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ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

花見

2008-04-19 09:49:55 | エンターテイメント
花見に行く。近所の寺並公園。保育園ではいつものお散歩コースになってるらしい。天気は大荒れの予報だったのだが決行。意外に大丈夫だった。
風は強いものの、雨は時折申し訳程度にパラつくだけで、案外と快適。寺並公園にはときどき行くのだが、こんなに桜が植えられているとは思わなかった。

ダッチオープンに手羽中を突っ込み、ペレットストーブに入れて待つこと10分。出来は開けてのお楽しみ。あとは、中華風おこわと、たこ焼きを焼いて持っていく。なんだか炭水化物ばっかりだ。

保育園の保護者家族3組で、昼から花見である。とりあえず親はビールを飲み、子どもらはそこら辺をかけずり回る。

ビールを飲んでいて問題になるのはトイレ。生協までの長い道のりを歩いていくか、もしくは、児童センターに駆け込む。子ども連れでトイレに行くのはまあいいのだが、酔っぱらった大人が昼間からトイレを借りに行くのもはばかられる。

子どもをダシに、トイレを借りにいったりするわけだ。そういや近所にIさんという、これまた保育園でいろいろと一緒にやった家族がいたと思い当たり、電話してみる。
しかし、仕事中だという。花見やってるよと伝え、良かったら奥さんと子ども達で遊びに来てねと誘ってみたりした。

そうこうするうちに、うちの息子が「うんちしたい」と言いだした。おっと、これは児童センターまで果たしてもつのか。がんばれそうな気もするが、着替えは持ってきていない。

そんなわけで突然Iさん宅を訪ねちゃいました。トイレを借りに。
快く迎えていただき。用を済ませることが出来た。で、ついでに俺もトイレを借りた。

しばらくすると、Iさんの奥さんが子どもたちを連れて遊びに来てくれた。そんなことをしている間にも、尿意は容赦なく俺を襲った。生協まで行こうとすると、Iさんが俺を呼び止め、カギを差し出した。

あらら、勝手に入って勝手にトイレを借りていいと! ありがたい!
こういう善意にはすぐにすがっちゃうんだな俺は。

そうこうするうちにIさんの旦那の方も登場。ダッチオープンに残っていた手羽中をパクつく。「煮こごりがうまい」といってくれた。

夕方5時半過ぎまでたっぷり遊び、解散かと思いきや、2次会をやるという。結構疲れたのだが、さほどある機会でもないので、2次会予定のIさん宅へ(これは別のIさん)。

ここでもトイレを借りたら(ホントに良くトイレを借りるな俺)「翔鶴型空母」と書いた本が! どうやら旦那は戦艦とかそういうのが好きなようである。いろいろとマニアックな話を聞く。東京のプラモ屋兼中古屋でバイトしていた頃、店の親父やお客さんにいろいろと影響を受けたのだそうだ。

その後写真の仕事の話などいろいろと聞き、帰宅。たっぷりな一日だった。

タタキ

2008-04-17 09:27:29 | 芝居
今日は大道具のタタキの日である。とは言っても叩いてはいない。主に作ったのは、変形畳。前回の「隣にいても一人」でも、変形の部屋を作り、その畳も作ったのだが、今回もほぼ同様に作ってみる。

前回は、上敷(ゴザの長いやつね)をほどいたりして、でっかい台形の畳と、小さい台形の畳などを作った。で、その土台はベニヤで変形を切り、つなげ、巾が上敷の巾を越えてしまった場合は、つなげ、縁を取ってしまうので、新たな縁を貼り、などなど、かなり手間をかけた気がする。

まあ、前回は大道具ワークショップだったこともあり、手がかなりあった。今回は、とりあえず作業人数が三人。いかに手間を省けるかが勝負である。で、土台はサンプライシート(プラダン-まあ、段ボールみたいなのをプラスチックで作ってあるやつね)で、縁は上敷のものを生かすように作った。

デザインは前回と同様M生ちゃん。舞台監督はM松くん。M生ちゃんも東京から帰ってきて、手伝ってくれる。しかしこのM生ちゃん、上京一年で岸田戯曲賞受賞作品に出演するという幸運を得た。こりゃ大したもんだ。

でも雰囲気は相変わらずで、なんだかポヤンとしている。青年団の芝居「革命日記」で革命闘志をやったとは思えない。(なーんつってね)

で、そのM生ちゃんですが、相変わらずしゃがんで作業するときに背中が出ちゃってたりして、それをまた、駐車場のモニターで見られちゃったりして、その姿を見たH部くんが「ああ、背中見えてるやっぱM生ちゃんだ」などと言われちゃったりしてる。

いやあ、和みますな。

原稿

2008-04-15 17:35:08 | 芝居
うっかり、八芝の年間パンフの原稿書きを忘れていた。忘れちゃイカンと、パソコンモニターの前に、去年のパンフを置いておいたにもかかわらず、後からやって来た書類に埋まり、すっかり忘れられていた。

そういや、そろそろ書かないと「隣にいても一人」の本番に間に合わない!

