ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

ボヘミアン賢治1

2024-12-10 17:07:20 | 芝居

承前
北のまほろば祭り2

 ボヘミアン・ラプソディーを気持ちよく日本語で歌いたいという欲求から始まり、北のまほろば祭り2に呼んでいただいたので、まずは伴奏を作ってくれる人をお願いし、止まっていた翻訳作業を進めようと決心した。
 で、止まっていた原因が「Beelzebub」。最初の稽古、10月の段階では、まだ解決していなかった。伴奏の制作が進み、コーラスは録音して編集してもらわないといけないので、まずは歌の稽古と録音をした。
 その後、いろいろと頭をひねった結果「Beelzebub」を「地獄絵図」と訳すことにしたら、一気に最後まで進みかかった。そして、最後の最後に残ったのは「Anyway the wind  blows…」。このフレーズは途中にも出てきていて、そのときは「風は吹くだろう」と訳している。んじゃそれでいいじゃないか、と思われるかも知れないが、事はそう簡単ではない。というのも、ボヘミアン・ラプソディーを宮沢賢治と結びつけないといけないからだ。
 んでまあ、全体の構成としては、冒頭にボヘミアン・ラプソディー、あるいはフレディ・マーキュリーと宮沢賢治の関わりを考察し、そののち、PowerPoint的なものを使って、英語の歌詞とその日本語訳を提示し、それをどのように意訳したのかを解説したのち、日本語で熱唱するという流れになった。
 で、歌詞の中にもどこか賢治と結びつけたいなと思っていた。それが最後の行で結実した。どう訳したかというと、というか訳になっていないのだけれど、このようにしてみた。
 「Anyway the wind  blows…」
 「風の又三郎」
 決め手としては、最後のblowsと三郎の韻である。少々字余りではあるが、意味と韻の両方を取れるので採用した。
 翻訳が完成し、伴奏やコーラスも順調に進んでいる。後は、PowerPoint的なもので翻訳の解説をする前の考察部分である。
 ここで生成AIに頼ることにしてみた。フレディ・マーキュリーと宮沢賢治の共通点は? とか、両者の作品世界に共通するものは? あるいは生い立ちなどに何かしらの共通点はないか? そのあたりをChatGPTに聞いてみたのだが、賢治のプロフィールに「花巻農学校に通いながら、詩や童話を書き始める」とかいう記述があって、こりゃ信用できねぇなぁ、と思ったので、警戒しながら活用することにした。
 共通点についてはGensparkに尋ねてみると、
「宮沢賢治とフレディー・マーキュリーには、共にその時代を超えて影響を与え続けるアーティストであるという共通点があります。宮沢賢治は詩や童話を通じて自然や人間の本質を探求し、フレディー・マーキュリーは音楽を通じて多様な感情を表現しました。彼らの作品には、人生の深い洞察や普遍的なメッセージが込められており、時代を超えて多くの人々に感動を与え続けています」
 なんか当たり障りのない共通点である。
 もっと単純に、生年月日とか、血液型とかそういうのに共通点がないかと思ったのだが、誕生日も全然違うし、フレディの血液型もわからないし、賢治はO型らしい、という情報しかなかった。

 んじゃどうすりゃいいんだ? と途方に暮れて、さらにいろいろ調べるのだが、またそれは次回に。


おふろのおじさん

2024-12-05 09:06:13 | 温泉

 週一サウナは、大体ルーティーンとして守っていて、近場をローテーションしている。普段の生活では、知らない人がたくさんいるところに行く機会はそうそうないので、知らない人が、しかも裸でうろうろしている風呂は、なんというか、ネタの宝庫なのである。
 タイトルの「おふろのおじさん」は、オレだっておふろのおじさんなのだが、思わず笑ってしまったり、なんでそうなってる? と疑問に思ったりすることがちょくちょくあるのでそうなっている。
 今回取り上げるのは、Tバックのおじさんと、ドライヤーのおじさんである。
 ユートランド姫神には、ポイントカードがあり、盛岡市民割引なんて言うのもあって、温泉とサウナがあるお風呂としては、リーズナブルなので、ときどき足を運んでいる。夏場などは、露天風呂の傍らで寝転がって日焼けしているおじさんもいて、なんとも自由な空気が漂っている。
 そんな日焼けおじさんに、いわゆる水着の日焼け跡みたいなのが一切無い、丸焼けのおじさんがいた。つまり、全裸で日焼けしているのである。
 先日、そのおじさんとたまたま湯上がりの脱衣所で一緒になった。特に見るわけでもないのだが、何となく目の端に入る全身丸焼けおじさん。そのおじさんがパンツをはいたときにちょっと目を疑った。

