実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

怒り。

2009-12-04 | 母というひと
母に対しての怒りは依然とある

AC、モラハラ、ボーダーを学んで自分の怒りがどこからくるかに気づかされた
だが、それで「怒り」が消滅したわけではない


時々私を苦しめる「怒り」を綴っていこうと思う
綴ることによって鎮めたいわけでも減らしたいわけでもない
私は記し、残したいのだ


「母への怒り」で真っ先に上がるのは、去年、逝った父に対する仕打ちだ


父がすい臓癌であるとわかったときのことだ

私も兄も遠く離れて暮らしているため、父の病状、主治医の所見、治療の方針などは、ほとんど母の口からしか聞くことができなかった
母はそれを利用して、事実を自分の都合よいように曲げて私達に伝えていた


手術をするかどうか、病院側から打診があった(本当かどうか今となってはわからない)


お父さんね、手術しなかったら3ヶ月、しても1年しかもたないんだって。どう思う?


私:本人はどう言ってるの?
  手術しても1年しかもたなくて、辛い治療しかできないんだったら好きなようにしてるほうがいいかと思うけど。でも本人の意志を尊重してほしい



そう!そうよね!!手術なんてしないほうがいいよね!!


母は父に治ってほしいなんて1ミリも思ってなかった
快復して退院してほしくない
看病は絶対に嫌


ウソだった



兄が見舞いに行ったとき、主治と話ができた
根治は難しいとは言ったものの、命の長さなんて一言も話してはいなかった


私の言葉は「手術しないほうがいい」というところだけ切り取られて


家族は手術に反対です

と伝えられていた


私も兄もそのウソを追求しなかった
母に言ったところで非を認めるわけない 無駄だと。

私は逃げたのだ
母の逆上するのは目に見えていた
当時、父は人質だった

【いったい誰のおかげでお父さんを看てもらえると思ってるんだ!】
【看病するのはこの私だ!】
【なにもしないくせに!!】

と、次から次へと罵倒されるだろう

あんな母でも父を任せるしかないと思うと、情けなかった
病院を兄の暮らす東京へ移すことはできないか、と真剣に考えたこともあった
だが、私は行動に移すことはしなかった できなかった 逃げた



治ってほしくない 退院してほしくない 母と、治ってほしい、家に帰してあげたい私達の溝は深まった



上述の罵倒は、違う状況のときによく言われた実際の母の言葉だ


**************


本当に3ヶ月ほど経ったころ、父が危篤になった
その電話をしてきたのは母なのだが、これまでにも病状、主治医の見解の報告に
ウソが多かったので、容易に信じることができなかった

私は、危篤の知らせのあと、念のため、親戚に電話した
危篤は本当だったのだが、
親戚に電話したことが母を逆上させた

なんで○○に電話した!!疑ってるのか!!!


私:お母さん思い込み激しいし、早とちりもあるから。3ヶ月しかもたないって話も違ってたじゃないの


本当に言ったとおり3ヶ月だろうがぁぁぁぁ

こういうのをウソから出た誠とでもいうのだろうか
言い返せなかった・・・・


今にして思えば、数々のウソを重ねてたので、私が親戚に一本電話しただけでも
「疑われてる!」と察知したのではないだろうか



父への仕打ちの怒りは、父を救い出せなかった無念の想いと共にいつも心の中で
渦巻いている