そんなわけで、朝から原稿書き。

なんで朝から原稿書きできるかって?

まだ仕事が出てこないからなのよん。さすがに4月も中旬になってくると、カミさんの視線が厳しくなってくる。そろそろというか、もう何年もなんだけど、この時期及び、年間を通じて、収入の道を探らねばならないんだよなぁ。

っておれはもうそんな呑気なこと言ってる場合じゃないよな。はい。

昨年のパンフの文章は、確かにその通りなんだけど、真面目というか官僚的というか、どうしても過不足無く説明しようとするが故に硬い文章になってしまっている。
なんとか柔らかく、かつ重大な不足なく、読めばそれなりに面白いように作りたい。

で、作ってみた。そのうち皆さんのお手元にも届くかも知れませんが、そのまま印刷されるかは微妙かも知れません。後はデザイン次第だ!

頑張ってるぞきっとデザイナーは、ね(何となく脅迫じみている)

夢見

2008-04-12 05:55:32 | 家庭

死んだ父親の夢を見た。

どうも場所は山形らしい、月山とか、そのあたりのような感じだ。

父が運転をしていて、俺が助手席に乗っている。見ると50歳くらいの印象だ。俺はと言えば、多分今の年齢だろう。
どこから車に乗っていたのかは良くわからないのだが、湖にかかる高速道路を通っているようだった。

何となく方向は、日本海側から太平洋側に進んでいる印象である。

その湖にかかる道路というのが、沈下橋のように道路が水面下に沈んでいる。一見湖が広がっているのだが、その下にはまっすぐの高速道路が走っている。
そんなところを車で飛ばしているのだ。

なんだかやたらとスピードが出るらしく、父はぽつりとこう言った。
「出るなぁ」
ふと、スピードメータを見ると、180キロを超えている。
(いくらなんでも出し過ぎなんじゃねぇか?)
と思いながら前方を見ると、遙か彼方で道路が水面から出て、上り坂になっている。車は滑るように水面を進んでいるようだ。
「ハイドロプレーニング現象起こしてるね」と言うと、
「うん」とも「うう」ともつかないような肯定の返事。このスピードで道路から外れちゃったら大変なことになるなぁと思いながらも、特にそのような心配は口にせずに乗っていた。

なんというか、父親といる安心感みたいなものがあったのだ。
徐々にスピードを緩め、水面から出た道路に少しずつ近づいていくと、前を走っていた車が、上り坂をジャンプした。まるで水面から飛び上がった魚みたいだった。

さらに近づくと、左側に雪の壁があって、それが道路に大きくせり出している。前を走っていた二台目が、雪の壁を避けようと右に寄りながら上り坂をジャンプした。
(なるほど、それで魚のように見えたわけだ、水面からジャンプする魚の体には、ひねりが加わっている)

と思ったら、その車は、上り坂の頂上あたりに落下し、大破。

相当にスピードを緩めた俺の乗った車は、ソロソロと雪の壁と大破した車を避け、対向車を気にしながら上り坂の頂上を越えた。

大破した車と運転者のことは全く気にしなかった。

なおも高速道路は続くのだが、程なくして急に山道になった。軽く右に曲がり、Uターンするような急カーブが待ちかまえていた。そこでも二台事故っていた。それを慎重に避け、カーブの曲がりの先にある待避所のようなところに一旦車を止める。

そこではもう事故処理が始まっていて、警官が交通整理をしている。その指示に従い、待避所から出た。道は先ほどとはうってかわって狭くなっている。

このあたりで、蔵王のスキー場に関する話をしたような気がするが定かではない。

しばらく進むと右側に駅があった。なにやら火花が散っている。どうも工事中のようだ。手前にちょっとした交通整理の人がいて「立ち入り禁止ですよ」だったか「入っちゃダメですよ」だか言っていたような気がする。

そんな駅を通り過ぎて進んでいると、いつの間にか俺は一人で歩いていた。車も父親もいない。後ろから来るんだろうなぁと思って、とぼとぼと歩く。

かなり歩いた頃、右側にちょっとした建物があった。どうもバス停のようで、ベンチのある待合所と、それにつながって土産物屋がある。店の人は誰もいない。和紙で出来たお面のようなレリーフのような訳の分からない工芸品がほこりをかぶって並んでいる。

振り返ってバス停の方を見るが父はまだ来ない。

そこで目が覚めた。

実に久しぶりに父親の夢を見たような気がする。なんの警告だろう? 
ふと、そろそろ命日だったことに気づく。4/15日。

初七日を終えて盛岡に帰ってきた日は、桜が満開だった。