ヨハネ12章27~32節から説教が語られた。
12:28 父よ。御名の栄光を現してください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」
「またもう一度栄光を現そう」ていう言葉は、説教を聞くまでは、主語は「神が」であり、栄光は神のもので、私は神の栄光を讃美していれば良いと思っていた。
これは神の栄光の片面からしか見ていない、幼い信仰であった。なぜなら、神の栄光を「私達が」現わすのですから。
新約聖書の中で「栄光」という言葉を新改訳3版で検索したところ、138回ヒットした。その中から、私達が神の栄光を現わすことが示されている箇所をピックアップしてみた。
有名な信仰告白に、「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」とあるも教えられたので、みことばから確認をしました。
その結果、神の栄光を現わす生き方とは、キリストとともに死ぬことも覚悟して、キリストに従って犠牲を払って献身して、キリストのみわざに生きることだなのだと思った。
ここまで導かれたキーワードは、示す「セーマイノー」「しるしで知らせる、未来について前兆を与える、予告する」です。牧師が12章33節で、強調して言われた言葉です。
ここまで導かれた経緯は次の5段階を経たものです。
栄光は神が与えるもの。私達は受けるもの。
ヨハネ17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
ローマ8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
栄光を現わすことには、キリストのゆえに、迫害や侮辱を受けることもある
ローマ8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
Ⅰペテロ4:14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
栄光を現わすことは神が命じておられること
第一コリント6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
第一コリント10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。エイス栄光 しなさい命令現在
栄光を現わす生き方に、神が一歩一歩変えていってくださる
第二コリント3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
栄光を現わす生き方とは、どのように死ぬのかを覚悟してイエスに従う生き方である。
ヨハネ12:33 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを「示して」、このことを言われたのである。
ヨハネ21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを「示して」、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
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