 純白のTバックである。

 なんとも言えない気持ちになり目をそらしたが、なかなかの衝撃であった。

 サウナローテーションの中に「ゆっこ盛岡」がある。近いので、夕方に行くことが多い。先日亡くなったMさんや、ちょくちょくウチの芝居にも出てくれるSさんとも顔を合わせることがあるお風呂である。
 そこでの湯上がりのことである。
 身体を拭き、見るともなく洗面所のあたりを見ていると、ドライヤーを使うおじさんがいた。何となく違和感を感じたのは、坊主に近い短髪だったからである。
「ドライヤー使う必要ある?」
 そんな疑問を感じるのは当然で、オレももう20年以上ドライヤーを使っていない。
 そのおじさんは、頭に当てるのもそこそこに(当たり前である)全身にドライヤーをかけ始めた。全身に剛毛があるわけでもないのになぁ、と思っていると、おじさんはやおら片足を椅子に上げた。

 そして股間にドライヤーをかけ始めた。

 オレは思わず吹き出してしまい、思わず目をそらした。そらしたものの、ドライヤーの音は相変わらず響き渡っている。恐る恐る振り返ってみると、まだまだ念入りに股間を乾かしている。何をそんなに乾かす必要があるのか? 玉の裏側あたりを実に念入りに乾かしている。
 お風呂にはいろんなおじさんがいるのである。


