2022年の新入生から実施される高校指導要領案が公表されました。
主権者教育の充実を掲げ、必修科目として「公共」や近現代の日本史と世界史を統合する「歴史総合」を新設するなど、社会科系の科目を大幅に再編。領土問題では竹島(島根県)、尖閣諸島(沖縄県)などを「わが国の固有の領土」と政府見解通りに教えるよう、初めて明記した。(ネットニュースより)
主権者教育って一体何???
日本国憲法に則って、「国民に主権」があるという教育の充実でしょうかね。
「自由と平等を骨格とし、戦争を放棄するということが最重要だと書かれている日本国憲法」からかけ離れた政策を推進している安倍政権が目指す社会科教育では、今回の高校指導要領で「愛国心」を基本とする主権者教育の名のもとに「国粋主義的日本国民の育成」が中心課題ではないかと思ってしまうような内容です。
十八歳への選挙権年齢引き下げを受け、主権者教育の柱として、公民に必修科目の「公共」を新設。「政治参加と公正な世論の形成・地方自治」「国家主権・領土」「雇用・労働」など、十三のテーマを設定して学ぶ(ネットニュースより)ことになっており、政治への関心が薄い、またはよく分らないという高校生に「今の政治体制をよく見なさい」という所でしょうか。
「公共」という科目の設定で、憲法で保障されている「個人」を尊重するものから、国家を優先するという観念を植え付けるものに国民を作り変えようとしているとしか思えません。
つまり、個人の自由よりも「国家」を大切に(国民主権→国家主権)という一体誰が主権者なのか分らないようにするための教育が行われるんじゃないでしょうか。
この考え方に基づいて、これまで教科書にはなかった「尖閣諸島や竹島の領土問題」も表記されることになるようです。
これは、韓国や中国のような前時代的な国家体制に対抗するための処置ですね。
自分の国の領土がどれだけの範囲を持っているかなんてことは、隣国との領土問題が起きた際に、政治家の対応を見てニュースなどで知ればいいんじゃないかと思います。
我が国の固有の領土であることを社会通念の中で知ることが大切で、何も「ここは俺のもんだ」と主張するような教育が果たして必要でしょうか。
トラブルがあった時に、その事態の収拾を政府がどうつけるのかを見極めるための教育こそが必要ではないでしょうか。(これまでの自民党は尖閣問題が起こった時にも、竹島が韓国軍に占領された時も、何もしてこなかったのに…、今更何だという感じです)
その見極めをつける教育の根本が日本国憲法の精神には宿っているはずで、それを蔑ろにして憲法違反まがいの政策を展開する安倍政権の姿勢を批判するようなこれまでの教育(国民主権、自由・平等、戦争放棄が刷り込まれる教育)では、為政者や政治家たちが困るというだけのことでしょう。
「道徳教育の充実」も書かれているようですが、「道徳」って一体誰のためのものなんでしょう。
国民一人一人が社会のために奉仕するというものであれば、じいちゃんも文句は言いませんが、どうも「日本という国家」のために個人を犠牲にしなけりゃいけないという教育のように見えて仕方ありません。
安倍自民党の改憲方針に従って、国民の頭の中を早めに変えてしまうのが得策と考えたものでしょうね。
これじゃ~、中国や北朝鮮の学校教育と同じです。
「愛国心」を持って「国家のために奉仕する国民」…。
「領土問題」が巻き起こったら、大声で「ここは俺たちのものだ」と叫ぶ国民…。
「何事かあれば国家のために戦地に行く国民」…。
そんな戦前のような教育改革が行われようとしてるのが怖い!
主権者教育の充実を掲げ、必修科目として「公共」や近現代の日本史と世界史を統合する「歴史総合」を新設するなど、社会科系の科目を大幅に再編。領土問題では竹島(島根県)、尖閣諸島(沖縄県)などを「わが国の固有の領土」と政府見解通りに教えるよう、初めて明記した。(ネットニュースより)
主権者教育って一体何???
日本国憲法に則って、「国民に主権」があるという教育の充実でしょうかね。
「自由と平等を骨格とし、戦争を放棄するということが最重要だと書かれている日本国憲法」からかけ離れた政策を推進している安倍政権が目指す社会科教育では、今回の高校指導要領で「愛国心」を基本とする主権者教育の名のもとに「国粋主義的日本国民の育成」が中心課題ではないかと思ってしまうような内容です。
十八歳への選挙権年齢引き下げを受け、主権者教育の柱として、公民に必修科目の「公共」を新設。「政治参加と公正な世論の形成・地方自治」「国家主権・領土」「雇用・労働」など、十三のテーマを設定して学ぶ(ネットニュースより)ことになっており、政治への関心が薄い、またはよく分らないという高校生に「今の政治体制をよく見なさい」という所でしょうか。
「公共」という科目の設定で、憲法で保障されている「個人」を尊重するものから、国家を優先するという観念を植え付けるものに国民を作り変えようとしているとしか思えません。
つまり、個人の自由よりも「国家」を大切に(国民主権→国家主権)という一体誰が主権者なのか分らないようにするための教育が行われるんじゃないでしょうか。
この考え方に基づいて、これまで教科書にはなかった「尖閣諸島や竹島の領土問題」も表記されることになるようです。
これは、韓国や中国のような前時代的な国家体制に対抗するための処置ですね。
自分の国の領土がどれだけの範囲を持っているかなんてことは、隣国との領土問題が起きた際に、政治家の対応を見てニュースなどで知ればいいんじゃないかと思います。
我が国の固有の領土であることを社会通念の中で知ることが大切で、何も「ここは俺のもんだ」と主張するような教育が果たして必要でしょうか。
トラブルがあった時に、その事態の収拾を政府がどうつけるのかを見極めるための教育こそが必要ではないでしょうか。(これまでの自民党は尖閣問題が起こった時にも、竹島が韓国軍に占領された時も、何もしてこなかったのに…、今更何だという感じです)
その見極めをつける教育の根本が日本国憲法の精神には宿っているはずで、それを蔑ろにして憲法違反まがいの政策を展開する安倍政権の姿勢を批判するようなこれまでの教育(国民主権、自由・平等、戦争放棄が刷り込まれる教育)では、為政者や政治家たちが困るというだけのことでしょう。
「道徳教育の充実」も書かれているようですが、「道徳」って一体誰のためのものなんでしょう。
国民一人一人が社会のために奉仕するというものであれば、じいちゃんも文句は言いませんが、どうも「日本という国家」のために個人を犠牲にしなけりゃいけないという教育のように見えて仕方ありません。
安倍自民党の改憲方針に従って、国民の頭の中を早めに変えてしまうのが得策と考えたものでしょうね。
これじゃ~、中国や北朝鮮の学校教育と同じです。
「愛国心」を持って「国家のために奉仕する国民」…。
「領土問題」が巻き起こったら、大声で「ここは俺たちのものだ」と叫ぶ国民…。
「何事かあれば国家のために戦地に行く国民」…。
そんな戦前のような教育改革が行われようとしてるのが怖い!