2023年の年末は、何かと怒濤のようだった。
年明け5日6日に、プロデューサーを務める八時の芝小屋の公演があって、その枠組みが整い、一安心した後、緊急事態が襲ってきた。
そもそもこの公演は、毎年1月に高校演劇を取り上げる企画で、8年くらい継続してきたのだが、11月の締め切りに手を上げてくれた高校演劇部がひとつも無く「さてどうしたものか!?」と焦りながら企画を進めてきたのだ。
事前に問い合わせが3校ほどからあり、油断していたのもいけなかった。
本番まで2ヶ月といったところで、ゼロから立ち上げなければならない事態になり、一時は中止も頭をよぎった。とはいえ、盛岡劇場タウンホールは随分前から押さえてあるし、中止にするのも忍びない。
そんなわけで八方手を尽くした結果「ひとりのふたり」というタイトルで、とうほく学生演劇祭大賞を受賞した一人芝居「ノアの泥船」と、滝沢出身で、岩手大学劇団かっぱに所属し、落研まで立ち上げて、現在はサンミュージック所属のピン芸人となった村民代表南川くんの「栄えたい自治体 体験版」の2本立ての企画となった。
大急ぎでチラシを作り、配布を始めたのは本番1ヶ月を切ってからのこと。なんとか集客の目処もつきそうな企画となったので、ホッとしていた矢先の22日、不穏なメールが届いた。
「ノアの泥船」の渡邊愛美さんが、2週間ほど喉の痛みと声がれが続いて、24日の時点で回復が見込めなければ、降板したいというのだ! おっと、この期に及んでそんなことが!? ちょっと待ってくれよぉー! という気持ちで、善後策を講じる。
もしそんな事態になったら、南川くんに1人で1時間やってもらうしかない! とまあ、そんな連絡をしたら、事務所とも相談して、ということで、マネージャーにメールしたりして、とにかくなんとかなるように祈りながらその日は過ごす。
23日には、モリシミの稽古もある。「ノアの泥船」の稽古もある予定だった。
そんな稽古に出かける前、カミさんが予約していたクリスマスケーキを取って帰ってくるなり「仙台に行かなきゃいけなくなった! おばあちゃんが倒れたって!」と、これまた緊急事態。
「ケーキは?」
「食べちゃって」
そりゃそうだ。
とるものもとりあえず、カミさんは仙台へ向かった。ざわざわする気持ちを静めつつ、オレの出来ることといったら、とりあえずモリシミの稽古に顔を出し、「ノアの泥船」の稽古がどうなってるか様子を見に行くくらいしか出来ない。
そんなわけで「ノアの泥船」の稽古場を恐る恐るのぞいてみると・・・演出の大和田さんが爆睡している。
・・・そおーっと稽古場を出て、モリシミの稽古をしばらくのぞき、もう一度「ノアの泥船」の稽古場をのぞくと・・・いた! 愛美さんいた! ・・・オレはその場で崩れ落ちた。安心したのだ。
「だ、大丈夫?」
「はい、大丈夫だと思います」
南川くんには予定通りで大丈夫になったと連絡し、翌日はクリスマスイブである。
訃報が届いたのはお昼頃だった。今年2月に母が亡くなり、12月には義母が亡くなった。演劇と私生活が怒濤のようにオレを翻弄した2023年だった。
通夜の26日は仙台の葬祭会館で過ごし、27日の葬儀の後、オレと子どもたちは盛岡に戻って来た。
2024年は平穏であって欲しい。