1月八芝

2024-11-27 12:10:14 | 芝居

 今回の1月八芝高校演劇企画は、新作を上演してみようということで、春くらいから、第9代もりげき王の榊原明徳くんに台本執筆をお願いしていた。この企画を思いついて、さて、誰に頼もうかと考えていた頃に、たまたまもりげき2階のロビーで会ったので「こんな企画を考えてるんだけど、高校演劇書いてみない?」と打診したところ、即答で「いいっすよ、やりたいです」と言ってくれた。出演者3人くらいで、全員女の子か、まあ、1人くらい男の子がいてもいい、という感じで。
 この、3人という人数は、高校演劇の大会でも使いやすいんではないかな? という人数を想定している。少子化の影響もさることながら、演劇部は伝統的に弱小である。各学年に1人ずつなんてこともざらで、学年に2人いれば御の字、みたいな演劇部も少なくない。そして大体女子が多い。そんなところでもなんとか出来るんじゃないかという人数にしてみたのである。出来れば、何年かのちに、八芝発の高校演劇戯曲が、大会で上演されるのを見てみたい。そんな思惑も含みつつ立ち上げた企画なのである。
 2015年度から「いわて高校演劇秀作選」と銘打って、県大会の上位校に出演してもらうこと3年、これは年明けすぐ、冬休み期間中の日程だったので参加しやすかったようだ。2018年度は、始業式あたりの日程に重なってしまいそうなので、ガラッと内容を変えて、10年前に東北大会に進出した盛岡一高のOB、劇団ちりぢりを率いる藤原瑞基くんにお願いして「みんなの美学」を再演してもらった。
 2019年度は「いわて高校演劇秀作選」に戻り、盛岡市立高校に2本立てで3日間上演してもらった。
 続いて2020年度、実際の上演日程は2021年1月。そう、コロナ禍の中であった。このときは、2020年3月、突然の緊急事態宣言の影響で中止を余儀なくされた「いわて銀河ホール高校演劇アワード」のリベンジとして、山本昌典作「ひとはた」を上演することになった。
 2021年度は、「いわて高校演劇チャレンジ!/リベンジ!」として、県大会に進めなかった学校に、ブラッシュアップしての上演機会を作る目的で開催。しかし、日程を2022年の1月末にしたところ、模試の日程とかぶってしまい、参加校が盛岡市立高校のみ、上演も1日と、苦しい台所事情になってしまった。
 そして2022年度はチャレンジ!/リベンジ!継続で、3校の参加があった。ここまでは、なんだかんだと参加校が手を上げてくれたので、なんとか継続できた。
 ここで多分ちょっと油断したのかどうなのか? 2023年度は、事前に問い合わせが数校あったので、多分大丈夫だろうと思っていたら、締め切り1週間延ばしても、参加表明は0! これは困った。急遽差し替えの企画で「ひとりのふたり」と題して、全国学生演劇祭東北大会で最優秀を取った渡邊愛美さんの「ノアの泥船」と、ピン芸人村民代表南川くんの「栄えたい自治体 体験版」2本立てで凌いだ。
 そんなことがあって、これはちょっと直接手がけた方が、ヒヤヒヤしなくてすむんじゃないかと考えたわけだ。そんなわけで、新作高校演劇トライアルとなった。参加者は主に演劇部の高校生を募集することにした。
 で、公募して参加者を集めると同時に、集まらなかったときのために、直接声をかけたりもして、転ばぬ先の杖をついておく。
 そんなこんなでようやく稽古が始まった。参加者は公募できてくれた子が2人、事前に声をかけていた子が1人、計3人、みんな女の子であった。
 当初台本は、男子1名が想定されていたのだが、それを女子に書き直してもらう。第1稿は夏くらいには上がっていて、いろいろとアドバイスをして書き直してもらっていた。
 そんなわけで、週3回の稽古は女子高生と一緒なのである。これがまた、わりとみんなハキハキした子で、オレのようなおじさんと話すときも、物怖じしないし、だからといって礼儀知らずなわけでもない。とはいえ、さすがに世代のギャップ的なものはあって、いや、世代のギャップなのかどうなのかわからないけれど、なんかいろいろ新鮮なのである。
 すでに我が子よりも年下の子たちなわけで、そりゃ新鮮だろうけど、なんというか、違う世界の生き物のようである。


音の絵本

2024-11-17 17:15:56 | エンターテイメント

 ナレーションのお仕事でお世話になってる、サウンドブレーンの斎藤さんから「音の絵本作りたいんだよ」という話は、ずいぶん前から聞いていた。単なる読み聞かせではなく、効果音を入れたり、複数のキャストで読んだりと、ちょいと手の込んだ音素材を作って、幼稚園とか保育園、視覚支援学校などで活用してもらえたら良いなぁ、という企画である。
 関係者は手弁当。でまあ、オレの役割としては、企画書書いたり、音の絵本の導入部分のシナリオを書いたりというところ。
 第1回目の作品は「かみさまにあう」作/森川沙紀。この森川さんは、地域おこし協力隊で、花巻に滞在していた頃に、早池峰神楽に出合い、その魅力を絵本にしたい! と思っただけでなく、実際に作ってしまった大した人である。
 出版社が絡んでいるわけではないので、本人の了解があれば、権利関係の処理に手間取らないので、はじめの一歩としては、取り組みやすいところ。
 で、ようやく完成を見て、さて、どこら辺に贈ろうかいなと、いろいろと検討した結果、まずは花巻市、そして、盛岡視覚支援学校あたりに贈ることにした。
 すると、花巻市では、とりあえず職員の方に会って、手渡しして、なんか活用してください、的な感じで終わったのだが、盛岡視覚支援学校の方では、なんだか、贈呈式みたいなことをするというのである。しかも、その取材にテレビが来るというのである。普段は、テレビの裏方である音屋の斎藤さんは、バンドのドラマーでもあり、しゃべりは無限に出てくるのだが、こと、立場を逆にして、取材されて喋るとなると、あんまり慣れていない。これは見ものである。
 当日は、オレと斎藤さんの他に、本編の語りを担当してくれた平田純子さんが同席。初めて足を踏み入れる視覚支援学校の一室で、開式の言葉から、校長先生のあいさつがあり、斎藤さんのあいさつもあり、音源のCDを生徒代表の子に贈呈し、みんなで音の絵本を聞き、生徒の感想を聞く、という流れである。実にちゃんとした儀式である。
 そして取材。たどたどしく答えながら、ときおりオレの方をチラ見する斎藤さん。語り担当の平田さんはさすがの安定感というかなんというか。
 今回の作品には、実は子役が出ていて、それは、演劇仲間のKちゃんことFMさんの息子で、実に達者な子である。まだ声変わり前の可愛らしい声もあと少しの寿命だなぁと感じてしまうのである。
 さて、第2弾はどうなるかな?
 


