(?)が起きた。

 その日は混雑をしていて何組かがスタート待ちをしていた。佳代子さん、何を思ったのか、広くもない場所でクラブの試し振りをしたのである。あわや人に当たりそうな、危険で非常識な行動に、待機していた他所のグループの男性が激怒した。その剣幕に周りの人がびっくりして成り行きを見守り始めたが、彼女は謝る気配は少しもない。大騒動になるところで、近くにいた夫が代わりに謝ることによって、なんとかその場は治まった。

 騒ぎが落ち着いたところで、佳代子さんに、危険な行動と思わなかったのか、なぜ素直に謝れないのか、と聞くと、「面倒くさい!」と開き直る始末である。上から目線が癖になっているのか、どんな時も自分から謝ることはしない人だ。

 まだ、創設者の会長がお元気なころ、ある男性メンバーが、他所の組の人と口喧嘩をしたという事件があった。この時、その人には会からは抜けてもらうことになった。私は取りあえず、会の長にされている立場なので、佳代子さんが他の会のグループと起こしたトラブルを見過ごすことは出来ないと思った。前会長からは「会の趣旨に合わない人は、辞めてもらいなさい」と、言われていたことも思い出した。

 重大と思える案件である。つまり佳代子さんが危険な行為をし、他グループへの謝辞もなかったので、会を辞めてもらうことを会の役員たちに諮った。結論を言うと、このことを理解してもらえず、説得も出来なかった。会員が減ることの懸念や、キャリア・ウーマンとしての彼女の肩書を、重んじたのだろうか。

 私は、この会に対して、誰よりも誠心誠意尽くしてきたと自負している。夫も間違ったことは何一つしていない。私の役目は何なのかを考えた末、もう必要とされていないし、また疎んじられているのだと判断、私たち夫婦はこの会から引退することにした。

 そう決心したがしばらくの間は、男性役員たちを説得できなかったことに口惜しさもあった。創設者の会長さんの訃報を聞いたのは、それから間もなくであった。私の心の中のことは理解してもらえていたと思う。この会への未練などは、毛頭もなくなった。

 改めて思うが、パークゴルフは、高齢者にとっては最適な運動であり、楽しいものである。夫婦で会を辞めると、他のグループの会から早々と入会を誘われた。最初の会は難しい決め事などは何もなく、プレー後の順位の決め方は、ベテランも、私のように下手な者も気楽にできる仕組みになっている。会の人たちからは私たちにとても好意的な態度で接してくれる。難をいえば、以前よりぐっとパークゴルフのプレー日の回数が減ってしまったことだ。

 しか~し、夫は以前よりゴルフに行く回数が増えて、かねてからの念願のエイジシュートを、4回も達成できた。60代の夫は、ゴルフなどの出来る体ではなく、腰痛に悩まされる日々であったのに、今80代になって、体調もすこぶる良いようだ。昔の職場の人達や、得意先だった人たちとも定期的にプレーをしている。

 何かの集まりでゴルフの話が出ると、すぐに意気投合してしまう。多くのゴルフ仲間が出来ていることが、何よりの財産となっている。練習場やグリーンで毎日のように仲間と会い、LINEでの情報のやりとりが日課になっている。夫が一番喜んでいることは、気が合って楽しくて、しかも人格者と思える多くのゴルフ仲間と出会えていることだ。

 さて、時が経って落ち着いてみると、佳代子さんを辞めさせるという、後味の悪い思いが残ることをしなくて、本当に良かった! だが、しかし、佳代子さんが再び私の生活に忍び寄る。一体、何が……。(つづく)

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