【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑬
インド英語と「アチャ」に悩む
ムンバイ、チェンナイ(インド)
インドには出張で7回訪れた。ムンバイとチェンナイのみである。二つの都市は1995年に改名されるまで、前者はボンベイ、後者はマドラスと呼ばれていた。年配の人なら旧名で言われたほうが、ピンとくるだろう。この二都市だけの経験でインドについて語ろうとすること自体、おこがましい。にも拘わらず、何か語りたくなってしまうのは、インドに人を惹きつける不思議な魅力があるからだ。
インドは、多民族、多言語(3000の言語があり、紙幣には17の言語が記されている)、多文化、多宗教、多人種、多階層と多くの「多」が複雑に絡み合い、混在する不可思議な国である。だから、「インド人は…」などと一括りにできる訳がない。私の知っているインド人も限られてくる。仕事で係わった人たちだから、「教養ある中産階級」だと思ってもらいたい。
インド人ビジネスマンをステレオタイプ的に描写すれば、押しが強く、ああ言えばこう言う、計算高いくせに行き当たりばったり、そして羨ましいほどの楽観主義…。そういったところだろうか。
商売上手の中国人でさえ手を焼くと言われる。そんな手強い相手に、「ビジネスには誠意が一番大切」「誠意は必ず通じる」という典型的な「誠意妄信教信者」の日本人が立ち向かうのは容易なことではない。勿論誠意は大事であり、それを大切にするからこそ日本人は海外で一目置かれる存在になっている。日本人の強みであり、堂々と誇って良い。
しかし、ビジネスにおいては、誠意と損得勘定のバランスをうまくとり、両立させることが大切だ。このバランス感覚は国によって大きく異なる。損得勘定が9割という国もある。日本人は、もう少し悪賢く、いやスマートになってもいいのではないか。
ムンバイでこんなことがあった。港湾荷役の効率化の為に浮体式多目的クレーンの入札に参加したときのことだ。競合は、東欧のクレーンメーカーとインドの大手造船会社である。インド人の情報エージェントを通してあらゆる情報を収集し、人脈作りにいそしみ、競合他社との技術的優劣比較図などを作成して、地道な営業活動を続けた。
だが、飛び交う情報は、日々目まぐるしく変化する。誰を、何を信じれば良いのか分らなくなってしまう。インドビジネスがローラーコースター(ジェットコースター)に例えられる所以である。
結局、このプロジェクトは実現しなかった。その理由がインドらしい。「ムンバイ湾に流れ込む川が運ぶ土砂の量が予想をはるかに超えてしまい、浚渫作業が必要になってしまった。その費用を捻出しなければならないので、浮体式クレーンの購入費用を流用することになった」と悪びれずに告げられた。
「オイオイ、ちょっと待ってよ。土砂の流量計算をきちんとしていれば、そんなこと分っていたはずでしょ。見積費用を返してくれ!」
そう食ってかかりたいところだが、「そこまで自分で調査しなかったあなたたちにも責任の一端はあるでしょ」などと涼しい顔で言われたら返す言葉もない。
▲オランダ人担当者とインド人従業員たちと(チェンナイの取引先の工場で)
一方、チェンナイでの仕事は、ムンバイと違ってスムーズに運んだ。オランダの会社に発注した機器を、チェンナイの国際工業団地にあるインド法人で製作したのだが、基本的な打合せや交渉は、すべてオランダ人の責任者と行い、インド人従業員も誠実に対応してくれた。
おかげで、製品は仕様どおり、しかも納期どおり無事納入された。これは、私の知る限り、かなり珍しい事例である。国籍を問わず、マネジメントがしっかりしていれば、会社は正常に機能することの好例であろう。
▲チェンナイ近郊のガンジー像を背に
▲仏陀が瞑想したという巨岩に腰掛けインドを考えた
文化的な感受性や考え方の相違に起因するトラブルは、学習と経験で、ある程度克服できる。とは言っても、生身の人間相手のコミュニケーションは、そう簡単ではない。私がインドで、ぶち当たった壁は三つある。
一つ目、独特の抑揚、発音で繰り出される早口のインド訛りの英語である。
特に、タ行で発音される'th'、巻き舌で発音される'r’の音が耳につく。英国では、費用削減の為に、企業のコールセンターの役割をインドの会社に外注することが多い。
私も何度かインド人オペレーターと話したことがあるが、殆ど理解できず、英国人スタッフに代わってもらったのだが、その英国人スタッフも「何を言っているのか正確に理解できない」と匙を投げた。「へー、イギリス人でも分らないんだ」と、ちょっとゆがんだ喜びを感じたものだ。ちなみに、英国には、こんなジョークがある。
「英国の大学教授にとって難しいことが二つある。一つは、話し出したら止まらないインド人留学生の口を塞ぐこと。もう一つは、自己主張せず口の重い日本人留学生の口をこじ開けることだ」
二つ目、Indian head nod と呼ばれる、インド流の「うなずき」だ。
日本を含む多くの国では、顔を上下に振れば「イエス」で、横に振れば「ノー」だろう。ところが、インドでは顔を無限マーク∞のように揺らすのである。「イエス」か「ノー」かは、その揺らすスピード、表情、眉毛の動かし方、などから判断するしかない。
一般に、動かすスピードが速いほど肯定的で、眉をひそめてゆっくり無限運動をするときは否定的なニュアンスが強いと言われている。しかし、如何に相手の目を見据えていても、私にIndian head nod の意味を正確に理解することはできなかった。
そして三つ目は、Indian head nod と共に発せられるAccha「アチャ」という言葉。
アチャは、主に北インドで使われる言葉で、元々は、goodと言う意味らしい。しかし、実際には、語尾を伸ばすか伸ばさないか、上げるか下げるか、アチャチャチャと繰り返すか、等の表現の仕方により、肯定、否定、疑問、共感、感嘆、威嚇など殆どどんな意味にもなるという悪魔の言葉だ。主な使用例を挙げよう。
「へぇ~」=「アチャ~」
「えーと…」=「アチャ…」
「えっ、マジ?」=「アチャ?」
「なるほど」=「アッチャー!」
「なるほど、そうだったの!」=「アチャチャチャチャ」
「何だ、この野郎!」=「アッチャ~!」、「
ま、こんなことを頭では理解していても、インド人と話すとき、首を無限運動させながら、「アチャ」を連発されると、何だかバカにされているような気がするし、今の「アチャ」はどの「アチャ?」なのだろうと困惑し、思わず日本語で「あちゃー!どういうこと?」とつぶやいてしまう。
けど、日本語だって外国人にとっては、理解しづらいことだらけかも。日本語の「分りました」は、「同意した」という意味ではないし、「ヤバイ」「ダイジョウブ」「どうも」「ちょっと」といった、状況に応じて意味が千変万化する言葉に翻弄されて、「Why Japanese People!?」と愚痴りたくなる外国人もきっと多いに違いない。
特に、私が少し日本語を理解する外国人だったとしたら、「ちょっと」という言葉に一番てこずるかも知れない。和英辞典で「ちょっと」を引くと、a little、a few、somewhat などの訳語表が示される。
日本語の日常会話では、「ちょっと…」とだけ言えば、その後に「お待ちください」「困ります」「対応しかねます」「勘弁してください」「いい加減にしろ、この野郎!」等、どんな言葉が続くか、日本人なら瞬時に理解、と言うより、察することができるはずだ。
もちろん、相手が外国人だとこうはいかない。日本人が「それは、ちょっと…」と言ったまま、(察してください、と)沈黙されてしまっては、一体今何が起こっているのか分からず、途方に暮れることだろう。
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。