遠野に行ったりモリシミ企画会議だったりワークショップの振り返りだったり

2024-11-10 17:08:20 | 芝居

 昨年上演した「スケッチブック-供養絵をめぐる物語-」が、盛岡市民演劇賞の大賞をいただいたので、ご褒美として、令和7年度中に再演する場合は、劇場使用料をタダにしてくれる、という特典をいただいた。折角なので再演したいと思うのだが、やはり再演をするのならば、供養絵のお膝元である遠野でも是非上演したい。
 というわけで、ご相談に行ってきた。舞台美術の平川が都合をつけてくれたので、同行してもらう。やはり、会場の下見だの考えると、1人では心許ないのだ。
 佐々木喜善のひ孫にあたる佐々木さん(当たり前か)と、この春、岩手芸術祭の総会でお知り合いになったので、相談に乗ってもらうことにした。時期はいつ頃が良いか? 会場はどこが良いか?etc.10月になると、いろんな行事が立て込んでくるらしいので、9月くらいが良いでしょうとの助言をいただく。夏休みの話なので、まだ夏の空気が残る9月は良い季節だと思う。下見した会場は、遠野市民センター中ホールとして位置づけられている、あえりあ遠野の方にある多目的ホール。大きさ的にも場所的にもここが相応しいと思う。
 午後からの会合だったので、平川の助言に従い、お昼を「ばんがり」で蕎麦、ということにして、店に行ってみたところ、蕎麦は移転して、ラーメン関係部分だけが残っていた。すっかり蕎麦の口になっていたが、それはそれ。気を取り直してラーメンとチャーハンのセットをいただいた。んまかった。

 そして夜はモリシミの企画会議である。モリシミは隔年開催なので、来年度の企画である。MORIOKA Chronicleシリーズの3作目ということになる。岩手公園ものがたり、盛岡バスセンターものがたり、と来て次は何か? これは正式発表を待つので、ハッキリとは言わないでおくが、~ものがたり、ではない、ということだけは言っておこう。
 盛岡三大麺シリーズでは、冷麺のオムニバス「冷麺で恋をして」、じゃじゃ麺を作った男の一代記「わたしのじゃじゃ麺」、そして、伝説のお給仕がいたわんこそば店の過去と未来を描く「わんこそばの降る街」と、時代設定が現在→過去→未来、みたいな感じになっていたので、そんな感じになるかもしれない。ならないかも知れない。

 そんな日の2日後、夏休み前にやった某中学校での演劇ワークショップの振り返りをしてきた。ワークショップはどうでしたか? その後、生徒たちに何か変化がありましたか?  なんてことを担当の先生に聞き取りに行くのだ。
 演劇ワークショップをやったからって、そんな劇的に子どもが変わるわけではないのだが、たまに、不登校だった子が、それ以来学校に来るようになってたとか、人間関係がちょっと変わったようだとか、聞くことがあるのだ。
 それが今回、学年全体が劇的に変わった、というのだ。それまで、斜に構えて、一生懸命やることを冷笑したり、思っていることを言わなかったり、ということが多かったらしいのだが、ワークショップ以降、自分の思っていることを提案したり、実行したりすることに積極的になったというのだ。
 担当の先生が所用で少し遅れるというので、学年の別の先生が最初にお相手してくれたのだが、その変わりっぷりを熱く語ってくれた。
 長くやってると、そういう劇的な変化にぶち当たることもあるんだなぁと、感慨深いモノであった。