3日間、TDLを堪能して来たお嬢様。今日はコロコロクリーナーでジジィのリモートワークルームの絨毯を綺麗にしていただいたそうだ。おりこうしゃん(*^^)v
3日間、TDLを堪能して来たお嬢様。今日はコロコロクリーナーでジジィのリモートワークルームの絨毯を綺麗にしていただいたそうだ。おりこうしゃん(*^^)v
白いユキヤナギ、桃色桃の花、緑色タマネギ、そして、銀色。
日の出とともに起き出し、とうもろこしラインを立ち上げた。以前の失敗を教訓に、シルバーマルチは、完全遮光仕様のモノを導入。これで防虫効果が跳ね上がる、ハズ。約100本分の種まきを完了。本来1本の木から1本の実を収穫するのだが、今回は2本収穫できる品種を選択。これで200本のとうもろこしが食えるわけさ(*^^)v そううまいことになならないだろうが・・・・・・(;^ω^)
次の休みには残りのラインを一気に立ち上げよう。
春の彼岸明けを待って、墓の玉砂利をお姫様にもお手伝いいただき取り換え。ついでに雑草対策として、防草シートも敷設した。これで、今後の墓掃除の省力化が図られる。
来週は、仮代かき、再来週は本代かき、再々来週は田植え、その合間を縫って春ー夏ラインの構築から苗移植と4月の土日はほとんど予定が埋まってしまった( ゚Д゚)/ やっぱり今年の初チヌはGW以降に持ち越しになりそう(泣)
10時からの雨予報までにやれるだけやる。堆肥と化学肥料を鋤き込む。
畝立て、整え。マルチも敷設したかったが・・・ココで予報通り雨。ココまで。残念。
当分3晴4雨。ドロドロにまみれながら畝立てせないかんか。
子守を兼ね、菰野・山中のドッグカフェ。こんな山奥にーって感じ。孫もくるんも一緒に食事ができるのは◎あいにくの雨だが、逆に幻想的で◎時間を忘れて、喧騒から逃れて、寛げて◎
唸るほど美味い豆腐が食いたいと帰りに豆腐屋にも寄る。生姜醤油で食ったら唸った(^Θ^)/
ダイソー300円の噴霧器が、本来の機能を完全に閉じ込め、日中CO2供給機として稼働中。ディフューザーからあふれ出るミクロなCO2を十分吸収して2種の水草は、順調に勢力延伸中。構造は既成だが、ダイソー噴霧器を使ったというオリジナルポイントに少しだけ満悦中(;^ω^)
怪童二十面相。
言葉も単語から複合語を話せるようになった。一人でおりこうにご飯が食べられるようになった。表情もこんなに豊かになった。自分が育ててないと、ガキの成長ってホント早いと実感。早めに肩作っとかんといかんかねぇ(´・ω・)ボーズ、キャッチボールヤローゼー
最近、『待て』に続いて『伏せ』ができるようになった。若干フライングはあるが、ほぼほぼ『よし』というまでごはん、おやつが待てるようになった。
散歩は1歩も歩かねー。まだお外は寒いらしい。もう少し『待て』と目が言っている(;^ω^)
三者三様。
6時前に空腹くるんに叩き起こされ、半寝ながら新聞のじじぃ。
今朝は我が家から登校だが、まだまだ夢の中での食事中のお姫様。
じじぃを6時前に叩き起こしたなど自覚するわけもなく、すっかり満腹で2度寝のくるん。
さて、一番眠いのは誰でしょうか(;^ω^)
世紀の大発見?
幼犬の乳歯は、本人が飲み込んでしまったり、小さすぎてどっか飛んでっちゃったりでほとんど見つけられないそうだが・・・くるんの前下歯が既にないのに気がついた恋女房が探したところ、リビングマットの上で発見。恋女房、いいことあるかもね(*^^)v
白く可憐なユキヤナギが咲き始めた。
すいかライン、粒状石灰散布、畝立て。2週間寝かせる。
とうもろこしライン、粒状石灰散布。畝立て。しばらく寝かせる。来週、ポットに種まき。
今日は、ノミ・ダニ予防薬を飲みます。
薬を飲むのもきちんと『待て』ができるようになりました。
おりこうさんです。
ムラッキーさん、お探しいただいたアクリルパイプを購入してきました。ありがとさんでした。
ついでにくるんのおもちゃになるぶっといロープを買うて来ました。都合よく噛み噛みしてくれてます。
予想外の予想外(*^^)v
ブロッコリーの脇芽が大繁茂。まだまだ楽しめそう(^^)/lucky!!!
松阪へ配達ついでに年1贅沢ランチ。明和町・うなぎのまつもと。外はカリッと、中は柔らか・ふんわりのうなぎはサイコーです。
ホームセンターペットカート・デビュ!
帰途、立ち寄り。鈴鹿にはないカインズでカインズしかないものををいくつかお買い物。狂犬病注射も済み、徐々に外界の空気にも慣れさせていこう。
すっかり我が家の雰囲気にも慣れ、ウチの中では元気いっぱいのくるんだが、2回目のお医者様では、借りて来たネコ状態( ゚Д゚)/ネ、ネ、ネコダッタノカ? 今日は狂犬病の予防注射。 2回目だが、匂いやら雰囲気やらでココがこわーくていたーいところということが既に分かっているようですっかり怖気ずいている様子。ウチでワガママ言った際には、病院に連れて来るようにしよう。
生涯初の勲章をいただきました(*^^)v
鈴鹿サーキットに通い詰めた20歳から30歳の頃には、彼は既にレーサーとしてのピークは越えていたが、誰からも愛される笑顔の素敵な伝説のドライバー・レーサーだった。心からご冥福をお祈り申しあげる。